聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

革命の歴史:イエズスのみ国か、狂気の国か

2017-06-08 02:12:06 | エキュメニズム関連
革命の歴史:イエズスのみ国か、狂気の国か

革命の中に潜む、傲慢と肉欲の2つの根

 「マニラのそよ風」13号より

オウム教とロシア

オウム真理教のテロ事件は、私たちに、イエズスを知らない人達の作る世界を目の前に見せてくれたようです。そしてこのテロ事件は化学兵器がこの世界に存在することを、実証してくれました。

皆さん思い出して下さい。1980年ソ連がアフガニスタンを侵略したときのことを。ニュースによれば、彼らは化学兵器戦争の先頭部隊を使って、慎重にしかし確実に残酷な実験をアフガニスタンのいくつもの村々でしていた、とのことです。

では“モスクワの手”が日本のオウム真理教にも伸びたのでしょうか? それとも、オウム真理教が、ロシアの安全管理の無さと無秩序とを利用したのでしょうか? 一体どうやって? 私たちにはまだオウム教の全貌が分かっていなく、捜査の段階です。 はっきりとはまだわかりません。

化学兵器はどうやって入手したか

まず、1992年には、オウム教のロシアの支部が作られ、既に15000人の信者がいたそうです。

1994年の1月、日本で交響楽団を作るためにロシアの優秀な音楽家達約百名ほどをスカウトするため、と言う口実である使節をロシアに派遣しているのです。そして彼らはロシアで《買い物》をし、オウム真理教の科学者たちは自分の研究を完成させようとするのです。1995年1月には、彼らは大量に日本に渡って来ます。楽器に交じって、試薬品、サンプル、化学薬品、実験器具が運び込まれたのでしょうか?? そうかも知れません。

こんな事を書くと、小説を読んでいるかのように思われるかも知れません。しかし、あの年の新春のあの信じられないような悲劇は、どうやって起こり得たのでしょうか。実は科学空想小説地味た現実が、あの悲劇を生んでいるのです。

ロシアでは1990年に250キロのウラニウムが誰かによって盗まれています! 250キロのウラニウムです!化学兵器が盗まれたり、あるいは買われたりされないとどうして言い切れるのでしょうか。実に、Oleg Lobowという安全保障理事会の責任者が、オウム真理教と過去3年間深い交わりがあったばかりか、1992年には巨額の金額を受け取っていたことが判っています。

ロシアの秘密計画

1987年には既に「新しい技術上の進歩によって核兵器の全廃さえも目指し得る」とオガルコフOgarkov元帥のチームの作戦係ルシェフ(Louchev)大将が『国家軍事歴史誌』6号に書いています。

当時、ソビエトの秘密計画“Biopreparat”(ビオプレパラート)という暗号の元に、秘密裏に進められた計画があったのです。そして複数の科学者たちはその成功のために勲章をもらっているのです。

この秘密計画については西側の秘密情報部は1988年から知ることが出来ました。何故なら、まず1人、次に3人の離脱者がこの計画について漏らしたからです。

1991年1992年には、複数のロシアの学者がビオプレララート作戦は、ロシアにとって、世界にとって危険であることを警告しています。ですから、オウム教の麻原がこのことに傾きかけるのはその頃ではないでしょうか。

しかし科学者たちの警告にもかかわらず、ロシアでは化学兵器は絶え間無く増大して行きました。

1974年には既にブレジネフは化学細菌兵器の研究開発のために莫大の金を予算に計上していました。それ以来、今に至るまで、サリン、ソマン、タブン、マスタード・ガス系の毒薬、が絶えず作られているのです。

それから9年後の1983年には、以前のように200~300人の秘密化学者だけがではもはやなく、12の研究所、5つの工場で、1万5千人の人が働いているのです。ゴルバチョフはその時既にその秘密計画を知っていました。そして2年後の1985年には権力の座に着くのです。

ゴルバチョフの秘密作戦

ゴルバチョフは1991年までこの計画について西側に否定し、しらを切っているのです。しかし、1990年10月、北大西洋条約機構(NATOナトー)の元に、次の2つを実証する文章を東ドイツにおいて奪い取るのです。

