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日本を米国の価値観の奴隷にした「安倍戦後70年談話」を巡る攻防が始まる

2025-08-10 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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日本を米国の価値観の奴隷にした「安倍戦後70年談話」を巡る攻防が始まる


  


 全ての衆議院議員が参加して行われる国会の総理指名選挙で選ばれた石破総理を辞めさせるには、本人に「辞める」と言わせる以外に方法はない。しかし石破総理は現在のところ続投に強い意欲を示している。そして反石破勢力の「石破おろし」には迫力がない。国家国民のために自分の身を滅して引きずりおろそうとする者がいない。メディアに連日「石破おろし」を報道させているだけだ。

 昔、「三木おろし」というのがあった。74年に月刊『文芸春秋11月号』が田中角栄総理の「金脈」を暴いた。政治的混乱を回避するため田中が退陣を表明した後、椎名悦三郎副総裁の裁定で直後の12月に弱小派閥の三木武夫が総理に就任した。三木は地元の徳島選挙区で三木派の議員が田中派の新人後藤田正晴に公認を奪われた遺恨から総理に就任するや田中追い落としを始めた。「阿波戦争」という。

 76年2月に米国議会でロッキード事件が発覚する。すると三木はそれを田中追い落としに利用しようとした。これに椎名が怒り、自民党の3分の2の議員が挙党体制確立協議会(挙党協)を結成して「三木おろし」に動いた。三木を支持するのは同じく弱小派閥の中曽根派だけである。

 三木は自民党の大勢に抵抗し、中曽根派の稲葉修が法務大臣であったことから東京地検特捜部に田中を逮捕させる。これで挙党協の「三木おろし」はさらに激しさを増した。法務大臣の逆指揮権発動だと言われた。それでも三木は総理を辞めず、ロッキード事件発覚から10か月後の衆議院議員の任期満了まで総理を続けた。

 衆議院議員の任期満了になれば衆議院選挙をやる必要がある。衆議院選挙をやればその後に国会で総理指名選挙をやらなければならない。それまで三木は続投したのである。

 これからわかることは自民党内の数の力で総理を辞めさせることはできない。総理本人が「辞める」と言わなければ衆議院議員の任期満了まで続投することができる。現在の衆議院議員の任期は3年後の10月まである。理屈の上ではそれまで石破は続投することができる。

 これが日本政治の現状である。ただし「石破おろし」の攻防は最大の山場が8月15日の終戦記念日に訪れるだろうと私は思っている。石破総理が「戦後80年談話」を出して安倍総理の「戦後70年談話」を乗り越えるかどうかが焦点になる。反石破勢力はそれをさせないためメディアに「石破おろし」を過大に見せ、国民の錯覚によって石破総理を追い詰めようとしている。

 私は以前のブログで、昨年の衆議院選挙による与党過半数割れを安倍政権の負の遺産を解消するためだと書いた。安倍政権の負の遺産とは、第一が「一強他弱体制」が生み出した政治の歪みである。

 政権交代を可能にすることを目指したはずの「政治改革」が、小選挙区比例代表並立制の導入で逆に多党化をもたらし、その結果として安倍政権は「一強他弱体制」を作り野党を無視する強権政治と「モリ・カケ・サクラ」に代表される権力の私物化を果たした。それが財務省職員を自殺に追いやり、あってはならない公文書改ざんをもたらす。

 その「一強他弱」を実現するために用いられたのは、旧統一教会というカルト集団に自民党が選挙を依存し、解散・総選挙を頻繁に繰り返す手法だった。それによって旧安倍派は膨張し、最大派閥として日本政治を牛耳る体制が確立された。

 これを転換するには選挙によって自民党を敗北させるだけでは足りない。自民党が敗北しても最大派閥が解消されない限り、いずれ「一強他弱」は復活する。そのため安倍晋三と最も距離のある石破茂が総裁選で逆転勝利するシナリオが書かれた。

 さらに与党が過半数割れを起こし、「少数与党体制」になることで野党が協力しない限り政権運営できない仕組みが作られた。こうして石破は安倍とは真逆の政治リーダーの役割を負わされたのである。従って石破がやらなければならないことは野党の主張を取り入れて与野党が協力する政治、日本政治が未だ経験したことのない政治文化を作ることである。

