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阪神間で暮らす-4

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

日枝久氏が出ない検証番組 フジテレビに失望しても絶望はしていない  大谷昭宏のフラッシュアップ

2025-07-17 | いろいろ



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大谷昭宏のフラッシュアップ 日枝久氏が出ない検証番組 フジテレビに失望しても絶望はしていない

 テレビ報道について2つの思いを抱いた。先日、日本民間放送連盟賞近畿地区報道部門の審査をした。今年もまた、取材対象によっては数年がかりになるドキュメンタリーに取り組む記者の姿に心打たれた。

 その一方で残念というより心底、憤りを覚えることがあった。このままではテレビは確実に見放される。

 一連の問題を受けて、フジテレビは先週日曜日、検証番組「~反省と再生・改革~」を1時間45分かけて放送した。

 役員など要職にあった人が女性社員を指名、接待要員のようにしていた人もいた。底無しの倫理観にあらためて怒りが湧いてきた。だが、この番組、そうしたことへの反省は盛り込まれていたが、検証番組としてはまったく体をなしていなかった。

 多くの人が注視していた日枝久元取締役・相談役が番組に登場することはついになかった。40代で局幹部となり、会長時代の24年間で8人の社長の首をすげ替えたという日枝氏。

 この権力者について役員に「逆らったら大変なことになる」などと語らせながら、「番組は日枝氏に3度取材を申し込んだが、応じることはなかった」と、一片の取材依頼書を見せて終わっている。

 そもそも組織の不正を検証する番組が、責任ある人物にふれないままで成立することは絶対にあり得ない。

 だが私は、失望しても絶望はしていない。記者の中から「日枝を突っかけ(自宅や出先で直撃)させろ」という声が出たはずだ。日枝氏抜きの検証番組に「恥ずかしくないのか!」という言い合いもきっとあった。

 そしてここで大事なことは、記者やカメラマンの本性、本能として、必ずだれかが音声や映像、最低でもメモ書きを残しているはずだ。ぜひそれを洗いざらいオープンにしてほしい。そこから噴き出してくる社会の声に、どう応えるのか。フジの再生・改革の第1歩は、その時踏み出される。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「ニュースONE」などに出演中。

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 大谷氏は記者の中には日枝に取材させろ、だとか日枝抜きに「恥ずかしくないのか」とか出たはず、と言っているがこれはあくまでも大谷流「良識あるある」の話、はたしてフジにそれがあるんだろうか、あったらこんなことになっていない。





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参政党・神谷氏の番組での発言は「誤り」→Xで本人は「必死ですね」と…参院選・候補者のファクトチェックでわかったこと

2025-07-16 | いろいろ



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参政党・神谷氏の番組での発言は「誤り」→Xで本人は「必死ですね」と…参院選・候補者のファクトチェックでわかったこと






 今回の参院選は報道にも注目だ。というのも昨年秋、兵庫県知事選が終わった途端にメディアは饒舌になったからである。以下のように。


  


 それならもっと早く言ってよ! するとメディアは「反省」や「検証」をし始めた。だったら今年の参院選は違うはず。日本経済新聞は公示前に「選挙期間中か否かを問わず、届けるべき情報をお伝えします」と誓いを立てていた(6月30日)。朝日も毎日も宣言していた。お、やはり変わるのか?


  



神谷氏の番組での発言は「誤り」だった

 今のところ政治家や候補者の問題発言や、ファクトチェックを各メディアが報じている。たとえば次だ。

『参政党・神谷宗幣代表の発言の真偽は? 「外国人からは相続税が取れない」と民放番組で…国税庁に確認したら』(東京新聞 2025年7月9日)

 参政党の神谷代表がテレビ番組で、「外国人からは相続税が取れない」と発言した。しかし国税庁によると、日本国内の土地や建物などの財産は課税対象となり、所有者(被相続人)や相続する人がどこの国籍であろうと、どこに住んでいようと、税を支払う必要があるという。つまり、神谷氏の番組での発言は「誤り」だった。

 この記事に対して神谷代表は「東京新聞も必死ですね」とXで引用ポストしていた。そりゃぁメディアも必死だろう。政治家が平気でデマを流すようになったらそれこそ「国益」を損ねるからだ。ファクトチェックに「必死ですね」と返す政治家こそ必死である。デマがばれたのが「効いている」のだろう。メディアはどんどん事実を確認して報道すればよい。

 神谷代表といえば昨年2月の文春の「元公設秘書が自殺 “パワハラ的言動”に悩み」という記事が印象深い。

『「参政党」神谷宗幣代表(46)の元公設秘書が自殺 “パワハラ的言動”に悩み、知人に〈どんな暴言吐いても許されるとか思ってるのかしら〉とメッセージを…神谷氏は「週刊文春」の取材に「責任は感じている」』(週刊文春 2024年2月8日)