モスクワは1980年から1983年にかけて西ヨーロッパに対して電撃戦争作戦を準備していたこと。

“Xデー”(計画実行の秘密の日のことです)がくると、東ドイツの特別部隊が第1戦闘部隊として前線に立ち、サリンなどの毒ガスを使って西洋を攻撃することになっていたこと。

サリンの他にもソマン、PS(クロロピクリン)、CG、AC(シアン水素)、VX、VR、などがあり、これらは瞬時のうちに人を殺すのだそうです。(東京の地下鉄で使われていたのは専門家によるとサリンではないそうです。なぜかというと、本当のサリンは無臭で目にもしみないそうだからです。そして、皮膚や呼吸器官から浸透して、筋肉をマヒさせ、数分で人を殺すそうです。そして跡形もなく分解してしまうのだそうです。)

細菌兵器の一つの「ボルティヌム」80グラム(たったの80グラム!)を空中に散らすと2キロメーター四方の空気を吸った人は全員死んでしまうそうです。これを80グラム作るのに1万~2万ドルあればよいのだそうです。

そして、イラン、イラク、北韓(朝鮮民主主義人民共和国のことを、韓国の私の敬愛する人々と共に、私はここで北韓[ほっかん]と呼びます。)などはオウムと同じくこれらの猛毒ガスを手にしています。そしてそれを飛ばすミサイル設備、飛行機、ヘリコプターなども十分にあります。(以上はMonde et Vie No580, 6 avril 1995、 14, rue Edmond Valentin, F-75007 Paris.の、P. de Villemarest氏の記事を参考にしました。)

狂気の世界へ

麻原のように、金と権力に飢えた男は自分の目的達成のためなら何でもするでしょう。金日成や金正成、スターリンやサダムフセインなどきっと麻原と同じタイプの男なのでしょう。

麻原はこうして自分の説を証明するためにか、世の終わりを作ろうとしていたかのようです。少なくも日本の終わり、日本民族絶滅さえも考えていたとしか思われません。ちょうど、共産主義者らが互いに「粛正」をしあって何千万人の「同胞」を殺し合ったように。また、金日成がスターリンの許可を得て、自分の目的遂行のために、たとえ同じ民族が戦い血を流し合うことになったとしても朝鮮戦争を起こしたように。

真の天主を信じない人は、金と血と権力に飢え、何でもするでしょう。天国も地獄も信じない人々はこの世の自分の利益追求のためなら、何でもするでしょう。

麻原は「宗教には幾分かの狂気がある」と言っていたそうですが、真の天主イエズス・キリストを信じないことにこそ、狂気があります。真の天主の創立したカトリック教会を信じないことに、狂気があります。

しかし、誰がロシアに第2の麻原がいないと言い切れるでしょうか。誰がロシアの化学細菌兵器は将来永久に使われることがないと言えるでしょうか。誰がロシアは国際テログループや狂気の集団に化学細菌兵器を秘密に手渡していると言えないでしょうか。

2つの国

サタンは始めから嘘つきで嘘の父、人殺しでした。(ヨハネ8:44-45)この世の中はますます福音の真理と正義から離れて行きます。人々は使徒から伝えられた教えを打ち捨て、新しい耳に快い教えに聞き惚れています。

天主のみ国はさらに遠ざかり、人間中心の世界を作ろうとしています。そして、人間中心であるかのように見えたその国は実はサタンの国、狂気の国であることに人類は気が付くことになるでしょう。

聖アウグスティヌスは、「De Civitate Dei神の国」という本の中で、2つの愛が2つの国を作ったこと、天主への愛が、自分をも軽んじる天主への愛が天主のみ国を作り、自己愛が、天主をも軽んじ軽蔑する自己愛が悪魔の国を作ったことを書いているのではないでしょうか。

レオ13世は、インモルターレ・デイ(Immortale Dei)という回勅の中で、中世ヨーロッパのキリスト教世界こそ、そんじょそこらにある秩序ではなく、人間の唯一の本当の秩序(Ordo)、キリスト教文明であると宣言しています。「福音の哲学が国家を統治していた時代がかつてあった。…」と。

信仰は「目に見えるもの、耳に聞こえるもの、感覚に感じることのできるもの」を通して目に見えないもの、感覚されることのない天主を信じることです。ad invisibilia per visibilia!

