特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

東武バスイースト前史 完 ─我々のバスガチャは当りか外れか─

2021年09月30日 08時08分38秒 | 旅行
親ガチャというワードがクローズアップされている今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 
 困ったことに本日とうとう東武バスイーストの命日を迎えてしまいました。
東武バスイーストがこの世に生まれ出づる以前の路線バス事業は行政の許認可制下に置かれていて、かいつまんで申しますとある土地の住人がバスはあの会社がいい、いやこっちの会社はもっといい、などとバス会社を選ぶことなどできませんでした。乗れるバスはその土地に昔から根付いている会社の路線だけです。
 
土地に昔から根付いているということを言い換えれば、我々のふるさとを形作って来たバス会社とも言えます。
まさに我々はバスの子であったのです。そして子は親を慕い、親の背中を見て育つのです。そう、このキッコーパンと東武バスに囲まれた子供たちのように。
 
ま、バスの子でも天気の子でも、きのこたけのこでもなんでもいいのですがわたくし、境営業所がいつ越谷営業所の出張所になっちゃったのか忘れてしまいまして年表に書いておりませんが興味ある方はぜひ調べてみてください。

相変わらず年月日の数字がガタガタしている年表ですが、最前から申してきたように原資料が見当たらずしょうがないから「東武バス年表」からのパクリ引用は文末に★マークをつけました。その他ブログをやり始めてからあちこち出向いて見て回って来た数々の参照書籍類はこちら



───年─── ─月・日─ で き ご と
1991年平成3 10.1

東武バス(野田)、北越谷~岩井車庫間を茨城急行移管★ 

「東武バス年表」の作者による『東武バス(野田)』という表記は野田出張所管内の意らしい。それならば(境)の誤り

1992年平成4   東武鉄道、該年度新車100輌(うち乗合70輌 日野U-HT2MMAA いすゞU-LV324L)
貸切車両のロゴマークをTO-BからTOBUに変える。
車内に発光ダイオードによる「停留所名表示器」を取付。
この年、日本サッカー協会に日立製作所サッカー部が千葉県柏市をホームタウンとして申請
4月 境営業所(地元の方聞き取り)、小山経由岩井車庫-野田市駅線を廃止
4.10 昭和55年2月11日以来続いてきた北部地区(栃木・前橋営業事務部管内)から南部地区への「バス運転士定期出張制度」廃止
6.15 国道6号松ケ崎入口停留所に停車中の東武バスに茨城県伊奈町の男が運転するトラックが後ろから衝突。運転士と乗客女性1名負傷
7.1 国立療養所松戸病院と国立柏病院が統合され「国立がん研究センター東病院」が出来る。
同日西柏営業所、柏駅西口~国立がんセンター線を開通。将来のがん研究センター線増発を見据え、
若柴循環・三井団地・布施・野田市駅・東急柏ビレジ・市立柏高校の各線および
阪東自動車北花崎・船戸木戸各線の発着を高島屋前の新発着場へ移し柏駅西口バスのりばに4番と5番を新設、
2番のりばを柏の葉公園ゆき(52回/日)、柏の葉公園経由国立がんセンターゆき(31回/日)、
税関研修所経由国立がんセンターゆき(9回/日)および高田車庫ゆきの発着場とす
8.13 柏市布施交差点で北柏駅ゆきバス(会社不明)とタクシーが衝突事故。タクシーの乗客にケガ
1993年平成5 1.31 春日部駅野田線ホーム東武商事経営「春日部ラーメン」、同店自慢の玉子麺を工場で仕込むところからスープ作り、ラーメン出来上がりまでが
テレビ東京『ラーメン・うどん・そば三大麺人気の秘密』の「駅の立ち食い店特集」で紹介される。
レポーターはフォーク歌手・三上寛
4.20 東武バス(越谷)、北越谷~エローラ間を開業★ 
これも越谷営業所管内の意ならば誤りで(西柏)が正、出張所まで書きたいならば(野田)が正。
エローラ線は開業時から系統が北02だったので
ここで野田市駅-市役所経由-北越谷線の系統が北02から野02へ戻されたのであろう。
また『広報こしがや』には「北越谷駅-エローラ・JA松伏前間のバス路線が・・」という書き方をしており
JA松伏止まりが開通当時から設けられていたことが判る。
途中停留所に花田一丁目南・花田三丁目を新設しておりまた当路線が初めて
現在東大沢橋バス停のある越谷市道北越谷東口線を通過するバス路線であったことも判る☆
7.5 廃院となった国立柏病院跡地に柏市立柏病院が開院し国立柏病医院入口を市立柏病院入口へ改称
7.26 西柏営業所、野田市新市庁舎敷地内に野田市役所停留所を新設し
野01系統野田市内循環線を開通。距離7.2km 運賃野田市役所~野田市駅130円、内廻りと外廻りあり
11.16 日立FC柏レイソルがJリーグ加盟審査に落ち、翌朝のワイドショー番組(番組名失念)で柏駅東口のバスのりばからパンして柏そごうスカイプラザにアップする映像が流れる
12.24 柏市大室の農家などで結成の常磐新線開発反対大室協議会の何らかの事情により柏北部土地収用説明会が中止される
1994年平成6   この頃までに柏03系統の方向幕に「市立柏病院経由」が付されている
4.29 柏市が40億4400万を投じ5年掛かりで整備していた「あけぼの山農業公園」が開園
7.1 東武バス、流山市内循環バスを受託★
7.7 東武鉄道、労組に対し「バスカードシステム」導入を提案説明
11.7 常磐新線開発反対大室協議会、運輸省・運輸大臣あて抗議文作成送付
12.5 東武鉄道、経営者側が組合に対し業務量の減少に伴う事業規模の縮小、
併せて事務職要員削減のため境営業所をB格営業所へ格下げする旨提案