 かなり驚いたが、現在では参院選で「日本人ファースト」を掲げて支持率を上げているという。ただ、その発言の数々は“歩くファクトチェック”と言っていい。



人間の負の感情を利用したバッシング

 公示後の第一声では「安い労働力だといって野放図に入れていたら、日本人の賃金が上がらない。いい仕事に就けない外国人が集団で万引とかをやって、大きな犯罪が生まれる」と発言(東京新聞 2025年7月4日)。しかし警察庁などによると、日本人を含めた摘発人数に占める外国人の割合は10年ほど前から2%前後で推移し、大きな変化はない。

 外国人が安い賃金で働くから日本人の賃金が上がらないというのも「賃金が上昇しないのは、長期化したデフレや非正規労働者の増加など、数十年間の複合的な問題が絡んでいる」(信濃毎日新聞 2025年7月13日)。

 そもそもこれまで「移民」という言葉を避けつつ、しかし「労働力」は欲しいという論理で技能実習生制度など“裏口のドア”を開けてきた。こうしたやり方はきちんと外国人の人権と向き合ったかどうか?

 人間の負の感情を利用したバッシングは常にある。先日、国が2013~15年に生活保護費を引き下げたのは「違法」という最高裁の判決があった。当時、引き下げ前はリーマン・ショック後の世界的大不況の影響があり、生活保護の利用者が急増した。

《一般世帯の暮らしも上向かないなか、生活保護制度や利用者を狙った「生活保護バッシング」が過熱した。》(朝日新聞 2025年6月28日)

 そうした状況下で迎えた12年の衆院選で、野党だった自民党は公約に「給付水準10%引き下げ」を掲げて大勝。政権に返り咲いた。

 弁護士の三輪記子さんは日刊ゲンダイのコラム(2025年7月1日付)で次のように解説していた。生活保護の受給は憲法25条(生存権の保障)に由来するもので、全て個人の尊厳(憲法13条)は「生きてこそ」。そのうえで当時の自民党は「生存権」を削るような「公約」を掲げたのだと。今回の判決がそれにダメ出しをしたのだと。

 三輪さんは、誰かの権利、自由を削るようなことを「是」とする「公約」に熱狂しても「それは自分にめぐってくるかもしれないのです」と危惧している。



自民幹部は「日本の国力低下を招きかねない」と

 そう、これは過去の話ではない。誰かを標的にして叩く、生活不安につけ込んだような排外主義はさらに増している。「誰かの権利、自由を削るようなこと」に興奮してはいけないのだ。その刃はいつか自分に向かってくるかもしれない。排外主義が自分とは無関係だと言えるだろうか?


  


 いつしか参院選の大きな争点は「外国人」政策となった。みっともないのは与党・自民党も引っ張られていることだ。参院選では自民党は「『違法外国人ゼロ』に向けた取り組みを加速化」と掲げている。ただ、施策の前提となる「ルール」を守らない外国人に関する客観的データが十分とは言えないと早々に報道されている(朝日新聞 2025年7月9日)。

 ちなみに「違法外国人ゼロ」を「違法日本人ゼロ」に言い換えてみるといかに大雑把で適当なフレーズかよくわかる。選挙戦が始まると石破茂首相は、外国人政策の司令塔設置も表明した。

 実は「日本人ファースト」についてこんな言葉があった。

《自民幹部は「排外主義につながるのならば、日本の国力低下を招きかねない」と参政の主張を警戒する。》(読売新聞 2025年7月1日)

「日本人ファースト」は国力低下を招く。与党として最低限の矜持はあるのかと思ったのだが、今ではすっかり引っ張られている。

 そんな状況下、新聞各紙は社説で外国人政策や排外主義について取り上げた。掲載順に紹介しよう。


  



小林よしのり氏に「参政党についてどう思うか」尋ねると…

 私は現在、選挙現場で会う候補者に「排外主義的な言説についてどう思うか」と質問している。先日、山尾志桜里候補(東京・無所属)の演説を見ていたら応援に漫画家の小林よしのり氏が来ていた。なので小林氏にも質問してみた。すると、

「言葉ってね、『公』の言葉と『私』の言葉がある。公の言葉にして言いすぎるとね、煽っちゃうんですよ。どういう言葉で言うかとか、それは言わないでおこうとか、そういう判断が必要なんですよ『保守」には」

 参政党についてどう思うか尋ねたら、

「ああ、あれは極右だよ」

 “あの”よしりんが呆れていた。

 先週末には東京都の小池百合子都知事が「競い合って排他主義、非常に危険だ」と会見で述べた。関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を送らない知事が何を言う? と思ったが、“あの”小池知事でさえ危険と感じる今のヤバさを痛感したのである。


◆◆◆

 文春オンラインで好評連載のプチ鹿島さんの政治コラムが一冊の本になりました。タイトルは『お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変 プチ鹿島政治コラム集2』。

  




  1970年生まれ。長野県出身。
  時事ネタと見立てを得意とする芸風で、新聞、雑誌などにコラムを多数寄稿。TBSラジオ『東京ポッド許可局』『荒川強啓 デイ・キャッチ!』出演ほか、『教養としてのプロレス』(双葉文庫)、『芸人式 新聞の読み方』(幻冬舎文庫)などの著書がある。
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鶴保庸介氏の中途半端な責任の取り方 「能登失言」で厳重注意とした自民党の対応にも違和感

