俳諧畸人録◇大淀三千風《参》
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○三千風句選
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○行纏冥加あり長髄彦の神の春
○菫獨り立ちとまりつれ西行塚
○山遠く白鷺曇るさくらかな
○西行櫻木蔭の闇に笠捨たり
○祗園凉み床賃はたる烏かな
一句。行纏は脛巾で、読みも同じ。古くは布でなく藁を巻いたこともあったらしい。長髄彦は《古事記》に出る登美能那賀須泥毘古。脛に巻く行纏からの連想と思うが、実際に大和を旅していたとも考えられる。春の訪れた大和の山々を歩きながら、神武の東征軍と闘った往古の人物に思いを馳せたのだろう。冥加と言い神と言っているので長髄彦を祀る神社かとも思ったが、朝敵だったからあり得ないのかも。
二句。中山道を旅して西行塚に立ち寄ったと思われる。時期は芭蕉より先である。塚の前に一輪のすみれが咲いて、三千風とともに漂泊の歌人を偲んでいる。
三句。遠景である。春霞に白鷺がおぼろに見え、山の桜もかすんでいる。遠い桜を霞と見るのは和歌の常套だった。
四句。捨てられた笠の持ち主は何処に。「木蔭の闇」が桜の木の下に眠っている西行を髣髴させる凄み。
五句。川床の夕涼みは京の夏の風物詩。烏が床賃を払えとはたる(催促する)のが玉に瑕だと。風流に浸りきれないところが俳諧らしい面白味。
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○凉ふくや鹽尻おろし蜑ころも
○凉風に常冬見するしら根かな
○行く螢一樹に尻をすへさせよ
○墓原や心もしらず飛ぶ螢
○白雨や臥龍の鼾曾禰の松
一句。塩尻の地名は塩の道の終着点を意味するという。塩尻からの颪はどちらに吹くのだろう。塩尻峠を越えて諏訪盆地に吹き降ろすなら、蜑は諏訪湖の蜑である。
二句。涼しい風が吹いてくるのは常冬の国からか。見上げれば白根山は今日も雪を頂いている。
三句。言われてみればほたるは落ち着きのない虫である。子どもが喜んで追い回すのも尻の座らぬ虫だから。
四句。墓原は墓地。「あくがれいづる魂かとぞ見る」と和泉式部に詠われたほたるだが、故人を偲ぶ人の心も知らぬげに飛び回っているではないかと。
五句。松を濡らす白雨(ゆふだち)は雷鳴をともなっていた。雷鳴は龍のいびきであり、臥龍は左遷された菅原道真を指している。播州高砂の曽根天満宮には道真手植えの「曽根の松」があったと伝える。三千風の頃にはまだ枯死していなかったらしい。
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○五月雨や廿日京見ぬ比叡の山
○松崎や夏を咲せる木間富士
○妻良子浦やひよくの浮巣鴨の船
○伯耆富士松江の夏に蓋すなり
○しのぶずりのはしに序や杜若
一句。長雨を京でなく比叡から見た。比叡が見えぬより京が見えぬほうがはるかに寂しさが勝る。俗世との隔たりも実感できただろう。
二句。三千風は伊豆も訪れていたか。木の間から富士を望むその左手には夏の日にきらめく駿河湾が広がっていたはず。
三句。妻良子浦は松崎より石廊崎に近い。妻良と小浦、いずれかの浜に水鳥の浮巣を見て、地名から比翼の鳥を連想したと思われる。
四句。松江の夏を涼しくしているのは大山(伯耆富士)が蓋をしているから。飯櫃には夏の間だけ使用する竹で編んだ蓋があった。大山も夏用の蓋であると。
五句。芭蕉は《おくのほそ道》にしのぶずりの石を見たと書いている。名所と呼ぶにはおそまつなものだったといい、三千風もその傍らに咲く杜若のほうがましだと言いたかったのでは。
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○實櫻や淋しさ凝りて須磨の浦
○島原や蒔繪の鷗縫の雁
○月今宵鯲かぞへつあくた川
○飾磨川水魚のもみぢしがらめり
○恨み顏や雪引きかづき松黙す
一句。実桜は桜桃、夏の季語。須磨の浦は行平が「藻塩垂れつゝ」と詠ったところであり、源氏の蟄居した地でもあった。
二句。遊郭島原の絢爛さ。縫(ぬひ)は刺繍を指す。傾城の衣装も家具調度も贅を凝らしてこの世の極楽(桃源郷)を演出していた。
三句。鯲は泥鰌(どぢゃう)。芥川は明神岳から南下して淀川に注ぐ。歌枕。月の光に泥鰌が数えられるほどに澄んでいたらしい。和歌のほか狂言や常磐津(芥川紅葉柵)にも出るので、三千風は月下の芥川で感慨にふけっていたのである。
四句。こちらは播州飾磨。水魚はこの場合淡水魚を指すか。簗にかかった魚を紅葉に見立てたとも考えられるが、川と紅葉が水魚の交わりと呼ぶほどに親しいというのかもしれない。
わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそ我が戀ひ止まめ
(萬葉集卷第十五 讀人不知)
五句。雪を頭から引きかぶり、松は恨めしそうに黙っている。春の遠いことをうかがわせる。
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○発句は大正元年刊《聽雨窓俳話》(博文館)による
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