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列女百人一首《肆》

2012-03-10 | 異種百人一首

列女百人一首《肆》

031 いかにせむ都の春もをしけれど 馴れしあづまの花や散るらむ
   (熊野)

 熊野(ゆや)は『平家物語』の熊野御前、謠曲『熊野』の主人公。遠江池田の女で、平宗盛に寵愛され、任期を終えた宗盛に随って都に上る。春、故郷の母の病気の知らせに帰郷を願い出るが、熊野を花見に伴うつもりの宗盛は許可しない。そこで熊野が詠んだとされるのがこの歌である。

 磐田市の行興寺には熊野が好んだという「熊野の長藤」がある。熊野とその母の墓と伝えるのは石墓で、並んで小さい祠に祀られている。

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022 はかなしや浪の下にも入りぬべし 月の都の人や見るとて
   (厳島の有子)

 有子(ありこ)は厳島神社の舞姫。藤原実定(のちの後徳大寺殿)の厳島参籠に伺候した際に恋心を抱き、かなわぬ恋に悩んで入水したという。月の都は月宮殿を指すが、都の美称でもある。

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033 四つの緒のしらべにかけて三つ瀬川 しづみはてしと君につたへよ
   (呉竹)

 呉竹(くれたけ)は尾張の少女、琵琶の名手だった妙音院師長の召使。実際は現地妻だったらしい。帰洛する師長に琵琶を与えられて迎えを待つが、やがて音信さえなくなり、入水して果てる。本書略伝には呉竹を記念する琵琶橋があると伝えるが、現存する橋の名は師長橋である。「四つの緒」は琵琶の異称。

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034 忘れずとまづきくからに袖ぬれて 我が身をいとふ夢の世の中
   (江口の妙)

 摂津江口の遊女妙(たえ)は、以下に挙げた西行との歌問答で知られる。《新古今和歌集》の詞書によれば、天王寺詣での西行が宿を借りようとして断られた際の問答である。

  世の中を厭ふまでこそ難からめ かりのやどりを惜しむ君かな
  (新古今集 羇旅 西行法師)

  世を厭ふ人とし聞けば かりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
  (新古今集 羇旅 遊女妙)

 江口は淀川河畔にあって古くから歓楽街として栄え、遊里もあったらしい。「忘れずと」は遊女の身で客の約束を聞いているのである。

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035 つらかりし涙に袖はくちはてぬ このうれしさを何につゝまむ
   (衣手)

 衣手は貞女の鑑。略伝は離縁さるとも二夫にまみえずと書いたり赤縄(せきじょう)の契りと書いたり混乱が見られる。儒教を背景にした封建的思想にもとづく記述が多い本書だが、どれも理想としての貞女を描いているに過ぎず、当時の実際の女性たちははるかに自由だった。

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036 やどりあひおなじ流れを結ぶこそ 皆さきの世の契りなりけれ
   (手越の千壽)

 駿河手越は現静岡市駿河区手越。千寿(もしくは千手)は頼朝に愛された白拍子で、上記の熊野(031)をしのぐほどの美女だったと伝える。頼朝が捕えた敵将平重衡の無聊を慰めるために遣わされて恋仲となり、重衡処刑後は尼となって菩提を弔ったという。
 本書略伝は千寿を頼朝の侍女とし、出家のいきさつはなく、悲しみのうちに病死したと記す。

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037 こゝろざしあるかたよりの偽りは たが誠よりうれしかりけれ
   (眞袖)

 真袖は両袖を意味する言葉らしいが、人名の真袖は不詳。本書略伝によると繕いものをしながら子を育てて戻らぬ夫を待ち続けた貞女。別資料にはその夫から届いた「絹十匹綿百把参らする。ただし偽りなり」の文を見て上記の歌を詠んだとある。

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038 出づる息の入るをも待たぬ世の中に また來む春のたのまればこそ
   (梶原景季妻)

 梶原景季(1162-1200)は景時の子。頼朝の有力御家人だったが主君の死後没落。父子ともに駿河国で在地の武士団に襲われ、自害している(戦死とも)。景季の妻はしのぶ(信夫)というらしいが、夫の死後自害したとも遊女になったともいい、仔細は不明というしかない。悪役の息子の妻であり、哀れを誘う伝説があったのだろう。また来る春を待てるかどうかもわからぬ、束の間のはかない生を詠んだこの歌も実作かどうか。

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039 君が爲いとゞ命の惜しきかな かゝる憂き目を見せじとおもへば
   (祝部千枝)

 祝部千枝(はふりべのちえ)の父親は日吉の禰宜祝部成仲(なりなか)という。貧しさの中母が病死し、父親も病に倒れるが、千枝はその孝心ゆえに「よき人」に迎えとられ富貴の身となったとある。
 成仲は俊惠の歌林苑の会衆のひとり。日吉社の禰宜が貧乏というのは不審であるし、成仲は九十賀を行うほど長寿だった。家集があるほか『千載集』『新古今』などに三十首ほど入集している。

 上記の歌は『新拾遺集』に成仲女の作として載る。成仲の次の歌への返歌である。

 子にをくれてなげきける比 都に侍けるむすめのもとへつかはしける
 もろともに越えましものをしでの山 また思ふ人なき身なりせば
 (新拾遺和歌集 哀傷 祝部成仲)

 千枝の歌は子に先立たれた父親を思いやっての歌だというのがわかる。

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040 かきくもる涙もかなし 今さらに半ばの月を袖にやどして
   (半者川浪)

 半者(はしたもの)は端者とも書いて召使い、下女のこと。川浪の夫は中原通季(みちすえ)という琵琶の名手だったというが、伝は見当たらない。鎌倉時代に明法博士の中原広季(ひろすえ)という人物があり、名前からして関連がありそうな気がする。中原氏は平安時代、清原氏とならんで外記の職を世襲していた家柄である。

→異種百人一首目次