杉森神社の物語(令和編)東広島市河内町~癒しの風景

田舎で0から宮司をやってみたかったんです。好んで信じて楽しみながら奉仕をしています。

12月の日記2 コロナ禍による初詣考

2020-12-03 06:30:28 | 神職・宮司なるためのコーナー

12月1日

今日は、井戸埋め、池埋め等の後鎮祭。丁重にご奉仕申し上げました。

さて、昨日に続き「初詣考」

尚、神社側はあくまでも受け身の立場でありますので、すべては皆様が考え行動することであります。

また、各神社によって対応が異なりますので、ここではご参考として一人の神職としてコロナ禍による初詣について考えてみました。(幸先とは、よいことが起こる前兆。吉兆。事を始めるときに当たって何かを感じさせる物事。前兆。縁起。を言い、決してコロナ禍対応が幸先がよいと言えるのでしょうか?)

 

初詣って大昔からの日本の風習と思っていたのに・・

実は、今日のようにみんなが参る初詣は「明治以降の風習」です。新暦(明治5年12月3日が明治6年1月1日)が採用され、夜の0時が年の境と考えるようになってから、0時以降でないと初詣といわなくなりました。それまでは日が暮れれば年は暮れると考えていました。

今日でいう大晦日の夜の食事が「年取り膳」。めでたく年をとるとして食事をし、静かに家にこもり、一夜を明かすことが家家の「正月祭」の中心でありました。

昔の風習としては一家の主人だけが氏神社に籠もる(年籠り)ことがありましたが、今日のように皆が初詣することは明治以降です。特に民間での恵方詣なども交通網の発達により活発になっていきました。

尚、大社は詣で習慣(江戸時代)があったが、田舎の小社にはなかったのです。

また初詣は、午前0時ではなく、元旦に参拝することでした、旦は朝。夜中ではなかったのです。

 

昔は、満月(旧暦でいう15日)が祭日でありました。新月や朔日(月が立つ)という感覚は2~3日のズレがあり(月隠れ=つごもり)、昔はあいまいでありました。よって1日が月始めという感覚前に月を見て生活をしていました。

中国より暦が入り、暦制がつくられたことにより正月もズレが生じ、さらには明治以降に新暦になり、またもやズレが生じています。

その結果、新暦の正月1日、15日の小正月、節分と24節気の立春、さらには旧暦の正月1日が日本の中には今でも生きていて様々な行事が重層的に行われています。

今でも旧正月にお餅を食べる風習が地元の一部に残っています。

そうした伝統的な風習からすると、12月の詣というものは見受けられないのです。

確かに年末に一年のご加護を感謝して参拝することはありますが、コロナ禍対応での年内参拝には違和感が残ります。

先述の通り、日本の重層的な正月感覚に加え、神武天皇即位の日である「辛酉(かのととり)年春正月庚辰(かのえたつ)朔日天皇即帝位於橿原宮、是歳為天皇元年」と『日本書紀』にあるように正月朔日が日本建国の日(新暦によって計算しなおして現代は2月11日)であり、来年の)旧正月は2月12日となります。

どうでしょう、コロナ禍の中、いにしえに想いを致し、正月気分を長く持って(仕事上は否定されがちですが・・(笑))、

三が日に参拝を控える場合は、日本の風習に倣い、正月元旦から旧正月の間に参拝を考えられてみてはいかがでしょうか

 

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12月31日 午前10時 歳末祭並びに大晦日の大祓

 1月 1日 午前 8時 歳旦祭

 1月 3日 元始祭

 1月 7日 昭和天皇祭遙拝

 1月15日 古神札焼納祭

(※大晦日、正月3が日のご朱印は受け付けていません)

 

 

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