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藤原俊成≪八≫

2014-04-04 | 久安百首

久安百首◆藤原俊成≪八≫

071 露むすぶまのゝこすげのすが枕 かはしてもなぞ袖ぬらすらむ

  露の降りた真野の小菅よ 菅枕よ
  枕を交わしても涙の止まらないのはなぜだろう

《続後撰和歌集》恋歌。真野の小菅は歌枕の真野の萱原ではなく、近江国の真野の入江あたりだろう。真野川河口に湿地があり、菅の群落があったと思われる。菅枕は菅を束ねた簡易な枕。初句の「露」は第五句「ぬらす」の縁語なので、第二句までは有意の序詞である。

 もの思へばまのゝこすげのすが枕 絶えぬ涙に朽ちぞはてぬる
 (新後撰和歌集 恋 藤原顕仲朝臣)

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072 恋をのみ飾磨の市にたつ民の たえぬ思ひに身をやかへてむ

《千載和歌集》恋歌。飾磨は播磨の歌枕。飾磨の市に民の立つ日が絶えぬようにという意味かと思ったが、市に立つ民が身を売るように我が身を滅ぼすのかという解釈(久保田淳)もある。「身をやかへてむ」はそのほうが通じるか。

 わたつみの海に出でたる飾磨川 絶えむ日にこそ我が恋ひ止まめ
 (万葉集巻第十五 よみ人知らず)

遣新羅使もしくはその随身が詠んだ恋の歌。俊成はおそらくこの歌を念頭に置いている。

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073 いかにせむあまのさかてをうち返し 恨みてもなほあかずもあるかな

《新勅撰和歌集》恋歌。天の逆手は《古事記》や《伊勢物語》にも出る呪術。柏手の打ち方が通常とはちがうらしいが実態不明。「うらみ」とあるから手の裏を打ち合わせるとも考えられる。忘れるためのまじないも空しく、思いを断ち切ることができなかったと。

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074 忘れ草つみにこしかど 住吉の岸にしもこそ袖はぬれけれ

  住吉の岸辺に忘れ草を摘みに来たけれど
  すみよしという名とはうらはらに
  忘れられずに袖は涙に濡れるのだったよ

《続千載和歌集》恋歌。住吉の岸の忘れ草は《古今和歌集》以下さまざまな歌集に見られ、実際に住吉の川岸か湿原に生えていたと思われる。百合に似た藪萱草の花は一日花だといい、まじないには向いていたのだろう。

 住みよしとあまは告ぐとも長居すな 人忘れ草おふといふなり
 (古今和歌集 雑 みぶのたゞみね)

 いづかたかしげりまさると忘れ草 よし住吉のながらへて見よ

 (続古今和歌集 雑 清少納言)

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075 思ひわび見し面影はさておきて 恋せざりけむをりぞ恋しき

  思い悩んでお会いしたあなたの面影は
  (忘れられないから)さておくとして
  恋をしていなかった頃がなつかしい

《新古今和歌集》恋歌所収。歌に「さておきて」はめずらしい。勅撰集ではほかに殷富門院大輔しか見当たらず、使いにくい語と思われる。

 たぐひなくつれなき人はさておきて 生ける我が身のうらめしきかな
 (新続古今和歌集 雑 殷富門院大輔)

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076 いかばかり我を思はぬわがこゝろ 我がためつらき人をこふらむ

  どれほどわたしのことを考えない我が心であることか
  わたしに薄情なあの人を好きになるなんて

擬人法のユーモア。次の一首と同趣向だが、さして面白くはない。

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077 人をのみなどかうらみむ 憂きをなほ恋ふる心もつれなかりけり

  あの人ばかりをなぜ恨むことがあろう
  嘆きながらもなお恋するわたしの心も
  (わたしにとって)薄情なのでしたよ

《続後撰和歌集》は二句「なにうらむらむ」とする。人も我が心もともに恨むに足るのである。擬人法としてはこちらのほうがましか。

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078 恋しきに憂きもつらきもわすられて 心なき身になりにけるかな

恋しさのあまり嘆きも苦しみも忘れてしまい、思慮分別もなくなってしまったと。「心なき身」の解釈が難しいが、虚ろな状態ととらえてもよさそう。

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079 いとふべきこはまぼろしの世の中を あなあさましの恋のすさびや

現世は厭うべき幻の世ではないか。恋の気まぐれなど、なんと浅はかなことか。遊び半分の慰みが「すさび」だが、成り行きまかせもまた「すさび」である。

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080 敷きしのぶ床だにたえぬ涙にも 恋は朽ちせぬものにぞありける

  あの人を偲んで敷いた寝床さえ涙に朽ちてしまうというのに
  恋の思いは朽ちることがないのだったよ

《千載和歌集》恋歌は二句「床だにみえぬ」とする。「しきしのぶ」は誤写からうまれた歌語とされており、《万葉集》の次の歌がその元という。

 にはにたつ麻手刈り干し布さらす 東女を忘れたまふな
  (万葉集巻第四 常陸娘子)

常陸娘子(ひたちのをとめ)が京に上る藤原宇合に贈った歌。「庭に立つ」は麻にかかる枕詞。この歌の「布さらす」の表記「布暴」を「布慕」と誤写したことから「しきしのぶ」がうまれたのだそうだ。

 麻手ほす東乙女のかやむしろ しきしのびても過ぐす頃かな
  (千載和歌集 恋 源俊頼朝臣)

俊頼による本歌取り。上の句は有意の序詞。

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