 安倍政権の負の遺産の第二は、アベノミクスが生み出した現在の物価高である。野党は物価高の原因を確かめもせずに減税を要求するが、物価高の要因は輸入物価の高騰にある。輸入物価の高騰は円安だからだ。アベノミクスはデフレから脱却するため意図的に円安を目指し、それによって輸出産業を儲けさせ、その富がしたたり落ちる構造を実現しようとした。

 そのため日本経済はマイナス金利という世界に例のない異常な世界に突入する。そしてそれでもデフレは解消しない。なぜならデフレは米国によってもたらされ、米国に追随した小泉純一郎政権によって深化させられたからである。

 日本の高度経済成長は銀行を経済の中核に据え、政権交代のない政治と大蔵省と通産省という強力な官僚機構が一体となって米国から富を吸い上げることで実現した。その結果、85年に日本は世界一の債権国、米国は世界一の債務国になり、89年の世界の時価総額ランキングでは日本の銀行がベスト10に7行も入った。

 軍事を米国に委ねた日本は持てる力を経済に集中して米国の製造業を駆逐し、ラスト・ベルト(さび付いた工業地帯)を作って大量の労働者を失業させた。これに対する米国の怒りは尋常ではない。しかし米国が日本に逆襲するのは難しくなかった。憲法9条2項で軍事を米国に委ねているため日本の生殺与奪の権は米国に握られている。

 米国は85年に円高を要求して日本の輸出産業に壊滅的打撃を加え、86年には世界シェアの半分を占めていた半導体産業をやめさせ、87年に日銀に低金利を要求して日本経済をバブルに導いた。バブルが弾けると日本経済の中核にあった銀行は軒並み不良債権を抱えて没落した。さらに追い打ちをかけるように米国は国際決済銀行を通じ、銀行の自己資本比率を高めないと国際業務ができないようにルールを変えた。

 それまでの銀行は企業と利益を共有していたが、このルール変更で銀行は企業から貸し剥がしをせざるを得なくなる。これによって銀行の融資で事業を起こした日本企業はバタバタと倒産することになる。これが橋本龍太郎政権下で起きたデフレの始まりである。

 そして小泉純一郎政権は米国の言いなりになりさらにデフレを深化させた。米国の命令で銀行に不良債権処理を急がせ、日本の銀行を米国のハゲタカファンドの餌食にした。その一方で「労働力の流動化を図れ」という米国の命令に従い非正規労働者を増大させた。企業は正規労働者を減らし低賃金政策を採ることで生き延びようとし、低賃金政策がデフレの負のスパイラルを生んだ。

 つまり9条2項を廃し対米自立を図らなければ日本は「失われた時代」から脱却することができない。しかし安倍政権はまるで逆に動いた。米国の価値観に迎合し、骨の髄まで米国に従属する方向に動いたのである。それを象徴するのが15年8月に発表された「戦後70年談話」だ。

 米国でトランプ大統領が誕生した直後に保守の論客である佐伯啓思・京都大学名誉

教授は「米歴史観と戦後70年談話」と題する文章を新聞紙上に発表した。佐伯は「70年談話」を次のようにまとめている。

 「19世紀に西洋列強による植民地支配の圧力に抗して独立を保った日本は、急速な近代化に成功した。しかし、第一次大戦後、平和主義へと向かう世界の動向を読み違えて、軍事力による海外進出に突き進み、国際秩序への挑戦者となった。そこで、この過ちを痛切に反省した戦後日本は、自由や民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値と平和主義に立ち。国際秩序の形成への積極的貢献を国是とした」。

 佐伯はこの談話を「良く練られている」と評価する一方、「この談話はあくまでも米国の歴史観に従ったものだ」と鋭く指摘した。そして米国は第一次大戦後、「孤立主義」から「世界への関与」と方向転換を行い、その理由を「自由や民主主義を守り、国際秩序を形成するため」と解説する。

