東北福祉大学被害者を救う会

石母田の私道で東北福祉大学による騒音等で苦しむ被害者を支援する会の公式ブログ

緊急報告!

2017年05月16日 | Weblog
昨晩、緊急事態が発生しました。

これまでにも不審者によって何度か危害を加えられた「学生通行禁止」の看板に、またぞろ破壊行為が行われました。
看板を固定していたワイヤーを鋭い刃物で切断するというもので、きわめて危険で悪質な犯行といえるものです。看板というのは、昨年、河北新報(http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160605_13007.html)やテレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーなどでも大々的に取りあげられ、全国的にも有名になった石母田の「学生通行禁止」を告知するものです。

「学生通行禁止」の看板は、昨年、東北福祉大学の申立によって仙台簡易裁判所で数度にわたって行われた「調停」においても、沿道住民の生活を守る「和解条項」を広く周知するための方策として、設置に問題なしとされたものです。2008年に設置され、10年近く経ち、すでに概ね認知されているにもかかわらず、このような妨害行為が、昨年来くり返されるのは、一体何者の仕業なのか? 

犯人の心当たりもなく、さっそく警察に被害届を提出することになります。住民は驚きと恐怖を禁じえません。

とりいそぎ、この事件に関心をお持ちの全国の方々にご報告申し上げます。

来る年2017年に向けて

2016年12月30日 | Weblog
 石母田の私道も静かな年の瀬を迎えています。今年は裁判所の調停をめぐり、半年あまり何かと気ぜわしい1年でした。今回の調停は、ことのほか話題になり、全中(全国中継)のワイドショーに取りあげられたり、新聞、インターネット、SNSなどでもさかんに話題にされたりもしました。全国各地から励ましのお言葉なども頂戴しました。しかし、私たち私道沿道の住民の願いはただ、「静かな生活を守る」ということだけです。来る年は、静かな1年であることとご支援いただいている皆様方のご多幸をお祈りして、1年の締めくくりとさせていただきたいと思います。

東北福祉大学は、公道通行とマナー教育の徹底を!

2016年05月26日 | Weblog
 季節もよくなり、散歩するにも気持ちのいい頃になってきました。
さて私道の通行状況ですが、このところ20時台にグループで東北福祉大前駅へ向かう学生の皆さんの中には私道を大声で笑いながら歩いて行く人が特に目立ちます(他の時間帯にもありますが)。
 東北福祉大学におかかれては、公道を通行するよう指導を徹底していただきたい。


東北福祉大学学長 大谷哲夫氏は石母田騒音問題の報告を受けているのか?

2016年04月30日 | Weblog

 東北福祉大学の前学長や昨年新学長になったという大谷哲夫氏は、自校が原因で発生したいわゆる「東北福祉大学騒音事件」について正確な事実の報告を受けているのだろうか。そんなことはないと思うが、万一、知らないなどということがあれば、大学の最高責任者としては怠慢の誹りを免れまい。

 いやたとえと一通り知っていたとしても、債務者(大学側)の言い分だけでなく、債権者(被害者)側の話にもしっかり耳を傾け、事件のあらましと「和解」にいたった経緯をしっかり勉強してしかるべきだろう。学長就任前に起こった事件を正視しようではないか。「みんなへの感謝」を卒業式の祝辞で口にし、卒業生を励ましているのを聞くと、「まず隗(かい)より始めよ」ではないか。そうした感謝の精神こそが、仏道の根本にある「忍辱」であり、問題解決への第一歩ではないだろうか。

 しかしそれにしても、これだけの長期にわたって住民の生活を攪乱しておいて、東北福祉大学の運営責任者から「ご迷惑をおかけしています」といった謝罪の言葉はただの一度も聞いたことがない。これは特殊な「大学」のケースかもしれないが、いささか首をかしげたくなる。おもんばかってみれば、こうした行為こそがハラスメントだとすれば理解できる。なぜなら、ハラスメントの当事者は、被害者に対するみずからの行為に気づいていないことが多いからだ。ならば、「私たちはあなたがたに苦しめられ続けています」、とはっきり訴えておきたい!!

