杉田劇場から

2005年2月5日にオープンした磯子区民文化センター杉田劇場のスタッフが綴るブログ。公演案内の他に美味しい情報も♪

オール横浜総合芸能コンクールに出場した加藤和枝ちゃん

2020-09-02 | 地域の歴史

 これは昭和21年11月26日に発行された神奈川新聞の記事。前日に開催された「オール横浜総合芸能コンクール」の様子を伝えている。その記事の内容を書き出してみると…

 オール横浜総合芸能コンクール最終日の25日は、引き続いた好天気と市民の人気が高まって、押すな押すなの足のふみ場もない超満員、開会の挨拶を特別市制の問題でいそがしい半井市長にかわって生活課長吉田仁吉氏、つづいて審査員代表のハーモニカ界の権威川口章吾氏の挨拶。

 終わって午前10時40分、ハワイアンギターバンドの軽快な伴奏につれて、磯子に住む国民学校初等科2年生の加藤和枝ちゃんが白いリボンに赤いドレス、ウクレレを抱いて、「小雨の丘」を身振り手振りよろしく小夜福子そこのけの唄いぶりに開幕早々拍手がわく。

 加藤和枝ちゃんというのは、昭和の歌姫・美空ひばりのこと。のときの写真が横浜市開港資料館に残されている。これだ。

 この芸能コンクールは昭和21年11月23日から25日までの3日間、横浜公園音楽堂で開催された。

 これは昭和30年代の横浜公園の地図(横浜市HPより)。野球場の位置は現在と変わらないが、昔はバックスタンドが線路側にあった。公園内にはほかにも様々な施設があり、そのうちの一つが野外音楽堂だった(灰色部分)。

 昭和4年に建設された「野音(やおん)」は、当時の日比谷公園野外音楽堂よりも広いステージがあり、横浜市民の誇りでもあったが、昭和20年(1945)、終戦とともに米軍に摂取されてしまった。それが解除されたのは昭和27年(1949)。ということは、このコンクールが開催されたのは米軍接収中の出来事だったことになる。

 その後はコンサートや集会などで使われていたが、昭和52年(1977)、惜しまれながら解体されてしまった。現在、その場所には子供たちが遊べる広場になっている。

 さて、冒頭の記事に戻ろう。記事には「市民投票と審査員の審査をまとめて近く等級を公表し授賞式を行う」と書いてあるが、残念ながら加藤和枝は全国放送される8名には選ばれなかった。

 



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