1995年平成7

1.24

東武労組、下館出張所廃止および境営業所格下げの件につき会社側と妥結。
妥結案により境営業所女子寮を運転士仮眠場へ変更したため観光ガイドは退去のうえおのおの民間アパートへ転居
  4月 東武鉄道、ドン小西デザイン新制服を導入

9.27

野田地方史懇話会主催「関宿歴史散歩会」の一行が野田市駅から関宿中学校前(運賃720円)まで野田市駅8時20分発境車庫行(境営業所)のバスに乗る
10.1 東武鉄道、年平均約4,700万円の赤字(平成3年以降)だった
境車庫・工業団地入口~野田市駅線(境営業所)廃止、朝日自動車株式会社事業継承。
350~400万円/年への赤字削減狙い車両を大型から中型車へ変え、
赤字分は全額関宿町が補填する。
野田市駅~工業団地入口間5回/日、同~関宿城博物館間5回/日、同~境町間6回/日
10.3 関宿城博物館(11月1日開館)に朝日自動車乗入開始、
境町車庫(朝日自動車車庫)で河井弘関宿町長、中山忠美博物館長出席のうえ開通式挙行のうえ
博物館~関宿町役場間に出席者一同乗車。
野田市駅~境町800円、同~博物館690円、清水公園入口~博物館640円、関宿町役場~博物館390円
12.7 年定かならず、この年あたり、
日本テレビ「午後は○○おもいッきりテレビ きょうは何の日」で『野田醤油株式会社が創立した日』が放送され東武バス映る
1996年平成8 5.5 地元協力のうえ野田出張所管内柏市立高校入口停留所に待合場と上屋根を設置
11.1 沼南営業所、柏駅東口~自衛隊正門前線を高柳駅へ乗入れ。
あわせて沼南町役場~高柳駅~自衛隊正門前間新路線運行開始、
平土のみ運行9回/日、役場~高柳駅間210円、役場~自衛隊正門前間260円
1997年平成9 3.31 柏警察署が柏市呼塚から同市松ヶ崎に移転したので警察前の停留所名を呼塚交差点に改める
4.1 柏駅西口~国立がんセンター・高田車庫・柏の葉公園の各線にバスロケーションシステムを導入。
停留所の電光表示板にバスが3つ前の停留所を通過した時から順次ランプが点灯して接近情報を知らせ、
一つ前の停留所に近づくと「まもなくバスがまいります」と音声で知らせるもの。
車載装置・中央制御装置を含めた導入経費は約1億円。
いずれも導入路線は柏駅西口とを結ぶ、柏の葉公園経由、税関研修所経由の国立がんセンター線2本と高田車庫線、柏の葉公園線の計367本
4.3 関宿町に次木親野井特定土地区画整理事業で着工していた関宿中央ターミナルと宝珠花跨道橋が完成
5.1 春日部駅~西宝珠花~工業団地入口・東宝珠花線の西宝珠花折り返し便と、東武動物公園~西宝珠花線を関宿中央ターミナルまで延長★ 
「西宝珠花」は「西宝珠花車庫」のこと。「西宝珠花折り返し便」は「西宝珠花車庫線」が正
7.1 朝日自動車、関宿町による用地買収の結果バス乗入が可能になった川間駅前に境・関宿方面行バスを乗り入れ
