星学館ブログ

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生ける化石 -久しぶりの驚き-

2021-07-07 19:42:09 | エッセイ

 今日は7月7日、七夕は旧暦でしないと季節感がめちゃめちゃ、と知りつつも、関連した話があるというので近くの老人大学へ出かけた。

 話は2題で、1つは「そろばんの変化」、1つは「旧暦と七夕」がタイトルで、面白そうだ。話の内容は1つ目はそろばん他=中国式計算機と数学の発達史、同様にわが国での発達史と和算の系譜、2つ目はわが国における暦史と太陰太陽暦の仕組み、太陽位置観測術、などが紹介された。特に1つ目については全く無知だったから大いに得るところがあった。

 と、こう書くと、興味津々の話と思われるだろうが、話し方がすごいのだ。用語の定義も解説もせず、概念の目的も明らかにしない上に話が断片的で、脈絡がなく、簡単な話をそれ以上にないと言うほど難しく、わかりにくくして話すものだから、一同、チンプンカンプン、とうとう後半の半ばで堪忍袋の緒が切れたおばさんが「何が何やら、それがどこから来ているか、何のためにするのか、さっぱり分からない!」と興奮気味に抗議の狼煙を上げた。たとえば「恒星月と朔望月の長さが違うのは分りますね?」と尋ねたのは良い方だったが、平均年齢70以上の老人大学の聴講生が相手である。恒星月や朔望月を知らない者に違うも何もなかろうし、それを「分かりますね?」で済まして先へ行くものだから、50人中48人はついていけなかったと思う。こちらも余りのすごさに圧倒されていただけに、そのおばさんのいらいら感が痛いようにわかり、快哉の声なき声を挙げたほどだった。おそらくその48人はその講師を嫌いになっただけでなく、益々数学や天文学が嫌いになったに違いない。

 それほどにストーリーのない、わけの分からん話で、これが現役の大学教授か、と驚いた。大衆を相手に期待を見事に裏切り、嫌いにさせてしまうという反対の効果をもたらした点で、科学や合理的思考法の普及教育を志す方々には敵対的行為だったと言わざるを得ない。

 聴講中、何人かの先生の顔が浮かんできた。かつて何人か、そんな先生がいた。科学史の先生にもいたし、基礎数学の先生も似ていた。物理にもいた。しかし、ここ数十年、そうした人に会ったことがなかった。今回の某先生は遠い昔のそんな先生が蘇ったのではないかと思わせた。評価、評価に明け暮れる現大学でこんな先生が生き続けられているとは、信じがたい光景であった。それが、懐かしく思えたら、自分も少しは奥ゆかしい人間になれるかも知れないと思いながら、その一方で無理だろうなあ・・・という思いも捨てきれなかった。

 化石が立派に生きていた、と感心した一コマだった。

(2021.7.7. 星学館)

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