しかしピオ12世がいみじくもおっしゃったように、「異教的な人間中心主義(humanism)、自由放埒主義、18世紀の啓蒙主義、19世紀のイデア論と実証主義からくるゆるやかな長い霊的風化・分解」(1941年4月20日)によって、現代世界は全く非キリスト教化しています。カトリック教会の敵の仕業は「ここ最近数世紀にわたり、キリストの神秘的組織の一致の知的・道徳的・社会的風化を実現させようと試みました。それはまず、聖寵無き自然を求め、…キリストにはイエス!教会にはノー!と言うのです。次に、天主にはイエス!キリストにはノー!、そして最後には「神は死んだ!」との不敬虔な叫びを口から吐くのです。」

背教の世界

 そうです。現在この地上に、本当のキリスト教国家は一つもないのです。

この世はますます天主から、キリストから、その花嫁であるローマカトリック教会の教えからますます離れて、アダムとエワが、傲慢と肉欲によって最初の罪を犯したように、今も全人類は傲慢と肉欲に膨れ上がっているのです。

それでは、この世界の非キリスト教化がどのように進んだかを、そしてこれからどのように進んで行くかを簡単な図を書いてみましょう。ただし、ここで注意していただきたいのは、これは今までいかに反キリストの勢力が力を伸ばしてきたかを描くものであって、これは歴史の必然とか、運命であるとかと思わないでください。

私はこの反天主の歴史について、Giulio-maria TAM神父様の書かれた、「Notes sur la Revolution dans l’Eglise ─── Les conditions de la vraie restauration et l’importance des exercices de Saint Ignace, Ed FIDELITERを参考に致しました。

13世紀:キリスト教世界= 現実主義+天主+イエズス・キリスト+カトリック教会+熱心な超自然の生活

 ↓

14~15世紀:人間中心主義革命= 現実主義+天主+イエズス・キリスト+カトリック教会-熱心 = 非超自然主義・自然享楽主義

 ↓

1517年 :プロテスタント革命>

現実主義+天主+イエズス・キリスト-カトリック教会 = 背教:宗教の自由

 ↓

1789年 :自由主義革命 = 現実主義+天主-イエズス・キリスト = 還俗主義:世俗主義:非神聖化

 ↓

1917年 :共産主義革命 = 現実主義-天主 = 無神論

 ↓

   ?  第4革命 - 現実主義 =狂気

人間中心主義革命とは、ルネッサンスのころ人間が天主への従属という甘美なくびきを打ち捨てようとすることです。まず、超自然的な熱心、超自然の生活を捨て始めるのです。人間の生活は、苦しみ・イエズスと苦しみにおいて一致することにあるのではなく、この世の生活を気楽に面白おかしく楽しんで暮らせ、という異教的な考えがはびこるのです。そして、この人生快楽思想のなかにその後のすべての革命の芽があります。そうです、共産主義革命と、サタン崇拝の社会化に至るまですべての革命の芽が、です。

この革命の中には傲慢と肉欲の2つの根があります。

傲慢とは、平等主義のことで、天主様に対して人間の自立を謳い、人間はすべての中心であると叫び、誤謬と悪徳、悪習にたいする黙認の精神がはびこるのです。それは過去の権威に対する軽蔑と、独立の裏返しなのです。

肉欲とは、自由主義のことで、宗教・霊的事柄・痛悔・苦行に対する軽蔑、犠牲の心の欠如、自然の高揚、黙認への賛美の傾向です。

1517年のプロテスタント革命は、カトリック教会からの独立を目指したものでした。聖母はこの世に、聖イグナチオを通して霊操という薬をお与えになりました。この薬は、革命の嵐がますます強くなればなるほど、私たちにとってますます必要になってくるでしょう。この宗教の自由、良心の誤った自由に関する要求は、1648年、ウエストファリアの条約によって、社会的な地位を得てしまうのです。プロテスタント革命の中にも傲慢と肉欲との2つの根があります。

傲慢とは、平等主義のことで、教皇様の権威を公的に拒否することです。聖書のみ!と叫びつつ天主の立てた権威の前にひざを屈めるのではなく、自分勝手な意見の前にひざを屈めるのです。