2025-07-14 | いろいろ



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中山知子 取材備忘録  鶴保庸介氏の中途半端な責任の取り方 「能登失言」で厳重注意とした自民党の対応にも違和感


  


 参院選は13日、投開票日まで1週間の「ラストサンデー」となった。後半戦の1週間は、各党、各候補者の勝負の行方を左右するような大事な期間とされ、各党は接戦となっているような重点選挙区への党幹部や人気弁士などの投入を含め、必死の票の掘り起こしを続ける期間となる。

 そんな中「選挙戦の雰囲気を壊した」と、自民党の関係者から憤りの声が出るのが、自民党の鶴保庸介参院予算委員長の「また、運のいいことに能登で地震があったでしょ?」発言だ。8日午後、和歌山選挙区の自民候補の会合での言葉。政府の取り組みに触れる中での発言だったというが、だれが聞いても耳を疑うような、被災地や被災者への心ない発言。それでもその場で謝罪や撤回はなく、夜になって、謝罪と発言撤回の意向を記したコメントが発表された。翌日には記者会見で「例示で出すとしても不適切だった」とした上で、「今回は失言ということで、お許しいただきたい」と述べた。離党や議員辞職は「現状は考えていない」と薄ら笑いを浮かべながら口にし、ことの深刻さをあまり認識していないような対応だったと感じる。

 党の対応も「厳重注意」にとどまり、被災地の議会からも抗議文が発出される事態に及び、発言から4日たった12日、予算委員長辞任の意向が明らかになった。「時すでに遅し」とはまさにこのこと。少し前に、国民がコメ高騰に苦しむ中で「自分で米は買ったことがない」と発言し、「厳重注意」をへて数日後に更迭された大臣がいたが、今回、失言に対する自民党の対応力の甘さもあらためて浮き彫りになったと感じる。

 選挙戦のさなかの失言。現場で戦う自民党の陣営からは「より迅速に的確な対応をしなくちゃいけなかった」(関係者)と、恨み節も漏れた。選挙戦のさなかの発言が結果に影響を与えたことは、過去の参院選でもあったからだ。

 1998年参院選時は、「恒久減税」をめぐる橋本龍太郎首相の発言のぶれが要因となり、自民の議席は改選議席を大きく下回った。非改選を含めて参議院の過半数を割り込み、橋本氏は退陣に追い込まれた。

 また民主党政権の2010年参院選では、菅直人首相が消費税を10%引き上げる(当時は5%)との認識を示し、「増税」批判を受け大敗。菅氏はすぐに辞任はしなかったが、東日本大震災が発生した翌2011年の9月に退陣した。


  


 今回の鶴保氏の発言は、本人も「失言」と言っていた。出てしまった言葉は撤回表明でも消えるものではない。そうなると党側の対応が鍵になるのだが、選挙戦への影響を及ぼさないための「厳重注意」とみられたが、党内では「それですむのか」と反発が出ていた。結果的に発言から4日後、役職の辞任という「中途半端」(関係者)な責任の取り方に。その是非は選挙後、あらためて評価されることになりそうだ。

 以前の自民党では、特に被災地に関する失言への対応は、早く、厳しかった。選挙期間ではないものの、「復興より議員が大事」と発言した五輪大臣は直後に更迭され、東日本大震災をめぐりが「東北の方でよかった」と発言した復興大臣も、速攻で更迭された。当時は第2次安倍内閣。当時を知る関係者は「失言に対しては、かばってはいけない。特に国民の生活にかかわる内容のものだったら、なおさらだ」と教えてくれた。

 今回は選挙期間中で、能登半島地震が起きた石川選挙区も、鶴保氏の失言が出た和歌山選挙区も、改選議席が1の「1人区」。関係者によると、自民党内の調査では、従来は自民が強さを誇ってきた1人区でも、今回は野党候補と接戦になっているところが多いという。「選挙中だからこそ、厳しい処分をしなくてはならなかった。『厳重注意』とされても、時が過ぎれば忘れられる。まるで党が(鶴保氏を)かばったように見えたのも、よくなかったのではないか」という違和感の訴えも耳にした。

 石破茂首相がトランプ関税交渉をめぐり「なめられてたまるか」と街頭演説で強い口調で訴えたことも、波紋を広げている。永田町では、「綸言(りんげん)汗の如し」とはよく言われる言葉。選挙期間だからこそ、政治家や候補者の言葉に、有権者はよりきちんと耳を傾けている。

 【中山知子】



◆中山知子 (なかやま・ともこ)
  1992年に日本新党が結成され、自民党政権→非自民の細川連立政権へ最初の政権交代が起きたころから、永田町を中心に取材を始める。1人で各党や政治家を回り「ひとり政治部」とも。小泉純一郎首相の北朝鮮訪問に2度同行取材。文化社会部記者&デスク、日刊スポーツNEWSデジタル編集部デスクを経て、社会/地域情報部記者。福岡県出身。青学大卒。
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事実上の政権選択選挙と言われる参議院選挙の結末は五里霧中