東北福祉大学騒音被害者の「看板」の由来

2016年04月29日 | Weblog
 昨日の雨も上がった。昨晩のことをこれまでの看板騒動とあわせて思いを巡らせてみた。このブログでも少し紹介してきたが、2008年に私道問題の和解が成立しても、和解事項がときとして守られないことがあり、危機感をつのらせた被害者住民が、債務者の東北福祉大学の良心に訴えかけようと、ささやかな対策として「学生通行禁止」の看板を設置した。設置から数年、看板には一切何事も起こらなかった。穏やかで静かな生活を求める住民の思いとしてそこにあった。ところが、突然昨秋になって、看板が盗まれたり、新たに設置された看板にいたずらされたり、昨晩のような破壊行為が繰り返されるようになった。

 それだけではない。債権者住民のもとへこれも再三にわたって債務者の学校関係者から看板撤去を一方的に強要するような話が届いている。これは上から目線によるパワハラ以外のなにものでもない。じつに失礼かつ無礼な話ではないか。

 和解事項が完璧に実施されていれば、看板などはじめから必要ないからだ。


東北福祉大学の私道通行を促す看板に抗議する!!

2016年04月28日 | Weblog
 少し前のことになるが4月11日頃であろうか、東北福祉大学は、被害者(私道地権者でもある)の同意もなく私道一部を自校の利益のために使用してもよいかのような看板を2枚設置した。多くの被害者がそれを見て目を疑った。あまりの驚きにしばらくその看板から目を離すことができなかったという。

このような傍若無人な振る舞いは、まったく礼儀をわきまえない野人のすることではないか。無力で弱い住民に対するパワハラ行為に他ならない。「過ちは改めるにしくはなし」。このブログで紹介した「高等教育機関ですから」といった大人の振る舞いを切に望みたい。

福祉大騒音被害者の看板に対する妨害行為の報告!

2016年04月28日 | Weblog
 ゴールデンウィーク前夜、仙台は冷たい雨が降っている。
 その夜陰に紛れ、また暴挙が行われた。石母田の私道に設置されている「学生通行禁止」の看板がいたずらされ、あろうことか道路側に押し出されているのが発見された。乗用車などの車両の通行を妨げるように何者かによってずらされたのだ。コンクリートのブロックで道路の脇に据えられているものが、風ひとつない晩に動くはずがない。大の大人がしゃかりきにならないとびくともしないからだ。
 住民が防犯体制を強化していた矢先で、ただちに気づいたからことなきを得たものの、このようなサポタージュは、一つ間違えば大きな事故にもつながりかねない。犯罪行為にも等しい。繰り返される愚行は、一体誰が仕組んでいるのか!!

 住民の安全を脅かす悪質ないやがらせには断固として抗議する。学生を含む住民が事故に巻き込まれては取り返しがつかないのだ!!

 愉快犯かもしれないが、一体誰が得をするというのか? 

石母田の私道の今――「看板」をめぐる不可解な話、その後1

2016年04月03日 | Weblog
 暑さ寒さも彼岸までとはよく言いますが、仙台では「花冷え」という言葉があるように、どうも寒暖の差が激しくて、年とともに身体に応えるものです。

 さて、2008年から設置されていた「学生通行禁止」の看板が、突然、昨年秋、設置から7年も経過して、誰の目にも日常化していたとき、何者かに持ち去られ、忽然(こつぜん)として姿を消した、という盗難事件については、すでにこのブログでもご報告しています。「東北福祉大学被害者を救う会」(http://blog.goo.ne.jp/sukuukaijimu)では、やむを得ず、自費で新たに作成し設置したこともご承知の通りです。それにしても、設置から7年話題にもならなかった看板がどうして、いまごろになって「事件」となるのか。このあたりの消息について、少し考えをめぐらせてみたいと思います。

 2008年、仙台地方裁判所で債務者・東北福祉大学と債権者・騒音被害者との間に「和解事項」が定められ、東北福祉大学は、公道の利用が義務づけられるとともに、自校のために私道を学生に通行させることに対して厳しい制限が設けられました。それによって、ようやくのことで、沿道住民の住環境が保護されるようになりました。その判決は、住民が多額の費用と時間をかけて勝ち得たものです。

 先日、尊敬すべき福祉大の幹部は、ある集会で「私たちは、高等教育機関ですから【騒音など迷惑問題について】決まったことは、学生教育によってしっかり守ります」と胸を張っていたと聞きました。しかし、裁判前とは比べものにならないものの、依然として住民はしばしば福祉大に起因する騒音に脅(おびや)かされ、不安な生活から完全に解放されているわけではありません。いつ悪夢が再来するか、不安におののいている、といってもよいのです。
 
 福祉大関係者が看板を目にすることで、つねに和解事項を反芻(はんすう)してもらいたい、という被害者の切なる願いにほかならないのです。東北福祉大学が、「巨大な象」のような存在だとすれば、私たち被害者は、一匹の蟻(あり)にも等しい無力な存在に過ぎません。蟻には、財力も権力も隠れ家もありません。債務者(福祉大)の吏員は、法人の力をたのみに力をふるえますが、債権者(被害者)は、素手で受けとめ、ときとして心に深傷(ふかで)を負います。

 私たちにあるのは、「一寸の虫にも五分の魂」、という精神論だけです。とはいえ、ある著名な文学者が「人が老いるのは年を取るからではない。理想を失うからだ」と言っていますが、その意味では精神論もときには思いおこさなくてはならないのかもしれません。

 最近、この「看板」をめぐって、ある「噂(うわさ)」を耳にしました。(つぎのブログへ続く。) 

債権者(被害者)からの一言

2016年02月29日 | Weblog

 東北福祉大学(債務者)が起こした「事件」を過去のこととしたくとも、東日本大震災の被災者がそうであるように、時の経過によって債権者(騒音被害者)の苦しみが薄れることも、その記憶が風化することも決してない!

 福祉大前駅の乗降者は増え続けており、駅ができた恩恵を受けている人も多いだろう。しかしそれによって騒音、不審者のいたずらなど生活に不安を抱える人がいることを肝に銘ずるべきだ。高等教育機関を自負する以上、東北福祉大学は、駅開設の功罪をしっかり受けとめ、自省し、弱者に対する対策を常に怠ってはならない。みずからの弱さを自覚することが「福祉」の原点を見つめることであり、その修練を忘れてはならない。

 2008年の裁判前に書かれたhttp://blogs.yahoo.co.jp/noiselimit07(「東北福祉大学(仙台市)から石母田の静かな生活を守ろう」のブログ)を時々は再読してもらいたい。
 
 いうまでもないことだが、この地区には福祉大学の学生も多数生活しているのだから、住民の安心安全を守ることは学校の責務でもある。


【提言】急がれる安全対策

2016年02月29日 | Weblog
  最近、東北福祉大前駅に「学生通行禁止」の看板が見えなくなった(国見作業所から私道へ入る入口の看板も取り外された)。そればかりか、「私道地権者」に何の相談も断りもなく、駅から私道へ至るスロープ(連絡通路)もまったく往来自由であるかのようになっている。

 実はくだんの看板には大きな効用があった。直接には通学生に対する注意喚起であった。しかしその副産物として意外な効果があったのだ。それは不審者が入りこみにくくなるという効果である。そのことがこの「事件」で明らかになった。通行禁止の看板がなくなったことで、閑静な住宅地に不審者を招き入れることにつながったのでなければよいが。大いに不安になる。 東北福祉大学(債務者)は、住民が安心して生活できるように、学生通行禁止の看板を復活すべきである。

 それに加えて、債務者(東北福祉大学)は、2008年5月に裁判所で和解が成立した時点に原状復帰すべき箇所がある。つまり、かつて設置されていたように、私道から駅へのスロープ(連絡通路)の入口の門扉をそのままの状態しておくべきだ。状態を変えていい理由はない。

参考資料:http://blogs.yahoo.co.jp/hukushidai07(「東北福祉大学の騒音研究会」資料編)ブログ

【緊急報告】石母田の私道「不審な事件」相次ぐ!

2016年02月28日 | Weblog
 今年の冬は例年ほど雪もなく、時々騒がしいことに耳をふさげば、天気は穏やかに過ぎているかに見えた。しかし、なかなかそうでもないような話が耳に入ってきたので皆様にご報告しておきます。

 このところ何度か「東北福祉大学騒音被害者」の家のポストの下に、家人の目につくよう、鋭利な刃物で切られた果物が置かれていたり、門扉の留め金がずらされていたりと立て続けに悪質ないたずらが行われた。何の嫌がらせなのか?

 住民は早速最寄りの警察に報告し、巡査が現場を視察した。巡査によると、悪質ないたずらであろうが、巡回などの回数を増やして重大な関心を持って警戒したい、とのことであったという。監視カメラの設置も検討に入ったという。


 不審者には十分用心したい。

「通学道路」(西山道路)という幽霊

2016年02月08日 | Weblog
 先のブログで紹介した2016年2月7日開催された東北福祉大学との会談の席上、「騒音被害者を救う会」の住民に直接関連する事項がもう一つ質問されていました。渡されたメモによると、つぎのようなことです。