肉欲とは、聖職者の独身制度の廃止、離婚の導入に現れています。

1789年の「フランス大革命」と呼ばれている、自由主義革命とは、王の王であるイエズス・キリストを廃位させたことです。イエズス・キリストの天主としての権利は、この革命のときに剥奪されました。その根はやはり2つあります。

第1は傲慢で、平等主義の原理を確立させました。教義に関する平等主義は、淫祠邪教の教えもイエズスキリストの教えも同じレベルで扱えと言います。それは真理の相対主義を生み出すのです。つまり、ピラトの言ったように、真理なんて何差!真理なんかあるか!と言うのです。教会は社会生活において今まで教授していたさまざまな特権を失ってしまい、政府は真理をもはや保護しなくなるのです。政治的には、すべての主権は人民から来る!という神話を作り、聖パウロの教えを拒否するのです。そして貴族制の廃止。すべては低俗に低級になって行くのです。

第2の根は肉欲で、自由主義の原理が確立されました。自分の情念が要求するものは、淫らなものであれ、卑しくあれ、低俗であれ、主張し公に実行する権利を認めるのです。

1917年の共産主義革命とは、1789年に市民生活のうえで確立された平等主義と、1848年政治上確立された平等主義を、経済的にも確立させようという運動です。この革命にもやはり2つの根があります。

まず第1の根は傲慢で、最後の不平等を破壊させようとしました。つまり、経済的平等を打ち立てようとするのです。更に、人間生活のすべての外見を平等にさせようとするのです。制服、人民服、住居、アパート、行動様式、思考様式、意見、意志、すべてを企画統制し、同じくしようとするのです。

第2は肉欲で、憎しみです。嫉妬と羨望は、すべての不平等を平等にさせようとします。富めるものへの憎しみは自由をさえも廃止させます。

第4革命

では、第4革命とは何でしょうか。それはもし、天主様がこのままそれを阻止されないとしたら、この世が1517・1789・1917年に続いて打ち立てるものです。この革命は人間中心主義革命の論理的結論なのです。それは私達の生きている現実を否定するものです。

この革命では、政治的には、世界共和国、世界連邦が確立され、唯一の政府が全人類を支配するでしょう。そのときには、恐らく、唯一の言語、唯一の貨幣を作りだし、(カトリック教会とは全く関係のない)世界統一宗教を生み出すでしょう。その根もやはり2つでしょう。

まず、傲慢。自分勝手と自分の欲望の赴くままをしたい、というかんがえです。それぞれのペルソナ(人格)は最高主体だ!とし[なんだか、金日成の話を聞いているようではないですか]、一人一人が王となるのです。それは無秩序を生み、無政府状態を作りだし、各自が好き放題をするでしょう。密教や魔術が大はやりとなるでしょう。人々はサタンを礼拝しだすでしょう。

ロック・ミュージックの歌手やグループを見て下さい。彼らのほとんどは大手を振ってサタンを信じています。現代の超能力、テレパシー、などのオカルトブーム、ニュー・エイジ運動を見てください。これについて、沢田昭夫教授の『革新的保守主義のすすめ』の「呪術師たちの饗宴」も参考になります。アメリカでは90年代の最大の犯罪はサタン信仰関係の犯罪だと言われるそうです。またイギリスでも40万から10万の魔女、悪魔京都、魔術師がいるというそうです。私もロンドンで真っ黒の服に包まれた一人の気持ち悪い魔女を見たことがあります。

そして肉欲。自由恋愛、結婚生活への不忠実。

婚前交渉容認、一夫多妻性容認[エスニック文化の権利を守れ!複合文化だ!自由万歳!という地獄からの声が聞こえて来ませんか。]堕胎、離婚。

安楽死、麻薬の合法化。[マルクスは、宗教は人民のアヘンだと言いましたが、私たちはアヘンは若者の宗教だ、と言わなければならなくなるでしょう!]

