星学館ブログ

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惜別 グレース眞樹(3) エートル(2)

2024-08-02 11:43:10 | エッセイ

 『エートルの原曲は「君の存在がなかったら・・・」というような狭い世界。でも曲を聴いて私は広大な宇宙的なものを感じた。そこで、一応意訳だけど、全く自分が作ったようなもの。その後、石井好子先生に資料一切含めてお送りし、評価をお願いしたら「いいね」と言っていただいたので、お稽古をお願いしていたのだけど、亡くなって・・・』と語っていた。『誰も歌っていないし、発表もしていない』と2012年に聞いた。2001年のコンサートで披露したのが初演だったのかも知れない。

 続けてグレース眞樹さんが語った。『私はシャンソンの世界には共感できるし、好きだけど、フランス人気質は好きになれない。余りにも個人主義で、日本人的思いやりの心が全く通じない。だから、シャンソンは日本的情感いっぱいになったんじゃないかしら』、『シャンソンはアイロニーの世界ね』と。

 いまだにグレース眞樹さんとの約束が果たせていない。もう少し猶予をいただき、きっと形にしたいと思っている。

(2024.8.1. K. K.)


惜別 グレース眞樹(2) 臈長けた

2024-08-02 10:30:06 | エッセイ

2001年10月リサイタル「午後のシャンソン」(帝国ホテル)で

「臈長けた容姿、長く垂らした髪、神秘的な瞳-。レニングラード(現サンクトペテルブルグ)生まれで、・・・」これは評論家・文化プロデューサ-の河内厚郎さんが一般社団法人近畿建設協会の機関誌「水が語るもの」の第23号(令和4年4月1日発行)に寄せた「水と文学」というエッセーの中の一節である。彼女の容貌をずばり言い当てていると思った。洗練された気品と美しさに溢れていると形容してもおかしくはなかろう。あるご婦人は「エジプトの王妃か巫女さんみたいね」と言っていた。ステージ上でスポットライトを浴びた姿を想像していただきたい。

 そのグレース眞樹さんが集大成と言っていたのが1989年発売の2枚組CD「Grace Maki Chanson au Festival Hall」である。1989年3月14日に大阪・中之島のフェスティバル・ホールで行われたコンサートのライブ録音である。『大阪デビューとも言える作品で、40過ぎた頃のこと、バックがオーケストラ構成だったので、音楽監督と丁々発止のやりとりをくり返しながら作り上げた』と語ったとおり、力強い曲があるかと思えばやさしさに満ちた語りかけるような曲があり、かつての良き時代のシャンソン22曲で構成されている。伴奏のオーケストラとのマッチングも素晴らしく、大変な時間をかけて練り上げたと語ったとおりの贅沢なアルバムとなっている。これが一晩だけの催しだったとは、何とも贅沢な会だったことか! こうしてCDとして残して戴けたことは感謝の一言である。

(2024.8.1. K. K.)


惜別 グレース眞樹(1) エートル

2024-08-02 08:21:43 | エッセイ

 

2001年7月サンケイパリ祭のパンフレットより

 これは有名なシンガーソングライターのアズナブールが作った曲にシャンソン歌手グレース眞樹さんがつけた詞である。グレース眞樹さんの自筆で、丁度23年前の2001年8月1日に戴いた。

 タイトルどおり、ひたすらこの世の無常観を謳っている。時として目を背けたるような真実である。その真実に逆らうことなく、グレース眞樹さんは2016年に癌により「宇宙の果てに旅立つ・・・」た。体調が良くないことは聞いていたが、真相を確かめるのが怖くて躊躇しているうちにこんなことになっていた。今はただただ後悔である。

 2001年7月、大阪駅前の旧サンケイホールで「パリ祭」と銘打ったシャンソンの会があった。出演していたグレース眞樹さんが歌った一曲がこのエートルだった。宇宙と生命をテーマに原稿を書いていたところで、この詞がぴたっとはまった! 何とか文中にとり入れたいと思い、掲載許可をとるべく連絡したところ上の仕儀となった。しばらく書き進めると、似たようなモチーフの本が次々と出版され、よほどの新味がなければ難しくなってしまった。彼女には許可を得ていたのに形にできず、報告しそびれているうちに10年程経ち、とうとう出版をあきらめた。すると吹っ切れて、別の形でこの詞を生かしたいと思うようになった。が、仕事に追われ、連絡の機会も減ってしばらくすると彼女の体調不良が伝わってきた。

(2024.8.1.K.K.)


円はドルだった ー 知ってびっくり!

