パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

今年2度目の大阪10/9

2016-10-13 16:20:54 | 愛猫
10/8の夕方、九度山を脱出・・・、いや後にして
橋本から紀見峠を越えて河内長野を経由して
道の駅しらとりの郷・羽曳野で車中泊しました。

紀見峠を越えるルートは、
真田幸村大坂城を目指したルートの内の一つとされています。

生憎の雨模様でしたが、大阪城を目指しました。


順序が逆になっちゃったけど先ずは茶臼山へ。

茶臼山山頂付近で


碑をバックに


この3連休、「大河ドラマ『真田丸』の舞台~大坂城の秋まつり2016~」が開催されていました。
その中のイベントで6か所を回るスタンプラリーが開催されていたので参加しました。
茶臼山もチェックポイント。




安居神社もチェックポイント。

途中、一心寺、心眼寺、三光神社、玉造稲荷神社により

いよいよ、大阪城に入城。



本丸まで来たニャ~。
あっという間に囲まれて撮影会になったニャ~。

一旦、本丸から出て

太閤さんをバックに




豊国神社でお散歩ニャ~

真田丸第40回「幸村」のパブリックビューイング
開催された西の丸庭園



タイムスケジュールを確認

スタンプラリーチェックポイントの大阪歴史博物館へ行った後、
再び本丸へ向かいました。

大手門をバックに

ここからは
ほぼ撮影会状態に(^O^)
途中、三十郎役の迫田孝也さんと秀次役の新納慎也さんのトークショーを聞きました。
















トークショー後、
六文銭が掲げられたステージと天守閣をバックに










西の丸庭園にはペットは入れないので
パブリックビューイング時はワンニャン達と別れて一人で見ました。

西の丸庭園から


草刈正雄さんのトークショー


上田市から市長や関係者が来ていました。
会場は大勢の人で埋め尽くされていました。


座って見るものかと思ったら
案内もされなかったせいもあって立ち見でした・・・。

近くの子供が見えない見えないと、
座るように案内した方が良かったのでは。

パブリックビューイング後、
夕食は谷町3丁目交差点の近くの
ワンコOKなカフェで




これで大阪を後にし帰路につきました。

たくさん歩き回った2日間でした。
そして、たくさんの人に写真を撮ってもらうことができました。

今回は、天守閣の企画展や特別公開中の櫓、博物館の真田丸展を見ることが出来なかったので11月の連休中にまた行っちゃおうかな(^O^)

スタンプラリーの完走の特典は、背中に六文銭をあしらったビニールの赤いポンチョでした。

また、マイフェバの大阪コースのチェックポイントは
茶臼山、一心寺、安居神社、三光神社、心眼寺、玉造稲荷神社
豊国神社、大阪城、大阪城公園駅の9ヶ所。
大阪コース制覇。

これで、長野・和歌山・大阪コースの3コース完全制覇!!!

今回の大阪城は真田一色ということもあってとても楽しかったです。

今年2度目の九度山10/8

2016-10-11 16:27:49 | 愛猫
関西方面が☁☂の予報でしたが
真田丸の展開にあわせてどうしても行きたい、
ですが直前まで迷っていましたが、強行しました。

7日の20:30自宅出発。日付変わって0:50頃名神高速多賀SA到着。
多賀SAで車中泊。

8日、6:15多賀SA出発。7:45頃、道の駅 しらとりの郷・羽曳野着。
トイレ休憩&朝食



こちらのパン屋さんぱんろーどで朝食。店で買ったパンを店内で食べられ、ドリンクが割引になるということで。

パン・ドリンクを受け取って席に着く際
トレーに乗せたドリンクが滑り落ちてしまい
テーブル上にこぼしてしまいましたが
店長さんが直ぐに対応して下さり、
尚且つこぼしてしまったドリンクと同じものを
新たに持ってきて下さいました。

本当にありがとうございました。

もちろんパンも美味しかったです(^O^)
惣菜パン3つにサンドイッチ1つ頂きました。

九度山へ向けて出発。

1時間ほどでJR和歌山線高野口駅に到着。

今回は、1月に行った際にはまだ始まっていなかった
JR西日本の関西おでかけアプリマイフェバ
真田幸村ゆかりの地をめぐるチェックインラリーの完全制覇の達成も目的でした。