男も女もないとしてホモ、レスビアンなどの同性愛が流行り、合法化されるでしょう。最近開かれた国連のカイロ会議の決議を見てください!快楽は人間の権利だ!と言っているではないですか。「我快楽す、ゆえに我あり!」と。

人間の生命は天主から与えられた賜物、恵み、偉大なる神秘なのですが、もはや天主から与えられた生命を、天主への言及なしに、天主への関係なしに、人間だけの勝手気ままに取り扱うでしょう。性的退廃は社会のすみずみにまで、更に小さな子供にまでも広がるでしょう。知性と意志による人間の情念の管理という教育が全く軽視されるでしょう。子供は動物のように肉欲のままに従って生きるように育てられるでしょう。 この社会では人は成聖の状態においていることが出来ない、罪の社会秩序が出来ることでしょう。

岩下壮一神父様の予言

「まさか! 何をたわけたことを書いているのか。」とおっしゃる声が聞こえます。岩下壮一神父様の書かれた「カトリックの信仰」(講談社学術文庫)第6章を見て下さい。そこに、「現代文明と禁断の果実」と言う題のもとに「意識的に神から離れた泰西の近代文明は、如実にエデンの園の活劇を繰り返したものにすぎぬ」事が書かれています。

「キリスト教の信仰に背いた現代人は、人間は神のごとくなるべきだという」のです。ウェルズは「人道主義の理想」つまり、「人間中心主義」「人間主上主義」が理想とするところを小説に描いています。

「そこには、かつて“野蛮人共”が「結婚」とよんだ桎梏は、もはや存在しない。…優生学は人類の難病や望ましからぬ多くの部分[つまり身体障害者、遺伝病に悩む人、“望まれない子どのたち”、老人、社会にとって“無駄な”人]を淘汰しつくした[つまり堕胎し、安楽死させ、殺し、抹殺しつくした]。オリュンポスの神々のごとく典型的の肉体美を有する男女は[そこではそのような優生学上“健全な”人々しか生きる権利が無い]、裸体で[人間の快楽万歳!]この天空海闊の理想郷を闊歩しつつ自由恋愛を楽しむ[そこでは天主の創造の業への協力が、自分の快楽と満足のひたすらなる追求になり下がり、愛の実りであるはずの子供達は、あるいは自分の満足のための邪魔物、あるいは自分のおもちゃでしか無くなる]。」

そうです。服も無き、結婚も無き、この未開の野蛮な世界こそ、真の天主から離れる現代人の行く末なのです。天主を離れたこれら野獣同様の人間たちは、野獣同様の自分たちの「人権」「自由」「尊厳」を声高らかに宣言するでしょう。そして、ついには彼らは、こう言い出すでしょう。

「野生の動物にも生きる権利を認めろ!野鳥を守れ!野獣の生存権とその尊厳を守れ!森林を破壊するな!人間はこの野獣に席を譲れ!我らも野獣だ!動物を殺すな!植物を摘むな!木を切るな!野獣のための野獣による野獣の世界を作れ!」と。

 このような人たちは、人間のする人工的な産児制限、避妊薬、フリーセックスという罪には何も抗議しませんが、自然破壊こそが大罪であって、「地球を大切にする」事こそが第一と考えるでしょう。

誤った神学の論理的結末

どうぞ、ある誤った論理、思想、ある誤った“神学”がそのまま香部屋でじっとしていると思わないで下さい。神学における誤謬は町角に出ると流血事件となるのです。

カトリック信仰が中世にカトリック文化を生み、カトリック社会を作り、カトリック文明を築き上げたように、人間中心の考えは人間中心の文化を作り人間中心の社会を作ります。

プロテスタントの教えも、プロテスタント文化とプロテスタント社会を作ります。社会主義の教えも社会主義の文化と社会主義の国家を造ります。もちろんサタン崇拝の人々はサタン崇拝の“文化”を築き、サタン崇拝の社会を作ろうとします。論理上の誤りが人々に広められると、社会上どれほどの惨事をもたらすことになるか、例を挙げて見ます。

ルワンダの例

例えば、中央アフリカ、ルワンダで昨年起こった大虐殺、50万人の虐殺された事件の裏にも、誤った“神学”があったのです。カトリックの聖伝による教えは、天主はさまざまの違った人々をいろいろに作られたこと、例えば、指導者にふさわしい人、被指導者にふさわしい人びと、あることに長けているある才能ももった人、などなどをいろいろ作られること、そしてすべての人々は人種的特徴、才能をいかし、それをほかの人々のために使い、お互いに補い合って調和ある社会を作り上げることを教えています。