2025-07-13 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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事実上の政権選択選挙と言われる参議院選挙の結末は五里霧中


  


 第27回参議院選挙が公示された。メディアは「事実上の政権選択選挙だ」と報じている。「事実上の政権選択選挙」とはどういう意味か。議院内閣制の国では下院(衆議院)の選挙で野党が多数になった場合に政権交代が起こる。参議院選挙で政権交代は起こらない。

 従って前回の衆議院選挙で自公政権が過半数を割り込んだ時が実は政権交代の時だった。野党の議席数が与党より多いのだから、総理指名選挙で野党の候補者が総理に選ばれるのが普通だ。ところが野党第一党の野田佳彦代表は総理に選ばれず、自民党の石破茂総裁が総理に選ばれた。

 なぜか。2つの理由がある。野党がバラバラで日本維新の会も国民民主党も立憲民主党代表を総理にする気がなかった。もう1つは仮に野田政権を誕生させても、参議院は自公が多数を占めているため法案は参議院ですべて否決されてしまう。野田政権は政権運営で行き詰まることが分かっていたからだ。

 そのため政権交代を果たすにはまず参議院で多数になり、それから衆議院選挙で勝つ必要がある。今度の参議院選挙で野党が多数になれば、衆議院でも参議院でも野党が多数になるので政権交代が実現したのと似た状況になる。

 メディアはそれを「事実上の政権交代」と表現している。しかしそれは政権交代と同じではない。なぜかと言えば石破総理が総理を辞めない限り、総理の指名選挙が国会で行われることはなく、衆議院でも参議院でも少数の石破政権が継続されることになる。

 参議院選挙に敗北した総理が辞めないことがあり得るのか。参議院で法案が1本も通らなくなることが分かっていれば辞めるのが普通だから、1989年の参議院選挙に敗れた宇野宗佑総理も1998年の参議院選挙に敗れた橋本龍太郎総理も直ちに退陣を表明した。

 ところが2007年の参議院選挙で惨敗した安倍晋三総理は続投を表明した。私は驚いた。参議院で法案が1本も通らないことを知らないのかと思った。当時はアフガン戦争に協力するため海上自衛隊がインド洋で米軍に対し給油活動を行っていたが、その法律を延長させないと11月に自衛隊は撤収することになっていた。

 安倍総理は小沢一郎民主党代表に法律の延長に賛成するよう泣きついたが断られ、国際公約違反の総理になることが確実になって、9月の臨時国会冒頭で所信表明を行った翌日、突然退陣を表明した。与謝野馨官房長官が病気のせいにしたことで世間的には持病のための退陣ということになった。

 2010年の参議院選挙で民主党の菅直人政権は消費増税10%を掲げて参議院選挙に惨敗した。しかし菅総理は退陣せず、さらに民主党の代表選挙に出馬して小沢一郎候補を破って代表に再選された。私は菅代表を再選させた民主党議員や支持者らは政治について何も知らないのではないかと疑った。

 自民党の協力がなければ参議院で法案を1本も通せない民主党政権は、続く野田佳彦総理が社会保障と税の一体改革という「3党合意」を成立させ、自暴自棄とも思える解散に打って出て第二次安倍政権の誕生を許した。民主党政権の未熟な政治が、その後12年にわたる「安倍一強他弱」という強権政治を生み出した。

 つまり参議院選挙で敗北しても退陣しなかった総理が過去に2人いた。それを思えば石破総理がこの参議院選挙に敗れても退陣するとは限らない。だから敗北した場合の責任を問われても、石破総理は「責任を取る」とは決して言わない。「厳粛に受け止める」とか「真摯に受け止める」とあいまいな表現にとどめている。

 仮に負けるにしても負け方の程度や野党各党の票の出方によっては連立の可能性が浮上する。連立が実現すれば少数与党の不安定な政権運営から脱することができる。あるいはかつて自民党が社会党の村山富市代表を担いで政権復帰を果たしたように、野党の党首を総理に担ぐ連立もあり得る。これらの動きは選挙結果で各党の議席がどうなるかによって決まる。それはまだ未知の領域である。つまり五里霧中である

 自公が参議院選挙で過半数を割り込み、石破総理が常識通りに退陣を表明すれば、自民党では総裁選挙が行われる。政治空白を避ける意味で総裁選挙は両院議員総会での国会議員だけの投票になる。前回の総裁選では地方票を多く集めた石破候補と高市早苗候補の決選投票になり、議員票の支持が多かった小泉進次郎候補が石破候補に協力したことで石破候補が勝利した。

 今度の総裁選には地方票がないため議員は選挙に勝てる人物を総裁に選ぶだろう。そうなると小泉進次郎農水大臣が勝利する可能性が生まれる。小泉自民党総裁は自民党が衆議院で比較第一党であることから総理指名選挙に立候補する。前回の総理指名選挙で日本維新の会も国民民主党も立憲民主党の野田代表に投票しなかった。今度はどうするのか。

