軽井沢で静養中の両陛下が再び上田へ。
向かわれた先は、明治・大正・昭和初期に日本の蚕糸製糸業を牽引した上田小県地域で1900年(明治33年)に創業開始した旧常田館製糸場でした。
1964年(昭和39年)にも、昭和天皇・香淳皇后が視察されています。
今年は、真田丸・真田ブームで沸いている上田市ですが、もう一つの顔があります。
江戸時代初期からの蚕種養蚕、明治から大正・昭和初期にかけて隆盛した蚕種業・蚕糸業・製糸業に見られる蚕都上田という一面もあります。
これには、真田昌幸が上田小県領内に上田縞・紬の基となる織物を推奨したことも関係があるようです。
1857年(安政4年)、幕府老中で開国推進派の中心的な役割を担った上田藩松平第6代藩主の松平忠固(忠優)が生糸輸出体制を築き、上田藩が特産の生糸を横浜港開港と同時にヨーロッパへ輸出を始めました。
そこから明治から大正、昭和初期にかけて隆盛した日本の蚕種業・蚕糸業・製糸業を上田小県地域が牽引していきました。
全国に先駆けて公立の小県蚕業学校(現、県立上田東高校)が1892年(明治25年)に開校、20日に両陛下が視察された信州大学繊維学部の母体となった日本初の官立の蚕糸専門学校の上田蚕糸専門学校が1910年(明治43年)に開校しました。
そんな象徴の一つとなっている、明治・大正時代に建築された繭倉庫など現在7棟が国指定重要文化財になっている旧常田館製糸場施設。
国内最高層の木造5階建ての繭倉庫(重文)
木造4階建ての繭倉庫(重文)
到着された両陛下
木造5階繭倉庫へ移動される両陛下
見学を終えた両陛下
両陛下が見学されている木造5階繭倉庫をバックに
上田市内のささやという結婚式場・宴会場で昼食を摂られ、静養先の軽井沢へ向かわれました。
両陛下のお車
軽井沢へ向かわれる天皇陛下
両陛下が乗車されたお車と共に。
バジル、見て頂けたかな?
向かわれた先は、明治・大正・昭和初期に日本の蚕糸製糸業を牽引した上田小県地域で1900年(明治33年)に創業開始した旧常田館製糸場でした。
1964年(昭和39年)にも、昭和天皇・香淳皇后が視察されています。
今年は、真田丸・真田ブームで沸いている上田市ですが、もう一つの顔があります。
江戸時代初期からの蚕種養蚕、明治から大正・昭和初期にかけて隆盛した蚕種業・蚕糸業・製糸業に見られる蚕都上田という一面もあります。
これには、真田昌幸が上田小県領内に上田縞・紬の基となる織物を推奨したことも関係があるようです。
1857年(安政4年)、幕府老中で開国推進派の中心的な役割を担った上田藩松平第6代藩主の松平忠固(忠優)が生糸輸出体制を築き、上田藩が特産の生糸を横浜港開港と同時にヨーロッパへ輸出を始めました。
そこから明治から大正、昭和初期にかけて隆盛した日本の蚕種業・蚕糸業・製糸業を上田小県地域が牽引していきました。
全国に先駆けて公立の小県蚕業学校(現、県立上田東高校)が1892年(明治25年)に開校、20日に両陛下が視察された信州大学繊維学部の母体となった日本初の官立の蚕糸専門学校の上田蚕糸専門学校が1910年(明治43年)に開校しました。
そんな象徴の一つとなっている、明治・大正時代に建築された繭倉庫など現在7棟が国指定重要文化財になっている旧常田館製糸場施設。
国内最高層の木造5階建ての繭倉庫(重文)
木造4階建ての繭倉庫(重文)
到着された両陛下
木造5階繭倉庫へ移動される両陛下
見学を終えた両陛下
両陛下が見学されている木造5階繭倉庫をバックに
上田市内のささやという結婚式場・宴会場で昼食を摂られ、静養先の軽井沢へ向かわれました。
両陛下のお車
軽井沢へ向かわれる天皇陛下
両陛下が乗車されたお車と共に。
バジル、見て頂けたかな?
大切に使用させていただきます。
お使い下さい。
可愛らしいバックをお持ちになられているなぁ〜と思いましたが、珍しいバックだったのですね。
コメント欄より失礼いたします。
私は、タイ国より工芸品などを輸入販売している村上と申します。
こちらのブログに掲載されている写真についてご連絡差し上げました。
お写真にある美智子皇后陛下がお持ちになっているバッグがタイの伝統工芸品でもあるリパオバッグというものでして、日本国内でもなかなか目にすることのできない貴重な品でもあります。
とても珍しいお写真でもあり、当店のブログやSNSなどで紹介させていただきたいと思っております。
写真の使用許可をいただけましたら幸いです。
ご検討の程よろしくお願い申し上げます。