 米国はこの方針を第二次大戦後も、冷戦時代も維持し、人類普遍の価値観を世界化することで世界の平和を達成し、その使命を負っているのは米国だと考えてきた。安倍元総理の「70年談話」はこの米国の歴史観を前提に積極的な国際協調を図るという日本の立ち位置を示すものだ。

 ところがこの10年で世界も米国も大きく変貌した。それを決定的にしたのがウクライナ戦争の勃発とトランプ大統領の登場である。ウクライナ戦争をもたらしたのは民主主義による世界統一を目指した米国の価値観だ。ロシアの専制主義を打倒しなければ世界は平和にならないとする米国の価値観がウクライナのゼレンスキー大統領を操ってロシアのプーチン大統領を挑発しウクライナ戦争は起きた。

 ところが世界ではウクライナ戦争で欧米を支持する国は少ない。新興国のほとんどは欧米から距離を取ろうとしている。そして米国民も第一次大戦以来の米国のリベラルな価値観より、自国第一主義を訴えるトランプに共鳴し、自由や民主主義、人権、法の支配に対する強い不信感を表明したのが昨年の大統領選挙だ。

 米国自身が米国の価値観を裏切りつつあるときに、米国の歴史認識に立ち、米国の価値観で日本人を染め上げようとした「安倍戦後70年談話」をそのままにして良いのだろうか。しかし現在「石破おろし」を仕掛けている側は明らかに石破に「80年談話」を出させなくする目的で石破を辞任に追い込もうとしている。

 それは安倍の岩盤支持層と言われる「日本会議」が、村山富市総理の「戦後50年談話」を打ち消すため「70年談話」を出させた経緯があるからだと『日本会議の研究』(扶桑社)の著者である菅野完が「月刊日本8月号」に書いている。

 村山談話は終戦から50年後の95年に自さ社連立政権の村山総理が発表した。この談話で村山は日本の植民地支配と侵略行為がアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えたことを反省し、謝罪している。以来、05年には小泉総理が60年談話で、その後の歴代政権もこの談話を踏襲してきたが、15年の70年談話では安倍が侵略を明言せず、村山談話とは異なる表現も見られた。

 菅野によれば、そこに村山談話を打ち消したい「日本会議」の影響がみられるという。そのため菅野は石破が80年談話を出すことで村山談話の歴史認識に立ち返り、総理としての有終の美を飾るよう主張している。

 しかし「村山談話」は連立政権だからこそできた。内容には自民党も責任を負っている。自民党の橋本龍太郎や加藤紘一、野中広務などが作成のため奔走した。同時に社会党も自衛隊の存在や日米安保体制を容認した。表の建前とは異なり自民党は右翼的でなく、社会党も左翼的でないことが証明された。

 民主主義を至上の価値としてきた米国は政権交代するたびに国内の分断が激しくなり、ついには第一次大戦以来のリベラル・デモクラシーに不信感を抱く国民が多くなった。そして第二次大戦以降のブレトン・ウッズ体制、つまりドルを基軸通貨として米国が世界の軍事と経済の面倒を見ることにも限界を感じている。

 トランプが求めているのは対米自立である。それなら石破は米国の価値観によらない談話を書くべきだ。私は10年ばかりワシントンに事務所を置いて仕事をしたが、米国の民主主義には違和感を抱いてきた。人間を自然より上位に置くためだ。彼らは自然は人間に征服されるべきだと考えている。

 砂漠で生まれた宗教がそうさせているのだろう。しかし我々は四季を持ち、豊かな自然にはぐくまれて人生観を養ってきた。樹木にも岩にも小石にも神の心が宿ると思い、決して神にすがって生きようとは思わない。神を敬うが神から命令されたり断罪されたりはしない。

 米国の民主主義は先住民族を皆殺しにした。差別もなくなることはない。それを人類普遍の価値だと思うことはもうやめた方が良い。米国が大きく変貌しつつあるとき、政権交代を金科玉条の目標にする政治も考え直してみるべきだ。「選挙で勝てない総理を代えろ」と叫ぶのも良いが、選挙に勝たなくとも与野党が協力する政治のどこが悪いのかと思う。

 日本の戦争責任が注目される8月、「石破おろし」は最大の山場を迎えると思う。(文中敬称略)
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