7.25 関宿町が毎週金曜日、町職員にバスや自転車の利用を促す「ノーカーデー」を開始
8.10 東武鉄道、創業百周年を記念し同社初のホームページを開設
9.19 この日までに東武バス布施線大減便され、柏発布施弁天行きわずかに平日3本、休日6本☆
9.30 野田市内循環線廃止、野田市は代替に市営福祉循環バス運行を謳うが赤字拡大一方のためおって廃止
1998年平成10 2月頃 朝日自動車、野田市駅・川間駅~境間に上新宿バス停を新設
9.1 流山市内公共施設間循環バス、ルート変更し上耕地運動場入口、流山郵便局、前ヶ崎城址公園、駒木交差点、上駒木各停留所を新設さる
10.13 総武流山電鉄株式会社がつくばエキスプレス運営予定の首都圏新都市鉄道株式会社に対し
経営維持の30億円融資、営業補償20億円などを求め東京簡易裁判所に調停申立をなす
11.21 テレビ東京『アド街ック天国』が初めて柏を放送。ゲスト・サンプラザ中野、三井ゆり。
富士見軒、ペデストリアンデッキ、宇佐美さんの紹介VTRに前後扉の阪東バスや東武バス映る
1999年平成11 3.31

西柏営業所、柏駅段差解消工事完成に合わせ柏駅西口~国立がん研究センター線に車椅子スペース付ノンステップバス2台投入。
全日運行98回のうち12便をノンステップ運行とす

4.1 流山市前ヶ崎に流山運転免許センター開所。
同日西柏営業所、柏駅西口~免許センター間(3回/日)、南柏駅~免許センター間(10回/日)を新たに運行開始。
南柏駅・免許センター間に東部公民館前・前ヶ崎・東部中学校前・東分署前・前ヶ崎城址公園の5停留所を新設。
柏駅西口~八木中学校前線に「流山高等学園前」停留所を新設し回数を1回増発して免許センターまで延伸す。
「富士見橋」を「免許センター入口」に改称
4.24 西柏営業所、千葉県立柏の葉公園総合競技場で行われる柏レイソルvs浦和レッズ戦シャトルバスを
柏駅西口および江戸川台駅東口間に運行
10.1 東武バス(境)、春日部駅~関宿中央ターミナル~東宝珠花・関宿工業団地入口間を朝日自動車に移管★
10.31 東武バス(野田)、野田市駅~越谷駅線廃止。野08 北越谷~愛宕駅~紫ゴルフ場線休止★
11.25 東武鉄道、新鎌ヶ谷駅を開業
2000年平成12 3.1〰7 「休日にバスが駅まで行かない」との苦情あった柏駅東口にて日曜ごとの歩行者天国中止のうえバスの乗入をなす実証実験を実施
4.1 朝日自動車、野田市駅・川間駅~工業団地線を「関宿はやま工業団地」まで延伸する★
同日、越谷営業所境出張所廃止。境車庫-東武動物公園駅間・関宿中央ターミナル-東武動物公園駅間運行会社が朝日自動車株式会社に変更される。『広報せきやど』で河井関宿町長が「バスのある町づくりを目指す」と標榜
7.12 株式会社そごうが破産。恐らくこの頃から柏駅東口方向幕にも「高島屋」の商業マークが付される
10.1