長野コースは当然ながら制覇済。
和歌山コース、大阪コースに挑戦。


先ずは駅舎をバックに記念撮影。






こちらの駅も真田一色
この時は残念ながら真田丸ラッピング電車は来ませんでした。
運行が終了する前に撮りたいな。

1月以来の九度山
今回は大阪経由で。ちなみに1月時は奈良経由でした。

上田から九度山に蟄居・・・、いや、観光に来ました。

10:30頃、道の駅 柿の郷くどやまに到着。
すでにたくさんの人出で賑わっていました。
タイムリーなので尚更でしょう。

ここでもあっという間に囲まれて撮影会になりました(^O^)






1月の時はまだオープン前でした、おみやげ館。


見て行きたかったけど残念です。
10日は別の予定があったのですが、それについては後日。

30分程、おもてなしした後、町内へ。

たくさんの人が町内へ向かって行きました。


先ずは、真田ミュージアムへ。


じっくり見学させて頂きました。

続いて真田庵。





人で一杯(^O^)


予報とはうって変わって好天になり暑かったです。
なので乾いた喉を潤す為に真田いこい茶屋幸村茶を購入。

南海高野線九度山駅へ向かって歩を進めると
道端の看板の真田ランチの文字に目がいき、ちょうどお昼時だったので様子を見に行くと
2階にも席があり雰囲気の良い古民家を改装したカフェでした。

おやつの時間 cafe style

ケージに入れておけば店内ペットOKという事でしたが
店先に小さなテーブルと椅子が置いてあったので、外で構いませんとお伝えしたところOKということで外で頂くことにしました。
店前の高台の影が店まで覆っていたので、日陰で食べる事が出来ました(*^^*)








するとお店の方が蒸かしたすくなカボチャをわんちゃんに、と持ってきてくれました(^O^)
喜んで食べました。ありがとうございました(#^^#)


おとなのかき氷を追加注文しました。イチゴとマンゴー。



みんな美味しかったです。良いカフェでランチを頂くことができました(*^^*)

そして九度山駅へ。

駅で観光案内している方と暫しお話をしました。
もちろん上田から来たと伝ると相手の方も今年2度ほど上田へ行ったとおっしゃっていました。

するとタイミングよく
戦国BASARA真田幸村伝ラッピング電車がやってきました。



撮れて良かった(^O^)

続いて
真田丸第39回「歳月」の真田丸紀行で紹介された
真田信繁の屋敷があったとされる遍照寺へ行きました。



焼酎送ってニャ~、こぼれない様にしっかり蓋してニャン<(_ _)>


里を見渡せる高台にあります。遍照寺の向こうには蛇行する丹生川の谷を挟んで対岸の高台の中腹にある九度山小学校や高野線が見えます。

道中のお店でつるし飾りや真田紐(3m)を買いました。それは後日。

マイフェバ和歌山コースのチェックポイントは
JR和歌山線高野口駅、南海高野線九度山駅、真田ミュージアム
真田庵、真田宝物資料館、真田古墳の6か所です。
和歌山コース、完全制覇!!!

道の駅へ戻り、柿ソフトを食べながら休憩していると撮影会に。
30分程滞在後

いよいよ、九度山脱出を企てました。
それについては後日に。

今年中にもう一回訪れたいなぁ~と思っていますが、実現するかな?

幸村

2016-10-06 17:49:23 | 真田丸
2014年5月12日、
2016年の大河ドラマは
真田幸村の生涯を描く真田丸に決定
と発表されました。

大河ドラマ日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)眞田幸村公
放映の実現を願い、2009年11月から署名活動が開始され、12月からNHKに要望活動を開始。

それから5年、前述した通り決定しました。

真田幸村ではなく真田信繁(実名)として描かれるということでした。

上田ではもちろんの事、世間一般的にも真田幸村の方が有名。

真田信繁とすることに、史実に沿って描かれていくんだなぁ、それはそれで良い事だとその時は思いました。
幸村ってやはり後世に創作されたというイメージがあったので。

あと、この頃の大河ドラマってありえない演出があったようで、そんなことも見聞きすることもあり、極端な脚色をせずに史実に沿って欲しいとも思いました。

上田市民でありながら真田の事についてよく知らない人が多いのです。
まぁ幸村はだいたい解っていても、幸隆って、幸綱って、信綱って、昌幸って、信幸って、信之って、信繁ってと、誰が誰っていう人がほとんどではなかったのではないでしょうか。