 投票すれば野田総理が誕生して政権交代が起こる。投票しなければ石破総理に代わり小泉総理が誕生する。野田総理が誕生すれば、野党に転落した自民党は小泉総裁を先頭に立てて政権交代を狙うだろう。政治に緊張感が生まれ活性化すると思われるが、本当にそうなるのだろうか。

 石破総理の少数与党政権は野党に頭を下げることが運命づけられた政権である。少数与党は野党の協力を得なければ予算も法案も通すことができない。だから石破政権は衆議院選挙で躍進した国民民主党にまず頭を下げた。「103万円の壁の撤廃」を主張する国民民主党の要求を丸ごと受け入れた訳ではないが、所得税の控除額を160万円まで引き上げる妥協をした。

 次に石破政権は日本維新の会の要求に応え全世帯を対象に高校授業料の無償化を実現する。この合意を受けて予算案は修正され維新は予算成立に賛成した。また石破政権は立憲民主党の要求を受け入れ、高額療養費の引き上げを見送る決定を下した。

 こうして石破政権の下で政府提出法案は98%が成立した。これは「安倍一強他弱」時代の政権運営とは真逆の政治の姿である。「安倍一強他弱」時代の安倍政権は政策において野党の主張を受け入れる必要はなかった。自公が決めたことをその通りに実行しさえすればよかった。

 しかし少数与党体制はそれとは対照的に野党の意向をかなりの部分で受け入れた。衆議院の予算委員長を立憲民主党の安住淳議員が務めていることが象徴的だが、野党第一党の立憲民主党は予算成立に責任を有している。いたずらに予算成立を遅らせたり、不成立に追い込む立場ではない。

 私は自民党と社会党が対立した55年体制の末期から政治を見ているが、これは初めて見る政治構造である。これまでの日本の政治は「与野党が激突する姿を見せる」ことが基本だった。特に55年体制では野党が審議拒否を繰り返し、与党が強行採決で法案を成立させるのが常だった。

 国民のイメージには与党政権に激しく激突するのが野党という思いがある。ところがメディアは報道しないのだが、実はそれは全くの偽りで自民党と社会党は水面下で深々と手を握っていた。何のために。軍事でアメリカに敗れた日本がアメリカから富を吸い上げるためである。

 吉田茂が敷いた「軽武装・経済重視路線」とは、憲法9条を平和のためだと国民に信じ込ませて金のかかる軍事をアメリカにやらせ、その代わりに日本列島を米軍基地としてアメリカに差し出す一方、日本はアメリカに輸出をすることで金を稼ぐ仕組みを、与野党が「ぐるみ」で演じる体制だった。

 戦争の悲惨さを知る国民に憲法9条は受け入れやすい。しかし国際法で自衛の軍隊を持つことは禁じられていない。共産党の野坂参三議員は自衛の戦争を認めるよう吉田に迫ったが、吉田は9条を人類の理想だと突っぱねた。ところが一方で吉田は9条擁護の運動を野党にやらせ、アメリカが日本に軍事的要求を強めれば政権交代が起きて親ソ連の政権が誕生するとアメリカに思わせた。

 しかし憲法改正を阻止するのに必要なのは3分の1の議席で過半数ではない。社会党は護憲政党であることを強調して3分の1の議席を得る候補者しか選挙に立てず、政権交代を狙わずに「春闘」に力を入れることで日本経済の成長に寄与する役割を演じた。

 また55年体制の始まりと共に「事前協議制」と呼ばれる仕組みが自民党に導入された。外国では政府提出法案は議会に提出され与野党が論戦を交わす。ところが日本の政府提出法案は国会に提出される前に与党自民党の事前審査を受けるのである。具体的には部会で審査される。

 自民党議員は当選年次に関係なく部会に出席し、官僚が作成した法案に自由に意見を述べて修正を要求できる。若手議員はこの場で政策能力を磨く。官僚は自民党議員に根回しを行い、関係を密にする。ここに「族議員」が生まれる。

 法案は最後に自民党の最高議決機関である総務会にかけられる。総務会は多数決を採らない。全員一致である。そのために「修正」、「ガス抜き」、「会長一任」などの手法がとられる。全員一致で決まれば自民党議員には党議拘束がかかる。党議拘束がかかれば法案成立は確実だ。法案を作成した官僚の仕事はここで終わる。

 自民党総務会が決定して初めて政府は法案を閣議決定し国会に提出する。だから国会での与野党論戦は実は無意味である。そのため野党は法案を成立させないように審議拒否をするか、法案とは関係ないスキャンダルを追及して国民にアピールする。野党は与党と対立しているように見せているが法案の成立を許している。これが55年体制下の政治構図だった。

 ところが石破政権では「事前協議制」がなくなった。事前に野党の審査が必要になったからだ。今年の通常国会はその一端を示してくれた。これはこれまで見たことがない初めての政治構図である。そう考えると野党にとって政権交代が望ましいのか、それとも弱小な政府に幅広い民意を飲ませるのが良いのかという選択肢が出てくる。