東武バス(沼南)、柏~戸張間の経路を変更し、巻石堂前、柏公園入口停留所を廃止★
同日埼玉県松伏町で丸和運輸機関が設立した株式会社ジャパンタローズが町内循環バスの運行を開始、
運賃100円均一、乗車日1日間通用、該年12月31日までは無料の特典あり。

同日京成電鉄傍系成田空港交通の松戸駅-成田空港線が柏駅西口高島屋経由となる
同日朝日自動車が東武動物公園駅-吉田橋止りを廃し全便境車庫まで延長す

12.12 野田出張所最後のダイヤ改正を行う。
柏03系統の枝線、野田車庫-柏市立高校線が片道1回/日で残る
2001年平成13 7.11 東武鉄道、江戸川台駅西口~東京駅八重洲口間にJR関東バスと共同運行の高速路線バス運行開始(12回/日)、おって江戸川台駅西口から東口へ発着地を移す
10.1

東武鉄道、西柏営業所野田出張所を廃止。
野田市駅-下町-北越谷駅間、野田市駅-中央出張所-北越谷駅間、野田市駅-流山駅前間、梅郷駅-野田梅郷住宅間、北越谷駅-エローラ間、北越谷-松伏溜入下間路線廃止、同日茨城急行自動車株式会社、
松伏-松伏溜入下間を除く右各路線おのおの営業開始し野田営業所を設け二ツ塚、梅郷五号公園、梅郷八号公園の各停留所を新設。

同日柏駅西口-柏市立高校・東急柏ビレジ・三井団地・木野崎入口経由野田車庫・同野田市駅・梅郷電建住宅経由野田車庫・同野田市駅各・野田市駅-電建第一住宅-大利根温泉間を西柏営業所ダイヤに移し従来ダイヤともども大規模な改正、
柏12系統16号経由柏駅西口・柏市立高校線を片道1回/日へ減回、復路の柏市立高校発並びに柏03系統野田車庫-柏市立高校間、野田市駅・野田車庫-大利根温泉間のうち木野崎入口経由を廃止
また恐らくこの日か該年末までに沼南営業所管内柏20系統緑ヶ丘循環および柏28系統亀甲台循環が廃止されている。

同日朝日自動車、野田市駅-川間局入口間を廃止し野田市・関宿町間の路線が川間駅発着のみになる

2002年平成14 1.20 千葉県バス対策地域協議会が規制緩和前最後の協議結果を発表し
県内赤字182系統のうち国補助運行維持26系統、市町村補助運行維持5系統、
今後の状況を見ながら当面は運行を続け継続して協議するという結論に達した継続協議系統が
全体の74%に当る135系統、廃止合意は1路線もなかった。東葛地区の継続協議系統数は14。
1.30 東武鉄道、東武バス株式会社を設立し乗合・貸切バス事業を譲渡
2.1 改正道路運送法施行され路線バス事業への新規参入・赤字路線からの撤退が自由化される
4.1 西柏営業所管内柏駅東口-戸張間が東武鉄道より
バス共通カード未導入の阪東自動車に運行会社変更され運賃低減。
同日北柏駅-パークシティ守谷間もまた東武鉄道より阪東自動車に変更されるが関鉄共管線のため運賃に変更なし
同日東武バス西柏営業所管内北柏駅-柏北高校間の柏中央病院停留所が南花崎に改称される
4.4 東武バス株式会社が西柏営業所管内および沼南営業所管内の運行管理会社として西柏営業所に東武バスイースト株式会社を設立。
同日東武バスイーストが西柏営業所を西柏営業事務所と改称
    次回をつくるのはあなた