聖ピオ10世は、1903年12月18日に、モートゥー・プロプリオ(自発書簡)によって次のように教えておられます。

1.人間社会は、天主によって確立されたものとして、等しからざる要素から成る。それらの要素を等しくしようとすることは不可能であり、初回にとって崩壊の元である。

2.社会のさまざまの成員の間における平等はただ単に次の事実にのみにある。すなわち、全ての人間は天主によって作られ、キリストによって贖われ、彼らの功徳、あるいは悪事により、それ相応に正義に基づいて天主によって裁かれ、報いを受けあるいは罰せられなければならない。

3.したがって、社会の中に統治者と臣民が存在し、雇用者と労働者が存在し、教育を受けたものと教育を受けなかったものが存在し、上流階級と下級階級が存在し、彼らが全て愛の絆によって結ばれ、互いに助け合い、彼らの究極の目的である天国に到達することと、この地上における物質的道徳的福祉を得ることを達成することは、天主によって確立された秩序にかなっている。

しかし、ルワンダではこのカトリックの常識が、平等主義と民主主義の近代主義によって打ち捨てられ、悲惨な結果をもたらしたのでした。

ルワンダの歴史

ルワンダでは白人が1894年に来る前には、800年にわたってトゥチという少数部族が大多数の農耕民族であったフトゥ族を平和的に支配していたのです。なぜならトゥチ族は天賦的に支配の能力をもち、彼らはこの才能を乱用するほど愚かではなかったからです。ベルギーの宣教師たちがルワンダにやって来て本当の宗教を教えるのですが、両部族のこの自然な秩序は全くきれいに保たれたままでした。トゥチ族もフトゥ族もともに同じ言葉を話し、1933年には共に両部族の国は、トゥチの王ムタラ3世によって王たるキリストに奉献され、共に長い祝賀会を開くのです。しかし、両大戦間に少しずつ近代主義が浸透し始めるのです。《人は神だ。キリストではなく、人こそが王だ。一人一人だれにでも投票権がある!》1939年から1945年の『民主主義の十字軍』の名前によって、“神聖にして犯すべからず”とされた民主主義のために、白人たちは多くの血を世界中で流しました。近代主義者の聖職者やリーダーたちは、フトゥ族に、少数派のトゥチが統治するという“非民主的”な状況を変えるために立ち上がれと教えるのです。最初のトゥチ族の流血は1963年でした。そして1973年以後続いてトゥチとフトゥとの間で両者の多くの血が流され、昨年の(そして、必ずしも“最後の”、とは言えない!)50万にの大虐殺が起こっているのです。(これについては、Fideliter誌1995年のある号に、Bonterre神父様が記事を書いておられます。)

北韓の例

「でも、第四革命ですか?」と、おっしゃるかも知れません。

最近ちくま新書の『朝鮮民族を読み解く─北と南に共通するもの』(古田博司著)を読みました。その第2章には、著者が北韓へ行かれたことの報告があります。

著者、古田氏は、“「局所局所に巨大建築物がバベルの塔ごとく天空をあざむき、そそり立っている」平壌”の近郊にある主体科学院での「討論」会で、北韓の国家の指導理念である「主体思想」を聞かれました。彼は、それを4点にまとめています。そしてその4点目が、「主体思想は、神ではなく、人間を信ずる宗教である。」としています。そして「この第4点目ゆえに、世界基督教統一神霊協会の教祖文鮮明師[あの『反共思想』で有名な!]は1991年11月に北朝鮮入りし、金日成首領と握手をかわすことができた」(060頁)そうです。[沢田教授も指摘するように、赤(共産主義)と緑(まじない)は結合するのです。ちょうどスイカのように緑も切ってみれば中は赤なのです。]

つまり、北韓では、第4革命が達成されようとしています。天主の無き人間を礼拝する宗教が、北韓の国家宗教なのです。そしてそれは世界統一宗教の計画と一致しているのです。「結局マルクス主義は社会主義制度が成った後には、革命をどのように継続し、社会主義、共産主義社会をどのように建設するかという問題については、正しい回答を与えることはできなかった」(金正日)そうなので、「主体思想がマルクス主義の延長上に無いことを示した」(061頁)そうです。