 それは、通学通路の問題です。通学通路と聞いて、ピンと来る人はだんだん少なくなっているかもしれません(ちなみに2008年の「和解」(於:仙台地方裁判所)までは、「私道」のことを学校側は勝手に「暫定道路」と呼んでいました。詳しくは、http://blogs.yahoo.co.jp/hukushidai07/7502582.htmlをクリックしていただきたい。その経過は、「東北福祉大学の騒音問題研究会」(資料編)に詳しく紹介されているので、そちらをご覧ください。


 そもそも看板が盗まれたの、いやその行為主体が誰だのといったことはまことに些事にすぎません。騒音等の問題解決の一つの方策としては、駅開業前(2007年)、東北福祉大学から提案されていた通学道路――駅からJR沿線を通り大学へ向かう通称西山道路――の建設というのがありました。その建設はどうなったのでしょうか。進捗状況報告もありません。その案件についてはみんなが関心を持っていて、その場にいらした方々が口々に大学当局の姿勢を糺(ただ)したようです。が、肝心の学校の担当者は何も答えられないの一点張りだった。これが高等教育機関としてあるべき姿であるのか、たいへん不安になったとのことでした。計画から10年になろうとしているのに。約束はちゃんと守る。これは小学生でも知っていることです。

学生や住民の安全を考えれば、地下道を建設するのが一番だという意見もあるようですが、その点も含めて早急に抜本的な対策を立てていただきたい。


「高等教育機関としての責任」である!!

2016年02月08日 | Weblog
 昨日、2月7日、東北福祉大学と「国見一丁目町内会有志」との間で会談がもたれたということで、いただいたメモの中から、石母田私道の「騒音被害者を救う会」と関連のあることをご報告しておきましょう。

本ブログでもご紹介した国見一丁目作業所に長年設置されていた「東北福祉大学の学生通行を公道へ誘導するように指導した看板」が取り外されたことについて、福祉大の責任者から以下のような内容の報告を受けました。

東北福祉大学は、当然のことながら、仙台地方裁判所(第4民事部審尋室)での和解(審尋調書)事項を誠実に遵守する。しかし、本大学は高等教育機関であるから、看板の文字によってではなく、大学の教職員一体となった教育的な指導によってその内容を徹底させていきたい、ということの決意表明として看板を取り外したのである。住民に迷惑をかけるようなことはありません。



東北福祉大におかれては、審尋調書(平成20年5月28日)をくり返し熟読され、私道の静寂を守り、住民の生活の安全を第一に考えるよう、「高等教育機関」に恥じないようなプライドと責任を持って教育指導の徹底がなされていくことを注意深く見守っていきます。

「学生通行禁止」の看板の復活!!

2016年01月26日 | Weblog
 新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

早速ですが、ご報告があります。昨年、何者かによって持ち去られた石母田私道の「学生通行禁止」の看板は、現在もなお所轄で捜索中ということで、なかなからちがあきませんでした。そうこうしているうちに支援者の方から看板を新たに設置したとの報告を受けましたので、ご報告します。

今回、看板は2カ所設置し、その記録写真も撮影しました。監視カメラの設置も視野に入れ、注意深く監視していくことになりました

まだまだ寒い日が続きますが、皆様にはくれぐれもご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。

【重要】2015年12月 石母田の私道「事件簿」1

2015年12月14日 | Weblog
 前回の私道の状況報告から、随分時間が経ちました。その間すべてが完璧であったというわけではありませんでした。小さな問題や懸念材料はたくさんありました。

 しかしここへ来て、住民からいくつかの不安材料が報告されているので、お知らせします。

 不可解な事件の一つは、本年10月、東北福祉大学によって私道入口の国見作業所の壁面に設置されていた「学生通行禁止」の看板が取り外されたことです。この取り外しは、ひょっとすると第三者による「窃盗」なのかもしれませんが、それはわかりません。といいますのもこの事件と呼応するように、11月、もう一つの事件が発生しているからです仙台地方裁判所との「和解事項」(本ブログ2008年6月を参照してください)の成立後から本「救う会」によって設置された「学生通行禁止」の立て看板が、二度までも「盗難」に遭っているからです。今も戻ってきていません。あの看板に商品価値があるようには思えませんから、誰がどういう理由で二度までももっていったのか、まったく見当がつかない、というのが一致した感想です。

 この立て看板の件は、警察に被害届が提出され、受理されました。現在、捜査中とのことです。

 こうした不可解なことは、いろいろな事件があるご時世ですから、住民にとってはたいへん不安なことです。

 東北福祉大学におかれても、自校の看板の行方を調査され、これまで通り「学生通行禁止」が誰の目にもわかるようにしておいていただきたい。
 よろしくお願いします。