 文字列の崩れた見苦しい年表を長々せこせこと作ってまいりましたが、かくして今を遡ること20年前東武バスイーストなるバス会社が我が郷土に誕生したわけです。
 あれもつい昨日のことのように思いますがもうあれから20年も経ってしまったのですね。

 郷土を彩って来た路線バスのそこからの歴史をまとめ上げる作業はもはや後代の人々の労に任せざるを得ないほどわたくしも老いた。小児運賃でバスに乗っていたのがついこの前のような気がする一方で東武バスのラブリーパスとやらが貰えるまであと何年だろうかなどと勘定をするようになりました。

 しかしながらむくむくと沸き立つ老婆心を抑えきれず2、3さらなる蛇足を申しますと、
東武鉄道のバス分社化以降の特筆すべき大変事として、2005年和暦で申せば昭和の大帝がお隠れになってから16年目のつくばエクスプレス開業、それにともなうバス路線大再編が挙げられるでありましょう。
 全くもってつくばエクスプレス沿線においてバス路線の改廃あらざりし所は総てなく、千葉県内においては柏-流山、柏-野田間という郷土の偉大な先人たちが築いた古い路線、茨城県や東京都でも北千住-花畑大鷲神社・桑袋団地間とか荒川沖-江戸崎間などなどやはり歴史ある路線が次から次に姿を消していきました。さらには2010年には東宝珠花から春日部行きも出なくなった、宝珠花橋に登っていく途中の牛小屋の光景が懐かしい。1時間に1本か2本あった野田梅郷住宅循環線も今年、1時間どころか平日1日に1,2本のみになってしまった。
 
 
 

茨城急行に移譲されてわずか1年、2002年末の野田-流山間の廃止も当時は時代の流れと諦観していましたが恐らくは自身が生まれて初めて乗ったバス路線であったことを今改めて思うとき俄かに胸が詰まってまいります。
 柏シネマに天空の城ラピュタを見に行ったり丸井柏店の地下ゲーセンで脱衣麻雀に熱をあげていた高校生時代にはそごうのデッキの下を見やれば緑ヶ丘循環、亀甲台循環などと大きく掲げ、どてっぱらに青い帯をまとった東武バスが、それはそれはもう将来廃止されるなど夢にも思えないほど青いそごうマークを輝かせながらにぎやかに駅前を発していたものですがそれも今は昔。
 東口のバスのりばの真ん前には東武のジューススタンドがあって高校の時にグレープフルーツ味ができた。美味しいかと思ったら酸っぱくてびっくりして口をすぼめてるわたくしの目の前を泉入口という今は失われた行先のバスがズイーっと走り抜けていった、青春の思い出は甘酸っぱいものです。

 最後に今では大人の労働者となったわたくしが小児運賃でバスに乗ることができた昭和54年の東武交通労働組合様の意見表明をもって締めとさせていただきます。

 

「自動車事業の今日的現状は、戦後の国家的交通政策の構造的欠落にその基本的要因が存在するものであり、独占資本優位の自民党政権が、国民生活と直結した公共交通の総合的施策を持たなかったことに起因している。
 そしてこれに従属するかのごとく、私企業としての私鉄・バス経営者が、一時的には路線拡大に狂奔して、目先の利潤追求に走ったり、マイカー等の増大に伴うバス経営の危機が到来するや、それの回避策を大衆収奪の運賃値上げによる増収策と言う安易性によりかかり、政府が持つ許認可権にふりまわされ、合理化強要を通じてバス労働者にその犠牲を求めるという消極的姿勢に終始し、公共交通としての私鉄・バス経営者の責任を放棄し、運賃値上げ―利用者のバス離れという悪循環を招きつつ、自動車事業の構造的欠陥をつくり出してしまったのである。
 したがって、自動車事業の基本的な再建の方向は、公共交通としてのバス輸送の重要性を国家的政策の中で位置づけることの努力を経営者みずからが行うことでなければならない」
1979年2月10日「東武組合新聞」通算第1554号

 



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