 55年体制の野党は戦うふりをするが政権交代を狙わない抵抗野党で、与野党が協力して経済成長にまい進し、その結果、自動車や家電製品を集中豪雨的にアメリカに輸出してアメリカの製造業を駆逐していった。

 アメリカにはラスト・ベルト(さび付いた工業地帯)と呼ばれる地域が誕生し、貧困化した製造業労働者の怨念が現在のトランプ大統領を生み出したが、アメリカは1985年に世界一の債務国に転落したことで日本に対する逆襲を始めた。

 日本に円高を要求して輸出産業に打撃を与える一方、低金利を要求してバブル経済を起こさせ、経済の中枢にあった銀行を没落させた。さらに銀行の自己資本比率の基準を変えて貸し渋りや貸し剥がしを促し、労働力の流動化の名の下に非正規労働者を増加させ、日本経済をデフレに誘導したのである。 

 そしてアメリカは高度経済成長の背後に政権交代のない政治構図があることを見抜き圧力をかけてきた。これに応えたのが90年代初頭の「政治改革」である。アメリカやイギリスの小選挙区制度を真似て二大政党を作り、政権交代可能な政治構図を作ろうとした。

 しかしアメリカやイギリスを真似れば公明党も共産党も生き残れない。細川護熙総理と野党自民党の河野洋平総裁のトップ会談の結果、細川総理が丸のみした案は小選挙区制と比例代表制を折衷した小選挙区比例代表並立制だった。この時、同時に「金権政治」から脱却する意味で税金を政党に交付する政党助成制度が導入された。

 この政治改革は抵抗野党から政権交代を担う野党への転換を期待させた。そして現実に2009年には民主党政権が国民の期待の中で誕生した。ところが前述したように未熟な政権運営が落胆を招き、その反動が「安倍一強他弱」体制を引き起こす。

 「安倍一強他弱」とは自民党が国民から支持されていることではない。選挙において自民党は55年体制時代より格段に獲得票数を減らしている。毎回の選挙で野党の獲得票数を足し合わせれば自民党を上回る。野党がまとまれば政権交代が起きるのだ。しかし野党はまとまらない。

 90年代初頭の「政治改革」から30年が経って小選挙区比例代表並立制がもたらしたのは、二大政党制とは逆の多党化現象だった。つまり小選挙区より比例に比重があったのだ。しかも政党助成制度があるためちょっとしたブームに乗れば税金から交付金が支給される。新党が次々に生まれ、野党はバラバラになった。

 そして小選挙区比例代表並立制の下では、獲得票数が昔ほどではない自民党が議席の3分の2を占めるほど強力になった。これが「安倍一強他弱」を生み出した背景にある。90年代初頭の「政治改革」は所期の目的とは真逆の結果をもたらした。

 現在の少数与党体制は「一強他弱」の弊害を是正するための過程である。誰もやりたくはない頭を下げるためだけの役割を石破総理が演じている。その一方で選挙のたびに新党が生まれ、幅広い民意を代弁するようになった。この混迷した政治がどのような展開を見せるかは誰も予想できない。

 つまり選挙の結末は誰も予想がつかない五里霧中の中にある。しかしこれを悲観すべきだとも思わない。それよりも与野党が「ぐるみ」で経済成長にまい進し、身の程を超えた経済に浮かれた虚構を見つめ直し、この混迷の中から与野党が共に責任を持つ政治のありようを追求する必要があると思う。
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参院選前に知られると「不都合な真実」 柏崎刈羽原発の避難計画は「原子力規制委員会が審査していない」ことを知っていますか?

2025-07-12 | いろいろ



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参院選前に知られると「不都合な真実」 柏崎刈羽原発の避難計画は「原子力規制委員会が審査していない」ことを知っていますか?

政官財の罪と罰


 古賀茂明




 国際原子力機関(IAEA)が各国に求める「深層防護(Defense-in-depth)」をご存じだろうか。これは、原発の安全性を確保するために、必須とされる5段階の安全対策のことだ。


  第1層:異常の発生を防止する

  第2層:異常が発生してもその拡大を防止する

  第3層:異常が拡大してもその影響を緩和し、過酷事故に至らせない

  第4層:異常が緩和できず過酷事故に至っても、対応できるようにする

  第5層:異常に対応できなくても、人を守る

 というものだ。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きるまで、日本ではこの5層の防護という考え方が無視されてきた。しかし、事故後はさすがに無視できなくなり、これに基づいた規制基準を作ることになった……はずだった。

 しかし、結論から言うと、ほとんどの人が気付かぬまま、大変な欠陥基準ができてしまった。「異常に対応できなくても、人を守る」という第5層の防御が完全に抜け落ちた規制基準になったのだ。

 そこにはいろいろな言い訳があるのだが、真相を言えば、第5層まで基準に入れて原子力規制委員会が審査すると、日本の原発は全て動かせなくなるというのがその理由だ。

 第5層の防御の肝となるのが、過酷事故が起きた時の避難計画である。

 その重要性を示す良い例がある。それは、米国ニューヨーク州のロングアイランドに建設されたショアハム原発の事例だ。1984年まで10年以上かけて建設された原発が、避難計画が不十分だという理由で稼働できず廃炉が決まった。

