【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

学校に適応するということ

2017-01-22 19:35:02 | 「社会人として!」といったようなコト
不登校だった、イジメられてた、っていう人たちって、いっぱいいるんだけども、
この国の中の上流階級以上から、富裕層の中では、こういう人たちはマイノリティだと思うわけ。

はっきりいって。

つまりね、俺のいいたいのは、学校に適応し、かつそれなりのリーダシップを発揮する、っていうのは、相当なスキルなわけよ。
日本人の大部分がそれをそつなくこなしてるって幻想があるけど実はまったく!そんなことはなくて、そういうことができる人間は選ばれた人間で、そしてあたりまえのように中の上流以上に「なっていく」。
ごく自然に。

成功者ってのは自然にそういうスキルを身につけている人。

ま、たとえば激烈にアタマよくて、塾で一目おかれ、結果学校でも一目おかれ、ってタイプの人間が必ずいる。
それは極端な例で、そういう人間は最初っから人生を「処する」術などいらないわけだが、ふつーに賢い子は人生ってのは「処する」すべが必要であるとけっこう幼い頃から知っていて、でも「賢い」(WISE)じゃない子はそういうことができなくていじめられたりする。
その差については正直よくわからないけどね。正答もないだろうし。

不登校だったいじめられてたってとこから這い上がって今成功者になってる方ももちろんいるんだろう。
でもそういう方はそういうポジションをつかみとったわけで自然ではない。

俺思うに学校と会社ってかーなーり類似形だから、この国で学校と会社というものが今の形態のまま生き延びていくのであれば、この国はやはり学校生活を自然に楽しく遅れる人間のほうが有利であり続けるに違いない。

会社に属さない人間がどんだけこれからの時代ノしていけるのだろうか。


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