星学館ブログ

星やその周辺分野のもろもろを紹介

学者は研究者でなければならないのか?

2023-11-01 11:04:40 | エッセイ

 ウィキペディアで「学者」がどう定義されているかを見たら

学者(がくしゃ)とは、学問の研究や教授を専門職とする人、または、学問のある人、豊富な知識のある人。一般に博識な人や物知りな人物に対しても用いられる。一般には研究者(けんきゅうしゃ)と同義の言葉と扱われる。学問の専門家。」

とされていて、これに異論を唱える方は少なかろう。しかし、研究者と同義とされると困る、と言う学者さんもいるのではないか? この定義に従えば、学者は研究しなくても学者ではないか? 

 学者、研究者の多くは大学に所属している。しかし、今やそこでは狭い意味での学者、つまり研究者しかいない、と言っても過言ではない。最近は社会への貢献活動などの一応は評価の対象のようだが、依然、論文数が客観的な評価の対象の中心であることに変わりはなく、大学が求めている人材は研究者であって、学問の教授は重視されていない。これはすなわち文科省がそう求めているのである。

 学術論文には新規性が求められる。それは、新しい発見・発明であり、誰もやっていないこと、やっていたができなかったことをやって見せることなどであるから、最先端にいれば最も書きやすい。最先端の研究には研究費も付きやすいから、なおのことである。しかし、そうした場合、一度それから外れてしまうと研究手段を失い、書けなくなってしまう。たとえば、素粒子実験や遠方宇宙の観測などではそうした研究施設を利用できなければお仕舞である。こうなった人はもはや研究者ではなくなる。研究者ではないが、経験も知識もたっぷりと持っていて、立派な学者である。ところが、大学に居場所はない。物知りで、授業がうまい、学生指導にも親身にあたると言っても、それだけでは現在の大学では不要な人材なのである。

 現在、大学が求めているのでは専門教育であって、そのために研究者を、という筋立てになっているが、現実の大学を見ていかがであろうか? 学生はしっかりと基礎知識を蓄えて卒業しているだろうか? 教員は基礎知識を植え付けられるような指導を行っているだろうか? そんな余裕があるだろうか? 

 若い人たちの研究発表がある。10分~15分の発表はそつなくできていても、「本当に分かっているの?」と言いたくなることがある。高度なことを求めているのではなく、「標準的に学部レベルで求められるような内容を把握していますか」と言いたいのである。

 大学で基礎学力を育む必要はないとして教養部の解体、再編成を行った。私は教養部が必要だと言いたいのではなく、そこに現れた基礎学力軽視の姿勢が問題であると言いたいのである。研究者でなくても良いから確かな知識を持った学者が学生を基礎から鍛え上げることこそ、新しい研究者を育てる近道ではなかろうか。基礎学力があっての研究である。加減算は高等数学に登場しないから要らないのだろうか? しっかりした土台があってこそ高い建物が建てられるというのは真理であろう。

 大学教員は研究者である前に知識人であるべし。これは必要条件ではなく、十分条件である。多くの方が指摘していることだが、本当にそう思う。

(2003.11.01. KK)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする