今日も新聞、テレビなど新型コロナウイルスでにぎわっている。確かに危機的問題だろうが、あまり騒ぎすぎない方がいいのではないのか、もとはといえばお隣の国からいただいてしまった有り難くないプレゼントだ。だから箱にしまって赤いリボンをつけてしばらく閉じ込めておくのも一計だろう。
とりあえず気を付けるのは確かだが、ことさらに騒ぎ立てることはない。これからお花見のシーズンだし、何かと人の集まりも増えそうだが、お決まりのお花見酒盛りは、少し遠慮して花見なら花見らしく、たまにはシツポリと桜の花を愛でるもよし、カメラで撮るもよし。
災難には、災難に染まるのではなく、いい色彩を見つけるチャンスととらえられると、いいのかもしれない、まあ自分は今に至るまで災難におぼれてしまう人生を歩んできてしまったが、今の若者は結構冷静に物事を判断しているようだ。
しかし、確かに生き方は変えられるものでもないしどうしても、冷静という言葉にはある受けがたい壁を感じてしまうのは、これまでのあまりの非冷静な人生を歩んでしまったからだろうか。
今後の世の中を判断するに、冷静という言葉は、シッポリとは行かなくなるだろうと私は思う。戦後の食物危機、絶対ないとは言えないだろう、現在の恵みが永遠につずくとは思えない。
何かをきっかけに、転がるように変化するというのは、過去からのメッセージだ。それはどおゆう事なのか?
聖書のダニエル書によると、終末には世界の人口の3分2が飢餓によって死亡するだろうと記されている、聖書は宗教の書ではなく予言書だという、そしてまさに人類の歴史はその通りに進行しているという。
コロナウイルスとはどうゆうウイルスなのか私にはわからないが人工的に作られたとしたら、なんのために?という疑問がわいてくる、おそらく普通の人間ではないだろう、もしかしたら一握りの宇宙人の仕業かもしれない。
世界の人口が70億ともなれば、その食物は大変なものになるだろう。その抑制には人間では無理だ。だから宇宙人が介入して、人口を抑制するためにコロナというウイルスを広めたのかもしれない。
世界には、一握りの賢い宇宙人が、物事の判断できない人間のためをおもんばかって、ウイルスを解き放っている。これも人類をおもんばかって。
人間とは、悲しくも未だに未成年なのだろうか、宇宙人が、仕切っているとしたら、人間はもう少しグレたほうがよくはないのか?
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