セントシュタイン三丁目

DQ9の二次創作(主にイザ女主小説)の、全くの個人的趣味なブログです。攻略の役には立ちません。悪しからずご了承ください。

星のオーラがあるうちは

2011年05月13日 01時15分48秒 | 本編前
 守護天使をやっていると、人間の愚かしさに呆れることがしばしばある。
 何故、物事を深く考えようとしないのか。どうして過去を教訓にせずに、同じ過ちを繰り返すのか。目の前の欲に流され、後に払う代償のことなど考えもしない。そうしてできた歪みの犠牲になるのは、いつも弱者だ。
 その弱者を助け、結果星のオーラを得るのだから、天使の身の上としては都合がよかったが、釈然としない思いを抱えて、イザヤールはかすかに苛立つことがあった。
「人間は、本当に守る価値がある生き物なのでしょうか」
 イザヤールは師のエルギオスに、その釈然としない思いをぶつけてみた。
 するとエルギオスは、世界樹に捧げようと手にしていた星のオーラを、そっとイザヤールに手渡して、答えた。
「うまく説明するのは難しいが、私は・・・星のオーラが生み出される間は、人間は大丈夫だと思っている・・・」
 そう言った師の優しい微笑みと、手の中の星のオーラの、気のせいかかすかなぬくもりに、いつしか心は和らいでいった。
「過去の過ちを繰り返してしまうのは、人間の『忘れる』能力の為かもしれない」
「忘れる?それが能力ですか?」
「人間はとても弱い生き物だ。忘れることで、何とかしたたかに生きている者も居るのだ」
 だからといって、それが過去に学ばない言い訳にはならないだろうが、とエルギオスは呟く。
 人間は、とても弱いから。辛い時に、忘れることで一時しのぎする者も居る。忘れていなくても、忘れた振りをして少しでも笑うことで、勇気を振り絞る者もいる。
 とにかく、生きる為に。
 そうして生きることで少しずつ日々を積み重ね、そうして・・・
「その結果、こうして星のオーラを生み出す心のゆとりを得られるうちは、きっと人間は大丈夫だ」
 日々に喜びを、ささやかな幸せを、感謝する気持ちを見つけられるうちは。
「それらを全く見つける気がなくなった時が、絶望、と言うのだろうな・・・」
 奇しくもやがて自らがその絶望に陥ると、夢にも思わないエルギオスは呟く。絶望とは、状況よりも、その心の内の塗り潰しだと、彼がこのとき気付いていたら、何かは変わっていたのだろうか。
「人間の中には、生きてさえいれば希望はあると思っている者も居るそうだ。楽天的だな」
 そう言ってエルギオスは笑い、イザヤールも笑って、師に星のオーラを返した。
(これがあるうちは大丈夫、か・・・)
 内心呟き、イザヤールは先ほどより心晴れた思いで、師と共に世界樹に続く階段を上がっていった。〈了〉

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドラクエ悲喜こもごも | トップ | ニセモノ義賊を捕まえろ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