東北福祉大学被害者を救う会

石母田の私道で東北福祉大学による騒音等で苦しむ被害者を支援する会の公式ブログ

東北福祉大学学長 大谷哲夫氏は石母田騒音問題の報告を受けているのか?

2016年04月30日 | Weblog

 東北福祉大学の前学長や昨年新学長になったという大谷哲夫氏は、自校が原因で発生したいわゆる「東北福祉大学騒音事件」について正確な事実の報告を受けているのだろうか。そんなことはないと思うが、万一、知らないなどということがあれば、大学の最高責任者としては怠慢の誹りを免れまい。

 いやたとえと一通り知っていたとしても、債務者(大学側)の言い分だけでなく、債権者(被害者)側の話にもしっかり耳を傾け、事件のあらましと「和解」にいたった経緯をしっかり勉強してしかるべきだろう。学長就任前に起こった事件を正視しようではないか。「みんなへの感謝」を卒業式の祝辞で口にし、卒業生を励ましているのを聞くと、「まず隗(かい)より始めよ」ではないか。そうした感謝の精神こそが、仏道の根本にある「忍辱」であり、問題解決への第一歩ではないだろうか。

 しかしそれにしても、これだけの長期にわたって住民の生活を攪乱しておいて、東北福祉大学の運営責任者から「ご迷惑をおかけしています」といった謝罪の言葉はただの一度も聞いたことがない。これは特殊な「大学」のケースかもしれないが、いささか首をかしげたくなる。おもんばかってみれば、こうした行為こそがハラスメントだとすれば理解できる。なぜなら、ハラスメントの当事者は、被害者に対するみずからの行為に気づいていないことが多いからだ。ならば、「私たちはあなたがたに苦しめられ続けています」、とはっきり訴えておきたい!!

東北福祉大学騒音被害者の「看板」の由来

2016年04月29日 | Weblog
 昨日の雨も上がった。昨晩のことをこれまでの看板騒動とあわせて思いを巡らせてみた。このブログでも少し紹介してきたが、2008年に私道問題の和解が成立しても、和解事項がときとして守られないことがあり、危機感をつのらせた被害者住民が、債務者の東北福祉大学の良心に訴えかけようと、ささやかな対策として「学生通行禁止」の看板を設置した。設置から数年、看板には一切何事も起こらなかった。穏やかで静かな生活を求める住民の思いとしてそこにあった。ところが、突然昨秋になって、看板が盗まれたり、新たに設置された看板にいたずらされたり、昨晩のような破壊行為が繰り返されるようになった。

 それだけではない。債権者住民のもとへこれも再三にわたって債務者の学校関係者から看板撤去を一方的に強要するような話が届いている。これは上から目線によるパワハラ以外のなにものでもない。じつに失礼かつ無礼な話ではないか。

 和解事項が完璧に実施されていれば、看板などはじめから必要ないからだ。


東北福祉大学の私道通行を促す看板に抗議する!!

2016年04月28日 | Weblog
 少し前のことになるが4月11日頃であろうか、東北福祉大学は、被害者(私道地権者でもある)の同意もなく私道一部を自校の利益のために使用してもよいかのような看板を2枚設置した。多くの被害者がそれを見て目を疑った。あまりの驚きにしばらくその看板から目を離すことができなかったという。

このような傍若無人な振る舞いは、まったく礼儀をわきまえない野人のすることではないか。無力で弱い住民に対するパワハラ行為に他ならない。「過ちは改めるにしくはなし」。このブログで紹介した「高等教育機関ですから」といった大人の振る舞いを切に望みたい。

福祉大騒音被害者の看板に対する妨害行為の報告!

2016年04月28日 | Weblog
 ゴールデンウィーク前夜、仙台は冷たい雨が降っている。
 その夜陰に紛れ、また暴挙が行われた。石母田の私道に設置されている「学生通行禁止」の看板がいたずらされ、あろうことか道路側に押し出されているのが発見された。乗用車などの車両の通行を妨げるように何者かによってずらされたのだ。コンクリートのブロックで道路の脇に据えられているものが、風ひとつない晩に動くはずがない。大の大人がしゃかりきにならないとびくともしないからだ。
 住民が防犯体制を強化していた矢先で、ただちに気づいたからことなきを得たものの、このようなサポタージュは、一つ間違えば大きな事故にもつながりかねない。犯罪行為にも等しい。繰り返される愚行は、一体誰が仕組んでいるのか!!

 住民の安全を脅かす悪質ないやがらせには断固として抗議する。学生を含む住民が事故に巻き込まれては取り返しがつかないのだ!!

 愉快犯かもしれないが、一体誰が得をするというのか? 

石母田の私道の今――「看板」をめぐる不可解な話、その後1

2016年04月03日 | Weblog
 暑さ寒さも彼岸までとはよく言いますが、仙台では「花冷え」という言葉があるように、どうも寒暖の差が激しくて、年とともに身体に応えるものです。

 さて、2008年から設置されていた「学生通行禁止」の看板が、突然、昨年秋、設置から7年も経過して、誰の目にも日常化していたとき、何者かに持ち去られ、忽然(こつぜん)として姿を消した、という盗難事件については、すでにこのブログでもご報告しています。「東北福祉大学被害者を救う会」(http://blog.goo.ne.jp/sukuukaijimu)では、やむを得ず、自費で新たに作成し設置したこともご承知の通りです。それにしても、設置から7年話題にもならなかった看板がどうして、いまごろになって「事件」となるのか。このあたりの消息について、少し考えをめぐらせてみたいと思います。

 2008年、仙台地方裁判所で債務者・東北福祉大学と債権者・騒音被害者との間に「和解事項」が定められ、東北福祉大学は、公道の利用が義務づけられるとともに、自校のために私道を学生に通行させることに対して厳しい制限が設けられました。それによって、ようやくのことで、沿道住民の住環境が保護されるようになりました。その判決は、住民が多額の費用と時間をかけて勝ち得たものです。

 先日、尊敬すべき福祉大の幹部は、ある集会で「私たちは、高等教育機関ですから【騒音など迷惑問題について】決まったことは、学生教育によってしっかり守ります」と胸を張っていたと聞きました。しかし、裁判前とは比べものにならないものの、依然として住民はしばしば福祉大に起因する騒音に脅(おびや)かされ、不安な生活から完全に解放されているわけではありません。いつ悪夢が再来するか、不安におののいている、といってもよいのです。
 
 福祉大関係者が看板を目にすることで、つねに和解事項を反芻(はんすう)してもらいたい、という被害者の切なる願いにほかならないのです。東北福祉大学が、「巨大な象」のような存在だとすれば、私たち被害者は、一匹の蟻(あり)にも等しい無力な存在に過ぎません。蟻には、財力も権力も隠れ家もありません。債務者(福祉大)の吏員は、法人の力をたのみに力をふるえますが、債権者(被害者)は、素手で受けとめ、ときとして心に深傷(ふかで)を負います。

 私たちにあるのは、「一寸の虫にも五分の魂」、という精神論だけです。とはいえ、ある著名な文学者が「人が老いるのは年を取るからではない。理想を失うからだ」と言っていますが、その意味では精神論もときには思いおこさなくてはならないのかもしれません。

 最近、この「看板」をめぐって、ある「噂(うわさ)」を耳にしました。(つぎのブログへ続く。)