道迷いと思われる中、GPS受信機を頼りに無くなりつつある峠道を見つけヤレヤレ峠へ
場所によっては倒木が道を阻む場面もありました。
チェーンソー持って来ないと厳しいなぁ~・・・と思える道をたどり
お地蔵さまが安置されている峠に向かいました。
ある程度、倒木が乱立する場所を抜けると、やっと歩道らしく思える場所に・・・
峠までは歩きやすい歩道が残っていました
やっとの思いでたどり着いたやれやれ峠! 明治41年2月15日建立(こんりゅう)
と書かれた地蔵尊!この後、地蔵尊に書かれた文字を頼りに名誉教授に
読み聞かせていただきましたが、地蔵尊に書かれてあった文字は・・・
施主・西叉 購中と書かれてあり(購中・こうちん)とは色々な意味があるらしく
今回はあなたにお金を貸します!等の意味があるとか!
やれやれ峠からしばらく下流側に西叉集落がある事から、この場所は西叉しゅうらくなのかなぁ~と
言う事も・・・何とも興味深い話ではありましたが、誰が何の目的で
この場所に地蔵尊を建立したのかは謎のまま・・・集落に残る文献や住んでいる人から
昔の言い伝えなどが解る人からお話を聞く事が出来ればと言う事となり
この場では、解からないまましばらく滞在をした後
この場を、後にしたのでもありました。
そんな、ヤレヤレ峠・・・なぜ、このような名前になったのか・・・
阿波の峠歩きと里山歩きの中に書かれてありました。
その昔、この辺りは炭焼きが盛んな場所だったそうで・・・
この峠の近くで、炭焼きをしていた人が、夜遅くかまどから、炭を取り出していた時の事・・・
大声と共に化け物が出て来たとあります。その形相から驚いた人は必死の思いで
命からがら、逃げたのだとか・・・
やっとの事で、この峠にたどり着き言った言葉が・・・
「やれやれ、ここまで来たらたすかった!」と言う言葉が出て、この名の峠の名前がついたとか!
そんな峠は、牟岐と海陽町・玉傘を始めとした重要な街道となったとか!
五差路になっている峠道の名残が残る場所でもありました。
そんな峠も昭和28年に牟岐町・西叉の資産家・山西彦太郎氏がトンネルを掘り
(今ではコンクリートで固められているトンネルですが、以前は素掘りのトンネルだったとか!)
交通手段も変わり始め通る人も少なくなり、今ではひっそりとした場所となっていました。
そんな、やれやれ峠ですが、地図上では奥谷トンネルの真上が、峠となっているようですが
本来はトンネルから離れた場所の、この場所が本来のやれやれ峠との事!
八丁坂越・入道山・矢筈山への登山の一旦を担っている場所でもあるだけに
昔の名残が残っていてほしい場所の一つでもありました。
これで、やれやれ峠までの事は終えたいと思いますが、この後も少し気になる場所が・・・
補足・番外編と言う事で書ければと思っています。
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