何とも懐かしい車です。確か1962年(又は1963年)のピニンファリナ・キャデラックジャクリーヌです。まだ、ケネディ大統領夫人だったジャクリーヌの名前を付けたワンオフです。4000万で売りに出されているようです。安いと思いますが、現在のブガッティやフェラーリを買う、現代の億万長者が食指を伸ばすでしょうか。フォゼリエという言葉がまだ健在で、コンクルール・デレガンスに出品出来る最後の車の一つではないでしょうか。ブガッティとこの車を並べられてどちらを選ぶでしょうね。
その頃は、専門紙でもカラーページは少なく、1~2ページあれば良い方でした。当然、この車も白黒ページで見ました。従って、てっきり色も白だと思ってました。今回初めてカラーで見た訳です。ベージュだったんですね。こういう大型のシンプルなデザインの高級車の色はシルバーか白だと思ってしまいますからね。しかし、大型のアメリカ車をエレガントに仕上げるPFの見事さ。
PFキャデラック・ジャクリーヌ
*)ジャクリーヌは、発表としては1961年のパリサロンでした
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ジャクリーヌだけではつまらない。そこで前後に発表されたモデルを並べて、1950年代からのファリナスタイルの変遷を味わうのも一興かなと。現在とは社会構造そのものが違う事を考慮しないと良さが伝わらないかも。貴族社会、フォゼリエ、後ろすぼまりに裾を引いたリアスタイルの流麗さ、ウェッジスタイル以前である事などを含んで味わって下さい。
1951 ランチアアウレリアB20 まだ戦前のブレーンバックが残る
1953 スチュードベイカー スターライナー
アメリカの良き時代ということでしょうか
1955 ランチア・フロリダ これを見てからアヴァンティを見るとぐっときます
米車を否定せず、吸収して自らのスタイルを完成している
1963 スチュードベーカーアヴァンティ
50,60年代に影響を与え合ったファリナとロウイ
1957 ランチア・フロリダⅡ
1961 キャデラック・ジャクリーヌ プジョー204 寸法は違えど親子ですね
プジョー404 通は、504から404に戻るとか。奥深い車らしいですね。
1966 アルファ スパイダー デュエット 最初はコーダトロンカではなかった
マツダルーチェRX87 ジウジアーロのエレガント
異なった魅力の裾の引き方
1968 プジョー504
1950年代ファリナスタイルとの決別。ところが、後ろに裾を引いている。
1966 BMC1800
新しい時代を開いた車だけど、後世の車と違って、これは後ろ下がりに裾を引いてウェッジではない。どこか前の時代を引きずるのですね。
1968 ビザリーニ マンタ
ジウジアーロによる本格的ウェッジの始まり
1971 FIAT130クーペ
1950年代ファリナスタイルからの完全に脱却した傑作。504と較べると・・・
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ファリナスタイルに1950~1960年代に影響を与え合った他のデザイナーの作品も同時に並べてみました。タッチは違うけどエレガントさは失っていません。車が工芸品としての性格を持っていた時代です。
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更に、量産モデルにまで影響がどの様に及んだか、見てみましょう。プジョー204の基本形が、ジャクリーヌから受け継いでいることが分かります。デュエットもウェッジ以後のコーダトロンカと全く雰囲気が違います。
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フロリダ以前も並べてみたくなりました。ランチアが、戦前からのブレーンバックを引きずっていても、FORDの様なドライなものでなく、それなりの様式を感じさせる。それが、米車のスタイルも良く吸収しながらファリナスタイルを完成させているのが面白い。決してアメ車を否定してはいないのですね。
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1953年のスターライナーの良い写真を付け加えました。アメ車的ギドギド感も無く、ヨーロッパ車より上品でさえあります。アメリカの良き時代を味わって下さい。
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止まらなくなりました。マンタ、LOTUS56によってウェッジ時代の幕が開く。そのトレンドに沿って、50年代ファリナスタイルを完全に脱却した傑作。ところが、70年代は、イタリアのストライキ多発による疲弊、カロッツェリアの変質が続いた。
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ジャクリーヌまでの美しい袖引きデザインは戦後派の若い北米市場や日本市場では抒情的すぎて弱弱しく見えるということを見切ったことで510ブルと240Zという大成功作に繋がったといえる。
510ブルとジウジアーロは何の関係もないが袖引きデザインを克服するためのウェッジデザインという意味で同時代性を持つ。