 その際問題となったのは、陸路の渋滞とそれを回避するための船での避難計画だった。電力会社は、多少の悪天候でも運航できる専用の大型船の傭船契約を結んで確実に避難できるとしたが、その時にハリケーンが来ていたらどうするかという反論に対応できず、避難計画が不十分だという結論になった。

 6月27日、東京電力柏崎刈羽原発の事故発生時などの広域避難計画「緊急時対応」が了承された。

 これを聞いた人は、避難計画について、専門家が厳格な審査をしてその安全性にお墨付きを与えたと思うだろう。

 しかし、これは全くの間違いだ。そもそも、原発の安全性について規制基準に基づいて専門家により厳格な審査を行うはずの原子力規制委員会が、避難計画の審査を行うことはない。

 他の独立した専門家による審査も行われない。

 原子力防災会議という、単に大臣などが集まった素人集団が「了承」するだけ。そのトップは首相だ。東京電力など原子力ムラとベッタリの自民党の首相が避難計画に問題なしと言ったということでしかないのだ。


【写真】再稼働に向けて準備が整えられる柏崎刈羽原発はこちら

  


ツッコミどころ満載の避難計画

 これは法律的には何の意味もない。だから、新聞は、避難計画の了承を再稼働の「事実上」の条件と呼んでいる。法律的要件ではないのだ。

 石破茂首相は「国は万が一の事態が発生した場合にも、国民の生命や財産を守る重大な責務を負う」と述べた。実は、首相のこの言葉がポイントだ。

 避難計画がザルだということは誰の目にも明らかだが、カネのために動かさざるを得ない自治体の長が住民を納得させるために、「首相が責任を取ると言った」と言えることが必要なのだ。

 事故の責任を首相が取ると言ったところで、何の意味もない。命が奪われ、ふるさとが失われた時に石破首相に何ができるのか。それでもなお、首相に大見得を切らせ、住民に黙ってもらうという歌舞伎の芝居が必要とされる。お手軽な「免罪符」と言っても良い。

 ちなみに、柏崎刈羽の避難計画はツッコミどころ満載だ。例えば、避難の手段は基本的に自家用車を使うことになっている。学校で被災した子どもたち、高齢者施設や障害者施設で移動が困難な人たちはバスで逃げることになっている。だが、そんなことはほぼ無理だ。自治体職員もわかっている。

 日本で実際に原発事故が起きるのは、大地震の時だろう。東日本大震災でも大渋滞で身動きできないという状況が生じた。

 日本人は協調的で行政に協力する。役所が必要最小限の荷物だけ積んで車1台で避難せよと言えばそれに従う。そういう馬鹿げた想定をしているのだろう。

 避難が必要だとなった時、その時点では、どれくらいの期間避難が必要なのか見当もつかない。福島のように年単位で戻れないかもしれない。そう考える人々は、家にある自動車全てを使ってできる限りの家財道具を運ぼうとする。自分たちの命と生活に関わる問題である。住民には、自分たちで自分たちの身を守る権利がある。これを批判することなど誰にもできない。

 柏崎刈羽地域なら、2台、3台自家用車を保有している家も多い。その全てが一斉に道路に出ればどうなるのか。誰でも想像できる。しかも、多くの車がガソリンスタンドに集中してその周辺は全く交通が麻痺することは確実だが、そういう事態にどう対処するか、何らかの規制をするのかなどについては避難計画には書かれていない。

 さらに、問題なのは、地震で多数の死傷者が出た場合や道路が寸断された場合について何も書かれていないことだ。大地震による原発事故の際にほぼ確実に生じる事態だが、150ページを超える資料の中で想定さえされていないのだ。



原発の再稼働につれて報道も減っている

 こんなひどい計画が了承されるのは、再稼働ありきで、地元住民を「騙す」ために作られた避難計画だからである。柏崎刈羽原発で作られた電力は東京電力により首都圏に送られる。住民のための発電所ではないのに住民の安全を無視してなぜ動かすのか。

 こんな避難計画のまま再稼働を承認する自治体の長がいるとすれば、まさにカネのために住民を売る大罪人だと言って良い。

 私がさらに問題だと考えるのは、マスコミが、この欠陥についてほとんど報じないことだ。福島の事故後数年の間は、各地の原発の避難計画について、かなり詳細な報道がなされた。しかし、原発の再稼働が進むにつれ、避難計画についての報道は激減した。

 今回も、避難計画が了承されたことで再稼働の手続きが一歩進んだという経済産業省の発表をそのまま垂れ流している記事がほとんどだ。大スポンサーの原子力ムラの手前、強い批判はできないからなのだが、もはや報道機関としての役割を放棄したと言っても良い。

 本来なら、新聞の1面で大きな見出しをつけて、避難計画の欠陥を大々的に報じるべきだったがそれをしない。原子力規制委員会が避難計画を審査していないという事実さえ伝えないから、ほとんどの国民は知らないままだ。

 原発については、柏崎刈羽に限らず、避難計画以外にも大きな問題が山積している。

 使用済み核燃料の最終処分はほぼ不可能だ。最終処分場を受け入れる地域がない。各原発敷地内で永久保管するしかないが、住民の手前そんなことは口にもできず、そのうちできますと言い続けている。それを非難する記事もほとんど見かけなくなった。なぜ、最終処分場ができるという前提に立ったままの記事を書き続けるのだろう。経産省の担当官僚でさえ、そんなことはできないことは百も承知で、自分の在任期間中は演技を続けているだけなのに。

 また、事故が起きた時の避難計画を作っているのに、事故が起きた時の損害賠償については、昔の制度のまま放置していることも知られていない。政府が一種の保険を運営しているが、それで支払われるのは、原発1基あたり最大1200億円だ。

 福島第一原発の事故対応費用は、廃炉、賠償、除染・中間貯蔵などを含めて約23.8兆円という試算(2024年、資源エネルギー庁の発電コスト検証WG)がある。1200億円は1%にも満たない。しかも、事故対応費用は今後も時間とともに膨らんでいくのは必至だ。

 この事実もほとんど報道されてないので、多くの人は知らないままだ。

 さらに、そもそも日本の原発の耐震性が、民間の耐震住宅よりもはるかに低いこともほとんど報じられていない。三井ホームの耐震住宅が5115ガル(ガルは加速度。揺れの強さを示す)、住友林業では3406ガルに耐えられるのに、日本の原発の基準地震動(耐震性と考えて良い)は、高くても1000ガル程度でしかない。これについて、電力会社は、原発の敷地内に限ってはそれほど大きな揺れは生じないと言い続けている。南海トラフ地震の震源域に入っている四国電力伊方原発については、何と、原発直下で南海トラフ地震が起きた時でさえ、大して揺れないと言うのだから驚きだ。



争点にならない原発再稼働

 原発復活による問題は、国民の安全が脅かされるということにとどまらない。

 詳しくはまた別の機会に紹介するが、原発が再稼働し、さらには新増設もあるとなれば、再生可能エネルギーへの投資を減少させる効果が生じる。

 その結果、日本では、再エネ電源の増加が抑制され、そのために、日本の太陽光パネル産業は、世界トップの座を滑り落ち、今やほとんど壊滅状態だ。日本の太陽光パネルを買う国はない。

 また、風力発電も大手メーカーが全て撤退した。海外メーカーに頼るしかない。

 「経済安全保障」という掛け声をよく聞くが、やっていることは全く正反対である。

 さらに、原発を日本海に並べて稼働させているのは、国防上も大問題だ。原発は、戦時においては絶好の標的になり、破壊されれば深刻な放射能被害を受ける。攻撃すると脅されただけでも、全ての原発停止で大停電必至だ。今後は、膨大なコストをかけて、原発防衛のための体制を整えなければならない。原発推進は、安全保障の観点では、最悪の政策だ。

 これほどまでに原発をやめるべき理由がはっきりしているのに、これまで述べたとおり、マスコミの原発に関する報道は大きく減っている。あるテレビ局のディレクターは、能登半島地震の時でさえ、視聴率が取れないという表向きの理由で北陸電力志賀原発の状況を報道することが後回しにされたと嘆いていた。

 マスコミにおける原発事故問題への関心の低下あるいは報道自粛が、国民の間の「原発無関心」を生み、知らず知らずのうちに「原発安全・クリーン神話」復活に手を貸している。

 国民の関心が下がれば、政党もこれを取り上げなくなる。

 自民党は原子力ムラの利権を守りたい。国民民主党は電力や重工メーカーの労組の支持を得るために露骨に原発推進策を掲げる。立憲民主党もやはり労組忖度で、原発新増設を認めないとは言うが、逆に再稼働は黙認だ。

 今回の参議院選挙では、柏崎刈羽などの原発が争点になることはなさそうだ。

 そして、選挙が終われば、政府が、柏崎刈羽原発再稼働を強引に推し進めるのは確実だ。

 花角英世新潟県知事は原発立地自治体への「電源三法交付金」という補助金の対象地域の拡大を石破首相に要請し、首相は前向きな姿勢を示しているという。カネをもらえない地域の住民の反対が強いから、カネを出せばいいんだろうといういつもの自民党の姿勢だ。「政治家から住民への逆賄賂」と私は呼んでいる。これが決定打になってしまうのか。

 だが、まだ望みはある。新潟県民の良識だ。柏崎刈羽原発の再稼働については、新潟県民の粘り強い反対運動があり、県知事も安易な同意はできない。

 だが、万一住民の力が及ばなかった時は、もう一度原発事故が起きたり、北朝鮮が原発を狙う恐れが出てきたりしない限り、「亡国の原発推進」は止まらないのかもしれない。



古賀茂明 (こが・しげあき)
  古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。
  1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『分断と凋落の日本』(日刊現代)など
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