カメラの稽古

老後の愉しみにカメラを始めました。

紅葉の京都旅(5)大谷本廟 清水寺

2018年11月29日 | 写真

京都・東山の南端にある大谷本廟。

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が祀られています。

横の道を登ると、ものすごい数の墓があって・・・

・・・墓場を抜けると清水寺です。

 

ほぉーーーー、きれいに紅葉しています。

 

 

 

 

 

↓ 京都市内を一望。本堂・「清水の舞台」は修理中です。

 

 

 

 

 

↓ 「音羽の滝」は大行列です。

 

↓ この茶屋は「舌切茶屋」といいます。幕末、薩摩藩の西郷隆盛と入水自殺した清水寺成就院の勤王僧・月照上人ゆかりの茶屋です。

↓ こちらが月照がいた成就院。清水寺の北総門から出たところにあります。庭が見事でした(撮影不可)。

「安政の大獄」で幕府に捕縛されそうになった月照上人は西郷隆盛の計らいで薩摩へ逃亡します。月照の薩摩藩への密入国の手伝いをしたのが平野國臣。薩摩藩では匿ってくれないとわかった西郷と月照は日向へむかう船から錦江湾に身を投げます。それを助けたのが平野國臣、という話は前に書きましたね。

月照は亡くなり、西郷は助かります。月照が逃亡したことを知った幕府の役人は、月照の友人で成就院の執事・近藤正慎を捕らえ六角獄に投獄します。(平野國臣も生野義挙に失敗し六角獄に投獄され、そこで斬殺されます)。幕府の役人は、月照の逃亡先を聞き出そうと近藤を拷問します。しかし、近藤は舌を噛み切って白状せず、壁に頭を打ち付けて自決したといわれています。清水寺では近藤の忠義に報いるため、子孫に茶屋を営むことを許可しました。それが「舌切茶屋」の由来です。

※すぐ近くにもう一軒、「忠僕茶屋」というのもあり、こちらは、月照上人に従って薩摩まで行った下僕・大槻重助の子孫が営んでいるということです。重助は西郷と月照が入水した船に同乗しており、國臣とも面識があります。月照が亡くなったため重助は、許されて京都・清水寺へ帰り、月照の菩提を一生弔ったということです。

 

↓ 清水寺は着物を着ている女性が多いところです。着物を着ているのは、中国や韓国の女性、それと修学旅行の女子高生が多かったようです。着物を着て大きなサングラスを掛けた中国人のおばちゃんグループが大騒ぎしながらスマホで写真を撮り合っていました。わからんでもないけどなぁ~。

 

京都の紅葉の紹介は、これでおしまいです。初めての京都の紅葉、どこもきれいで感激しました。

今回の京都旅では、幕末と平野國臣関係の史跡も何か所か回ってきました。機会があれば記事をアップします。



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