学校教育で郷土史に時間を割く事をしてこなかった為にこんな事になったのでしょう。

ちなみに、神川小学校(第一次上田合戦の激戦地にある小学校、別称では神川合戦とも)は私の母校です。近傍には信濃国分寺史跡があります。信濃国分寺については授業でも取り上げられましたが、第一次上田合戦については授業でやりませんでした。

2014年から改めて真田の事を勉強した人も多いのではないでしょうか。

2016年1月10日、第1回「船出」が放送されて以来、第39回「歳月」までが放送されあっという間でした。

真田丸放送開始後、ドラマでは源次郎が一番使われていて、人・時期によって信繁、左衛門佐とも呼ばれていますが、ドラマについて話したりする時はどうしても幸村って言っちゃいます。

そんな中、次回第40回は「幸村」です。
なんとここへ来て幸村の名が登場します。

世間一般的にも、幸村の名が登場する江戸時代に創作された難波戦記・真田三代記などの軍記物や講談等や明治-大正に創作された立川文庫の話を諸所で聴くことによって、その影響がずぅ~と頭に残り、刷り込まれていたのだなぁ~と思っていましたし、先述したように幸村は創作というイメージでした。

それが今年になってある歴史番組をみていた時、現在の大阪城天守閣館長が、
「大坂城入城後に幸村と名乗ったのではないか」
という話を耳にした瞬間、何かハッ!!!とさせられる思いをしました。

そうか!!!そういう可能性もあるよなぁ~と思いました。

そのように思ったのには、幸村の名の説明のほとんどが
は真田家の通字ではある。これについては何一つ異論はありません。
ただ、通字だからと言っているだけで、それを名に使った具体的な経緯が説明されていない。
は徳川家に仇をなす妖刀村正からとか、幸村は村正を帯刀していてそれを家康にめがけて投げつけたとか、何かといちいち家康や徳川家に絡めているところに心底からの不快感があり、
自ら名乗る名に、
いくら戦国武将だからと言って、
いくら武将にとって刀は大事なものだからと言って、
いくら名刀妖刀だと言って、
刀の名から付けるかぁ?

こんな稚拙な創作、つくり話、ウソ話、くだらない話を引用しているから。

私論による幸村の名の創出については
当ブログ、真田丸第38回「昌幸」9/25で記しています。

書状は、ほぼ史実と言ってもいいのだろうなぁ。しかし、読み取り方、解釈によっては正反対の意味にとられることがある。監視された生活中であれば、心では思っていてもその気持ちを書き記す事は出来ないし、また偽って本来の気持ちや姿を隠している事もあると思います。

書物は、話半分って感じだと思っています。しかし、それを引き合いに出して史実だという事になっている事が多い。勝者の都合、恥ずべき事を隠す為とか、脚色された部分が多いと思う。

そして、口述=史実だってあるわけですが、それを証明・知るのは不可能なんですがね。

大坂冬の陣の際、本来の自分である信繁ではなく、
決死の覚悟を決めた今の自分として幸村を名乗って臨んだのではないかと。

そのように、沸々と思うようになっているのです。

話があっちこっちでまとまりのない内容ですが

今では、真田信繁も良いけど、やっぱり真田幸村だね。

第39回「歳月」10/2

2016-10-04 15:23:19 | 真田丸
今まで、九度山での蟄居生活は、
ただただ苦しく貧しいとだけしか書物等には書かれておりませんでしたが
今回のような形で描かれたことは、とても良いと思いました。

苦しく貧しいながらも、九度山での生活には何の不満なく穏やかで幸せな生活があったんだなぁ、そりゃ~そうだよ、14年も居れば住めば都、村の生活・環境に染まっていった。
あぁ~このままでも良かったんだよなぁ~と思いました。