2024-07-07 06:00:36 | エッセイ

 Joachims-thaler という通貨について調べていたら、Wikiの関係ページが見つかった。「ターラーだから、やがてこれがドルになるんだな?」と推察したのは、ピンポーン!  これは、ボヘミアのザンクト・ヨアヒムスタールという地区の名前に由来するとのことで、16世紀の初め発見された銀山だそうだ。こちらが調べている時代とも合っている。

 見過ごせないのがこのwikiページの最後のところ、

スペイン・ダラーやメキシコ・ダラーが「洋銀」として流入した東アジアでは、ダラーを漢字で「圓」と表記し、人民元、円、ウォンなどの通貨単位の起源ともなった。

と書いてある! ええ、なに、円はドルかいな!? 換算レートが160:1でも円=ドル?

(2024.7.7. K. K.)

 


惜しい一書「グリニッジ・タイム」-良書だけに

2024-06-29 09:54:54 | エッセイ

 2007年、東洋書林の発行。著者:デレク・ハウス、訳者:橋爪若子。280ページ、税込み:3080円

 タイトルに惹かれて購入、内容はそれで察しがついたし、実際読んでみてそれだけの価値があったと思った。翻訳ものだから訳が肝腎なのだが、文章はきれいな日本語になっていて、ほとんど翻訳物と意識せずに済んだから、言うことなし、のはずである。長文にもかかわらず、最後まで緊張感が切れることなくしっかりとした訳になっている。言うことなし、のはずである。教えられることも多く、間違いなく一読の価値は十分にある。

 だが、臥竜点睛を欠く、ではないが、訳者は天文学、それも伝統的な天文学にあまり通じていないのか、独特の用語が連発し、これがなんとも残念なのだ。あとがきに「各専門分野の辞典や、多くの専門家の著書を参考に用語と取り組む時間が長引きます」と記しているのに、どうにもその形跡が見当たらない。どんなものを参照したのだろうか。「月蝕」(p.2)はもちろん間違いではない。間違いではないが、一体どの時代の人かと思ってしまう。渡辺敏夫著「数理天文学」(1959)、荒木俊馬著「三訂新版現代天文学事典」(1970)、薮内訳「プトレマイオス著アルマゲスト」(1982)、長谷川一郎著「天文計算入門」(1978)、地人書館「天文学事典」(2007)、谷口義明監修「新天文学事典」(2013)のいずれも「月食」である。重ねて言うが、「月蝕」は間違いではない。「月蝕の「開始」、「中点」、「終了」」(p.3)も間違いではない。間違いではないが、事典には「食始」、「食甚」、「食終」とあるのではなかろうか。p.8にある挿絵の説明文に「角距離測定のための手段として、直角器(クロス・スタッフ)を・・・」とある。「直角器」とは聞いたことがないが、意味はわかるし、クロス・スタッフを訳せと言われて「直角器」としたら、決しておかしくないと思う。「ヤコブ直角器」(p.8)もわかるが、普通、そうは言わないのが業界のしきたりであろう。かくのごとしで、訳者は随分苦労したはずで、その労を多としたいし、気の毒な気もする。だが、近くに教えてくれる人がいたら、こうはならなかった筈である。

 ここではこの本にケチをつけたいのではない。専門外のことに手を出す時は、よほどの注意が必要だと自分を戒めるためなので、誤解をしないでいただきたい。筆者も付け焼刃なのに知ったかぶりを装い、駄文を草することがある。そんなものは専門家から見ればすぐにお里が知れてしまう。それでも、それ以上に本文にはお知らせする価値があると思うから、そうした危険性を承知しながら書いている。だが、ゆめゆめ、忘れることなかれ、である。筆者は長らく天体分光学にいそしんできて、5年前の退職を機に天文学の歴史を知りたいと思うようになって、4件に絞って読み始め、今2件目に挑んでいる。だから、天文学史については経験が浅く、全くの素人である。それが物申すのは憚られるところだが、誰もやろうとしないから、そうしたものに挑んでいる。が、何せ素人、底は割れている。専門の方から見たら笑い者であろうが、これで飯を食おうと言うわけでなし、老人の余生の楽しみだから許して貰おうと思っている。

 最後に一つ、「晷針」(p.257)とはなんだろうか? 読み方は? 恥ずかしながら、読み方も意味もわからなかった。「晷」を目にしたのは初めてだった。新明解国語辞典第5版(1999)には見当たらない。この本文に書き入れようとしたものの、「晷」の字が出なかったから、手書きパッドへ苦労しながら描き入れ、何とか探し当てることができた。読み方は「きしん」、本文にはルビがふってある。何を指すか? ノーモンである。初めて見た!

(2024.6.29. K. K.)