ONLY DAILY ・・・ あおいあお

毎日が昨日になり、今日になり、明日になる。
誰のものでもない、自分の心を自分の言葉で。

極彩色の蝶

2024年06月23日 | 記し

ある日、90歳を超える母が目を丸くしてこう云うのだ。

「夜中に目が覚めるとね、黒い蝶が飛んでいたの」

母は、認知症の症状は一切ない人である。

多少神経質で心配性ではあるが、日常生活に差し障りがあるわけではない。

肉体的には弱ってきてはいるが、自立した生活を送っている。

ただ心配事が多く、ストレスも一人で抱え込むタイプである。

なかなか寝付けなく、処方してもらった睡眠薬を飲まないと眠れないとも言っていた。

私は、夢でも見たのだろうと、軽く受け流した。

その日母もそれ以上はそのことに触れなかった。

それから数日して、母は再び同じことを言った。

「黒い蝶がひらひらと飛んでいるのよ。本当よ」

何か訴えているかのようでもあった。

母は2ヶ月に一度のペースで通う内科の主治医がいる。

私は次に先生に会う時に話してみようと母を落ち着かせた。

何の心配もいらないという態度を見せながら、私の頭の中は、認知症の予兆なのかと不安が横切った。

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ある友人の話

2021年08月01日 | 記し

友人がいたが、今はもういない。

2年前の4月、ゴールデンウィーク前に彼はいつものように軽口で「連休中に手術して、終わるころに戻ってくる」と話した。

連休が明けたら軽く一杯やろうと約束して別れた。

もう二人とも朝方けまで飲み明かすほど体力も気力もなかったから、軽くと言わずとも必然に軽く一杯になる。

手術の日を聞いていたので、その日から数日して携帯に電話をしてみた。

何度かかけているうちに、やっと彼が電話口に出た。

「痛いんだよ」

細々とした声が返ってきた。

それ以上の言葉は続かない。

その様子から長電話は悪いと思い、「元気になったらまた電話してくれ。待ってるよ」と言い残して電話を切ったが、その「痛いんだよ」が最後の言葉になろうとはその時思いもしなかった。

それから電話がかかってくることはなかったし、こちらからかけても繋がらなかった。

思い切って家族に彼の様子を尋ねた。

集中治療室にいるとの返答があったが、詳しくは話さなかった。

一度見舞いに行きたい旨を伝えたが、今は会えないと言われ、何か心の中がすっきりしないまま話は終わった。

(簡単な手術じゃなかったのか)

彼の様子から勝手にそう思い込んでいた自分に戸惑った。

彼の携帯は電源が切れたまま、家族に幾度か電話したが返事はいつも同じで、次第に迷惑そうな受け答えになっていくような感じであった。

(一体何があったのか。手術のミス、それとも入院中に他に悪い箇所でも見つかったのか)

想像だけが駆け巡り実態が全く分からないのはそれこそ体に毒だ。

4月末の連休初めに病院へ行ってから、瞬く間に1年の終わりを迎えた。

新年になれば見舞いにも行けるだろうと高をくくっていたが、翌年は2020年。

新型コロナ感染が広がり社会も生活も一変することになる。

もはや会うことなど叶わなくなった。

入院してから2年以上過ぎ、彼の身が尋常でないことは誰でもわかる。

時折、大丈夫なのかと、心の中では死という言葉も浮かんだりもしていた。

そんな折、電話の連絡で彼の死を知ったのだった。

亡くなって1か月ほど経つという。

なぜもっと早くと言いたかったが、電話口では悼む気持ちを返しただけだった。

彼との思い出はいろいろな場面、状況で様々にある。

少しずつ思い出して記しておきたい気持ちになった。

不可解なこともあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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