精神疾患と闘病中のグタグタ記録

2011年から通院記録と療養生活を書いてます

回想録~ひと波乱、第三章。精神科へ院内転院。

2012-06-18 06:44:57 | 日記
2月の初旬、過呼吸が頻繁に続くようになり、
代理の医師と折り合いがつかず、揉めた。

転院するように言われた。

だけど、院内の精神科へ辛うじて転化できた。

心療内科の受診は それで最後となった。


精神科の担当医は、オネェ口調の男性医師になった。

心療内科医との突然の別れが辛くて、
初診からボロ泣きしてしまった。

この時、精神状態が崩壊してしまった。

入院の話もされるほど(しかも閉鎖病棟w)病状が酷かった。

結局 入院は免れ、メイラックスの減薬治療となった。

精神科で処方された薬(セロクエル)が、効きすぎなのか、
体調が悪化し、服用を中止した。

2月末日になっても、元主治医は復帰しなかった。

精神科へ移った時、幸いにも心理士と会話が出来た。

その時、やはり元主治医は復帰しないまま退職するんだなと確信した。

心理士から一年間、ドタキャンせず通院して治療に励む私を
お二方が感心してくれていた事、
音楽を活かして快復して、ボランティア活動する私を
見守ってくれていたそうです。涙
私は完治していたそうな。

元主治医の医師として、親身に話を聞いてくれる人だったから
快復出来たんだと話してくれた。

心理士にお礼の言葉を話せて良かった。

元主治医は、変わらずに転勤先でも働くだろうと談笑し、
私みたいなキャラか病状の患者さんがいたら、多少思い出してくれるのでは?
と、フォローの言葉もくれた。


結局、元主治医は事実上の退職のまま3月末まで復帰しなかった。

周りは何もなかったかのように平然としていたけれど…


今わたしは精神科に月1で通院していて、また心療内科でも再び受診している。

精神科医は嫌いじゃないけど、元主治医のように親身に話を聞いてくれないし、
何より笑いがない。
人それぞれだから仕方ないけど、長い間 元主治医にお世話になり、
彼の診察が自分に合っていたし、恵まれた環境だったんだなと

皮肉だけど、痛いほど思い知らされる。

何だか自分が取り残されてる気分だ。


今でも辛いけど、あの時よりはだいぶ落ち着いた。

いつかまた再会出来ればなと思うけど、
九州へ戻ってしまったから 不可能だろう。

だけど、いつまでも変わらないで頑張って欲しいです。

一年前は色々あったけど、治療の環境に恵まれて
本当に良かった。

今の病院に行かなきゃ こんな想いをしなくて済んだのにと
考えた時もあったけど、
行かなかったら元主治医に出会えなかったんだもんなぁ。

つくづく、出会いや ご縁は不思議だわ


因みに、わたしは躁鬱病とブログでは書いてますが、
実際は気分障害なんだそうです。

まだ正確な診断がつけれないそうな。

回想録~再診@心療内科2012年1月…突然の別れ

2012-06-18 05:54:57 | 日記
年末にも家庭内で色々あって、元主治医は

「環境を変えたら、病気が改善されると思う、
シェルターに速やかに逃げなさい!」

と、私のために最善のアドバイスをくれた。

だけど、年末に産まれ故郷に帰郷する予定があって
実現が難しく、
元主治医を医師として信頼していたから離れがたかったのもあった。

だけど、10月に元主治医と大喧嘩した後、
今後の治療や私の病状を別の医師から診て貰える
セカンドオピニオンを検討していた。

実家の近所に大学病院があり、そこの精神科へ
転院を検討していたのだ。

大学病院は、元主治医から教えてくれて
アドバイスをしてくれた。
紹介状を作成してくれて、セカンドオピニオンを受けれるよう、

そこの担当者から連絡、段取りなどを待っている最中だった。

年が明けて、また風邪気味になり、葛根湯を処方してくれた。

その時 体調が優れず、「てきとーに過ごせば快方に向かうよ(*^^*)」
と、新年早々ステキな名言をアドバイスくれた。


それから2日後の未明、義祖母が急逝し、
急遽義実家へ帰省することになった。

翌週に心療内科の診察の予約が入っていたので
変更し、処方箋がなくなってしまうので
外来の看護婦に事情を話して

またまたまた飛び入り診察をした。

元主治医に義祖母が亡くなったと話したら、
とても親身になってくれた。

昨年のトラウマが再び起きるのを困惑していた私を見て
元主治医が
「考え込まないで^_^; あなたらしく振る舞いなさい。
気を付けて行ってきてね。」

と、激励してくれた。

その言葉で不安が一気に吹っ飛んだ。

「それではまた次回の診察で。失礼します(^^)」

と、いつも通りの別れをした。





それが 元主治医との最後の診察だった………


翌日義実家へ帰省し、体調が優れない中葬儀を済ませ、
色々しんどかったけれど 次回の診察を励みにして
乗りきろうとした日、

病院から元主治医が急病で暫く来れなくなったと、
看護婦から連絡があった。

元主治医が復帰するまでは代理の医師が対応し、
処方せんのみになると。

この時は、元主治医がインフルエンザにでもかかったのかと
気楽に考えていた。

が、しかし、いざ診察へ赴くとショックな事実を告げられた。

元主治医は3月末で退職し、九州へ戻られると…

通院できる範囲の異動であれば、私を転院させて、
そのまま元主治医が引き続き担当が可能だが、
遠方へ転勤するからと。

体調が優れず、復帰の見込みがないと。

転勤の話は殆どの患者さんに話されていたのも知った。

愕然としたけれど、

引き継ぎがあるから もしかしたら復帰するけれど可能性は難しいと。

愕然として心理士とカウンセリングをした。

すると、元主治医は体調不良ではなく、
事情があって出れないと。
3月末に転勤するから転院して精神科の受診を
アドバイスされ、
ひどく動揺している私に
「考え込まないでね」と、諭され、診察を終えて帰宅。


帰宅後、涙が止まらず何もする気になれなかった。

こんな形で元主治医と二度と会えなくなってしまったから。

病状が悪化し、担当医がいない状況が耐えられず、
転院を検討したり、通院先のソーシャルワーカーに
話を聞いてもらったりもした。

休職しているから難しいが、元主治医あてに
手紙を書いて郵送するアドバイスを頂き、実行した。
本人に届かなかったら返送されると言われたけど、
その時やれる事をやっていた。

せめて本人に別れの挨拶、感謝の想いを伝えたかったから…


看護婦から、中旬の月曜から休職してる話を教えてくれた。

私が最後に診察をした時が元主治医も最後の勤務だったのだ。


私のために気遣ってくれて、転勤の話がしづらかったのだなと
考えると今でも切ない。
せめて元主治医から話して貰いたかった。