家族愛がテーマですからね、真田丸は。

しかし、そんな穏やかな幸せな生活を一変させる使者が
源次郎のもとにやってきました。

結果が結果だけに、来ちゃった、来なくてもいいのにと思いました。
このままそっとしておいてと。

相変わらずの源次郎きりですが、思えばドラマが始まった1582年2月時点で
共に15歳(1567年誕生説)、あれから29年の歳月が経て44歳。
私と同じ年頃。源次郎に対して菩薩の心で接するようになったというきり
確かに、男女の仲より、本当に幼馴染み、夫婦ではなく切っても切れない心の、真のパートナーとして描かれていくのですね。

きりに対して、私は当初から何の不満もなく
かえって源次郎にとってはなくてはならない存在と思っていました。

お暇なんて言った途端、
本当になくてはならない、ずっと源次郎の傍に居てと思いました。

秀次の娘で側室のたかの登場では更に不安になったが
たかが持ち帰ったサナール(紐)から真田紐を考案する源次郎

その真田紐をきっかけに、きりの仲の変化、きりを慕うようになる

そして、大助源次郎
大助から囲碁を教わり対局する源次郎

何とも、イイ感じの親子で、これもまた結果が結果だけに
涙腺崩壊なシーンでした。

真田紐信繁(幸村)が考案したかは・・・、色々と説がありますが、真田昌幸が上田城下に紬を織ることを奨励したことに始まる上田紬(ドラマでは上田の紬)を引き合いに出して語られたことは良かったと思います。

真田丸制作発表時、幸村を封印し、これまで信繁としてきましたが
ここで幸村が登場とは。

前回も記しましたが、幸村への想いを後日記したいと思います。

次回、第40回「幸村」が楽しみです。



第10回全国やきとリンピックin信州うえだ10/2

2016-10-04 14:31:13 | 愛猫
別所温泉ぶらぶらの後は

10/1・2、上田城跡公園尼ヶ淵芝生広場一帯で開催された
全国やきとリンピックに行ってきました。

北海道から沖縄までの全15店が出店しました。

とても良い天気で、何回も何回もしつこいようですが、真田丸効果もあって大変賑わっていました。

2日間で75,000人が全国の焼き鳥に舌鼓を打ったようです。








昼間っからのビールは美味い(´∀`*)ウフフ




並んでいる最中、日傘で日除け。


関係者用のTシャツの胸のロゴ


関係者用のTシャツの背面

真田、上田城、六文銭、幸村の兜などって
キャラクター化、ロゴ化しやすいですね(^O^)

3店の焼き鳥にビール3杯、美味しかったぁ~(´∀`*)ウフフ

この後は、東虎口櫓門前まで行っていつものようにおもてなし。











眞田神社で

再び、やきとリンピック会場へ下りていくと

ハイぶりっ子ちゃんがいたので一緒に。

ハイぶりっ子ちゃんとは、佐久市中込商店街応援キャラで
JR小海線を走る世界初のハイブリット気動車を模したゆる(?)キャラですが、ちょっと色っぽいです。

いやぁ~楽しい美味しい日曜日でした。

別所温泉ぶらり10/2

2016-10-03 17:34:59 | 愛犬
10/1・2に別所温泉あいそめの湯の芝生広場でクラフトフェアが開催されたので行ってきました。

お目当てがあったわけではないのですが、以前からやっていることは知っていたので様子見という感じで行きました。

まぁ、本当のところは
真田幸村公 隠しの湯の碑が立つ石湯
温泉街をぶらりとしたかったので。

菓子パン惣菜パンを買ったところで
温泉街をぶらり

それぞれの建立物をかたどったサインがイイ感じ。


そして、石湯。
この石湯は、歴史小説真田太平記の著者である池波正太郎氏が同作品で、真田の領内に「日本武尊が東征の際に発見した」とか「枕草子の登場する三名泉のうちの一つ七久里の湯が起源」など伝説がある信州最古の温泉があるにもかかわらず入らないわけがないということで、登場させた温泉です。




別所温泉も真田一色です。


無料の足湯「ななくり」から臨む北向観音


高石垣にその上に建つ平櫓・多聞櫓?まるで城のよう。
上田城にはこんな高石垣はありません。
北向観音の本堂はこの左側に善光寺と向かい合うように建っています。


北向観音参道口にある飲用温泉


さらにぶらぶら



旅館花屋の塀をバックに
紅葉の時期には更に見栄えすると思います。