まずは、この度の地震で被害にあわれた多くの方々に、心からお悔やみ、お見舞い申し上げます。
あの日から今日で10日となります。私の被害なんてかわいいもので、家屋の被害はあるものの、停電は4日間、断水は7日間でした。現在はガソリンや灯油の燃料系の調達に難があるものの、食糧は生きのびるに必要なものは確保できていると思います。陸前高田や大船渡、釜石、宮城の南三陸や気仙沼、石巻に比べれば、まだ良いほうです。
2011年3月11日14時46分、その瞬間、自分は千葉の幕張にいました。緊急地震速報も鳴らず、いきなり縦揺れが始まったかと思えば、激しい横揺れに変わり、それが長い間続きました。揺れがおさまった直後、家族等に電話しましたが、既に通じず…。
幸い幕張は停電しなかったので、職場にあったテレビで情報収集することができましたが、時間が経過するにつれ、入ってくる情報は、沿岸部の甚大な被害を報じるもので、岩手県の被害を報じる映像に言葉を失いました。特に陸前前高田は義父母をはじめ親戚や知り合いが多くいますが、全く連絡がとれない状態…。まずは自宅に戻ることが先決と考え、翌日の12日にレンタカーで同僚と東北地方を目指しました。移動の間も、身内に連絡を取っていましたが、連絡は付けられず…。
結局、仙台に着いたのは13日の4時頃…私の自宅についたのは7時をまわってました。すぐに沿岸部へ向かいたかったのですが、途中の道路状況がわからないことや、自宅の片づけもしなければならなかったので、最初に陸前高田へ行ったのが16日でした。途中の峠道では大きな石が道路際にあったものの、陥没等は見られず、いつも通り道のりでした。しかし、景色が一変したのは、陸前高田市の下矢作を通った時でした。流されてきた車や木材等の瓦礫が川沿いを中心に広がっており、言葉を失いました。さらに竹駒周辺に差し掛かると瓦礫の規模がものすごくなり、その景色に驚愕しました…。そして、避難所となっている高田一中への昇り口付近は更なる惨劇が広がり、まさに壊滅状態…。身内の自宅のあった市内中心部にも足を運びましたが、この状況で助かった方が奇跡と思えるほど、すさまじい光景が広がっていました。
ほとんどの避難所をまわり、親戚や知り合いの生存は確認できましたが、身内とは連絡がとれない状態…。その後二日程現地を訪れましたが、依然、状況は変わりません。
しかし、被災地は一歩一歩確実に復興を目指し動き始めています。今までのような生活に戻るには相当な時間が必要でしょう…私も微力かもしれませんが、自分ができることを実践していきたいと思ってます。
がんばれ岩手!がんばれ大船渡・高田!!
あの日から今日で10日となります。私の被害なんてかわいいもので、家屋の被害はあるものの、停電は4日間、断水は7日間でした。現在はガソリンや灯油の燃料系の調達に難があるものの、食糧は生きのびるに必要なものは確保できていると思います。陸前高田や大船渡、釜石、宮城の南三陸や気仙沼、石巻に比べれば、まだ良いほうです。
2011年3月11日14時46分、その瞬間、自分は千葉の幕張にいました。緊急地震速報も鳴らず、いきなり縦揺れが始まったかと思えば、激しい横揺れに変わり、それが長い間続きました。揺れがおさまった直後、家族等に電話しましたが、既に通じず…。
幸い幕張は停電しなかったので、職場にあったテレビで情報収集することができましたが、時間が経過するにつれ、入ってくる情報は、沿岸部の甚大な被害を報じるもので、岩手県の被害を報じる映像に言葉を失いました。特に陸前前高田は義父母をはじめ親戚や知り合いが多くいますが、全く連絡がとれない状態…。まずは自宅に戻ることが先決と考え、翌日の12日にレンタカーで同僚と東北地方を目指しました。移動の間も、身内に連絡を取っていましたが、連絡は付けられず…。
結局、仙台に着いたのは13日の4時頃…私の自宅についたのは7時をまわってました。すぐに沿岸部へ向かいたかったのですが、途中の道路状況がわからないことや、自宅の片づけもしなければならなかったので、最初に陸前高田へ行ったのが16日でした。途中の峠道では大きな石が道路際にあったものの、陥没等は見られず、いつも通り道のりでした。しかし、景色が一変したのは、陸前高田市の下矢作を通った時でした。流されてきた車や木材等の瓦礫が川沿いを中心に広がっており、言葉を失いました。さらに竹駒周辺に差し掛かると瓦礫の規模がものすごくなり、その景色に驚愕しました…。そして、避難所となっている高田一中への昇り口付近は更なる惨劇が広がり、まさに壊滅状態…。身内の自宅のあった市内中心部にも足を運びましたが、この状況で助かった方が奇跡と思えるほど、すさまじい光景が広がっていました。
ほとんどの避難所をまわり、親戚や知り合いの生存は確認できましたが、身内とは連絡がとれない状態…。その後二日程現地を訪れましたが、依然、状況は変わりません。
しかし、被災地は一歩一歩確実に復興を目指し動き始めています。今までのような生活に戻るには相当な時間が必要でしょう…私も微力かもしれませんが、自分ができることを実践していきたいと思ってます。
がんばれ岩手!がんばれ大船渡・高田!!