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会津のキリシタンと野口英世

2022-11-20 08:33:19 | エッセイ

 会津藩と言えば鶴ヶ城だ。その基を作った人物の一人が蒲生(がもう)氏郷(1556-1595)である。織田信長の娘婿で、信長没後は豊臣秀吉に従い、会津藩に赴いた。そして、黒川という地名を会津若松と改めたと言うから、近世会津藩の基礎を築いた人物と言えよう。

 その会津若松を2022年11月に訪れてみた。中心に位置する神明通りを歩いていたら「蒲生氏郷顕彰碑」という文字が見つかった。それは興徳寺の境内にあった。それを読んでびっくり! 霊名が「レオ飛騨」と記されていたからだ。調べてみたらその通りで、氏郷はいわゆるキリシタン大名の1人だった。信長が既成の宗教勢力に対抗するためキリスト教を容認し、それを受けた秀吉も容認したが、やがて諸外国における状況を知るに及んで徐々に排除、弾圧に走ったことはよく知られている。信長の娘婿だった氏郷が義父の意を汲んでキリスト教徒となってその先鋒を走っていたとしてもおかしな話ではない。

 これを知って野口英世(1876-1928)が浮かんできた。彼が書生時代にこの興徳寺周辺で暮らしていて、教会に出入りし、洗礼を受けるとともに神父から英語を学び、それが渡米につながったことを思い出した。その教会の場所は当時とは違うが、カトリック会津若松教会(写真)として現在も立派に活動を続けている。教会が運営するザベリオ学園は地域の教育に欠かせぬ機関となっていることからもわかるように、しっかりと地域に根差した活動を行っている。

 時代も状況も全く違うが、両者にはキリスト教を通じて旧壁を乗り越えて行こうという進取の気風が感じられた。二人にはこの東北の山間の町から世界に通じる道が見えていたのだろうと思わずにはおれなかった。


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