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沖縄「慰霊の日」 基地負担はいつまで続くのか?

2011年06月24日 | 日記
 沖縄は23日、戦没者を悼む「慰霊の日」を迎えました。66年前、太平洋戦争末期の沖縄戦で奪われた20万を超す命。激戦地の沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が行われました。

 今年が2回目の出席となった菅首相は、あいさつで「東日本大震災と原発事故という未曽有の困難のなかで慰霊の日を迎えることに特別な感慨を覚える。二度と悲惨な戦争を経験してはならない。いまなお沖縄には米軍基地が集中しており、慚愧(ざんき)に堪えない。今後、沖縄の負担軽減と危険性除去への取り組みに最大限努力する」と語りました。

 仲井真知事は平和宣言で「依然として強いられている過重な(米軍)基地負担の大幅軽減、危険な普天間飛行場の一日も早い県外への移設、日米地位協定を抜本的に見直すことを日米両政府に強く訴えていく」と述べ、普天間飛行場の県内移設を目指す政府との違いを強調しました。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をめぐり、北沢俊美防衛相は13日、県内移設を推進し、日米安全保障協議委員会(2プラス2)で代替施設の形状を滑走路2本のV字形と決める方針を沖縄側に正式伝達しました。しかし、沖縄側は猛反発、米議会でも「非現実的」と異論が出ており、混迷は深まる一方。二重の“ハードル”を前に、事態打開は当面絶望的な状況になっています。

 普天間飛行場の辺野古移設計画は自民党政権時代に決定し、日米で合意しました。民主党政権が発足し、鳩山由紀夫前首相が「最低でも県外」と約束したが、具体的な対案を示すことができず、「やっぱり辺野古に」と回帰してしまいました。前首相に振り回された沖縄県民にとって、民主党政権への不信は強まる一方です。

 戦後66年がたった今も、沖縄には多くの米軍基地があるという現実。さらに最近、米軍普天間飛行場に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが新たに配備されるとのニュースも報じられました。日米政府はどれだけ沖縄に「危険」と「苦痛」を押しつければ気が済むのでしょうか?

 「私たちが忘れない限り 平和は続くだろう だからこそ 忘れてはいけない この地には たくさんの笑顔が たくさんの夢が 眠っていることを」

 沖縄全戦没者追悼式で中学2年の女子生徒が朗読した自作の詩「幸せの一枚」のフレーズには、沖縄戦の悲劇を繰り返させない」「真の平和を取り戻したい」という沖縄県民たちの思いが込められています。