しかし、具体的にどうやって革命を継続させるかにおいて、主体思想はマルクスの考えていたような革命の継続では無いかも知れませんが、天主の無い社会建設・人間を神と崇拝する人間至上主義世界の建設において、いにしえからの革命の継続であり、天主への反乱の延長線上にあるのです。

静観は許されない

プロテスタント革命のときに教皇レオ10世は、事を楽観して、「修道士同志のケンカ」としか理解出来なかったのです。

フランスのルイ16世も、啓蒙思想をほほ笑んで見て、楽観していたに過ぎませんでした。ピオ9世は、1873年3月6日にこう言っていました。「黙認せよ、黙認せよとそそのかすこれらの人々を、リベラルなカトリックと呼ぶ。彼らこそ我々の敵だと自称する人々よりもずっと危険であり害を与える。…和解を求める不賢明なものたち、彼らは、我々の力を弱体化させている。」

聖ピオ10世は「人民の本当の友は、革新主義者でも革命家でもなく、聖伝主義者(traditionalists)である。」と言っておられます。

カトリック信者の義務

そうです、聖伝支持のカトリック信者だけがこの社会を再建することが出来るのです。もしわたしたちがイエズスの聖心に立ち戻らないならば、この世はますます人間中心になり、オウム教だの原理教だの狂気を信じる人々で一杯になることでしょう。岩下壮一神父様と共に、使徒継承のカトリック教会と共に、次の3つの質問にこう答えましょう。

問:「どんな宗教によっても、人の道を全うし、真の幸福を得られるか。

答:人の道を全うし、真の幸福を得るには、必ず真の宗教によらなければなりません。

問:真の宗教は幾つもあるか。

答:真の神は一つ、真理は一つ、人の道は一つであるから、真の宗教もただ一つであります。

問:真の宗教はどれであるか。

答:真の宗教は公教(カトリック)であります。」(「カトリックの信仰」42・44頁)」

 なぜなら、カトリック教会だけが、真の宗教のみの有する、 理性を超越することはあり得ても、理性と矛盾しないこと、 人間の五倫の道に、抵触しないこと、 時と場所の如何を問わず、根本において変化の無い人の本性に基づくものである以上、時代や国によって変化のないこと、の3点を満たす天主の啓示された宗教だからです。カトリック教会だけが真の宗教であることについては、岩下神父様の『カトリックの信仰』をお読みください。

私たちの希望である聖母の汚れなき聖心

聖母の汚れなき御心に信頼致しましょう。「最後には私の汚れなき聖心が勝利をおさめるでしょう」!確かに、ルチフェルは自分の罪とアダムの罪によって天主様の作られた原初の正義の状態を破壊してしまいましたが、天主はご自分の愛のご計画を捨てようとはされませんでした。天主はこの被造物の世界をご托身によって、ご受難によって、ご聖体によって、また天主の御母聖母マリアと教皇を与えることによって、更に一層この世界を立て直してくださったのです。

ルチフェルはまたもこの地上に打ち立てられた、感嘆すべきカトリック文明を、さまざまの革命によって破壊しました。フランス革命の直後(1794年)、フランスの思想家ジョゼフ・ドゥ・メストレ(Joseph de Maistre)は、こう書いていました。

「革命は、完璧にサタン的であった。反革命は天使的であるか、あるいは何も無いか、のどちらかであろう。しかし、何も無いというのは(天主様が存在する以上)考えられない。」

「革命は、その反対の原理によってしか、全く消し尽くすことができない。」「革命は反対の原理によってしか本当に終了し、死亡し、絶滅され、その後はその反対の原理が自ら行動するだろう。」

さらに、「最後にはすべては、(天主様のみ摂理により)よい方向に変わるだろう」と。

天主様は聖母の汚れなき聖心の特別な介入により、サタンによって崩されたこのがれきの中から更にすばらしく更に感嘆すべく、天主様の愛のご計画を復興させることでしょう。私たちはロザリオを唱えましょう。聖母の汚れなき聖心が一刻も早く勝利を収めるように祈りましょう。

(文責:トマス小野田神父)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。