聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

靖国神社に対する小野田神父様の見解 ー 参拝は許されるか

2019-06-16 19:12:46 | 公開書簡

 靖国神社に対する小野田神父様の見解を掲載いたします。靖国問題について、いろんな意見があり、SSPXの支持者の間で間違う方が出るといけないと思うからです。小野田神父様はカトリック信者の靖国神社参拝に強く反対しておられます。その理由は以下になります。以下、小野田神父様からのメールを転載いたします。神父様の見解ですが、聖ピオ十世会の見解に近いと考えていいでしょう。聖ピオ十世会は、日本の、本部やアジア管区では到底把握できない問題について見解を出す場合、普通は小野田神父様に意見を求め、大いに参考にすると思われるからです。


アヴェ・マリア・インマクラータ!

なるほど、ご質問をありがとうございます。

(1)私は、靖国は「宗教」だと思います。
これについては、戦前、靖国神社それ自体がそれをもう認める寸前でした。

もしも私の理解が正しければ、王政復古を受けて、新政府は、今までの幕府の統治は終わったということを権威づけなければなりませんでした。

そこで宗教も檀家制度から氏子制度に変わりました。仏教から神道になりました。
上野にあった徳川の仏寺である寛永寺を破壊し、新しい靖国神社を建てて、それを国家の宗教的な中心地としました。
ただし、近代国家の外見を保つために、「政教分離」を明治憲法で唱えつつ、しかし、現実には神道が国家の宗教でした(たとえば神主は公務員だったり)。
しかし、理論と現実には乖離があり、国民をそのまま信じさせ続けることは出来ませんでした。

(2)戦前、戦中は、カトリック教会は公認されておらず、ただ黙認されていた状態でした。そこで迫害を受けていました。

 国家総動員によって、戦時統制が強まり、戦争という特殊な状況において、靖国への参拝が強制されました。

 カトリックは最初は(個人的に)拒みました。たとえば岩下壮一神父などは反対しています。
 しかし、上智大学の卒業生の就職先がなくなる、入学生が無くなる、などの、脅迫に逢い、バチカン大使が文部大臣に靖国の強制参拝の性格を問いただします。
 文部大臣は、この学徒による靖国参拝は、宗教行事ではなく、教育上の愛国心の要請のためだけのことである、と説明します。

 明治国家の公式の説明(理論)も、靖国は宗教では無いというものだったので、迫害中の教会は、その主張を信じる形を取りました。

(3)戦後直後、マッカーサーのもとで、靖国は実はやっぱり宗教だと断定され、「宗教法人」となります。
カトリック教会の司教たちは、靖国の本当の姿は宗教なのだと、カトリック信者たちが、靖国に参拝するのを禁止します。(ローマが飲み込んだのは「戦争という特殊な状況に置ける、学徒による強制的な靖国参拝は宗教行事ではなく、教育上の愛国心の要請のためだけのこと」であって、戦争も無ければ、強制も無いところに、カトリック信者が参拝は出来ない、と考えたからです。)

 しかし、ローマはそのことが良く理解できずに、戦時中宗教でなかったものが何故宗教になるのか? ローマの体面も考えよ!
という日本司教たちの判断を覆すような文章を出しました(これは不可謬のドグマではありません。)

(4)2014年、何らの強制も迫害も無い状況で、私たちは靖国に参拝することは出来ません。

 ローマが与えたのは「戦争という特殊な状況に置ける、学徒による強制的な靖国参拝は宗教行事ではなく、教育上の愛国心の要請のためだけのこと」というきわめて特殊な状況のものであって、2014年現在にはそれは存在していないからです。

 靖国が、無宗教の単なる戦死者の慰霊碑に過ぎない、という主張は、2014年において、現実と乖離しているからです。「靖国に参拝しないのは、愛国者ではことだ」というのは、嘘です。戦死者や「英霊」のために、日本のために、最も益のある祈り方は聖伝のミサです。
私たちは、本当の祈り方を知っているので、そのよりよい方を行わなければならないからです。
(もしも、昭和天皇が、「A級戦犯の合祀」の後に、靖国神社の参拝を拒絶していたのなら、私たちだって参拝の拒否が出来るはずです。)


 これが私の思っていることです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 

 


(質問文)ところで、あの、神父様、靖国神社の話は、どうすればいいでしょうか。
考えて、いつか答えを書いておいて頂けませんか?

自分から行くことはないにしても、もし、国などから命じられた場合は、どうすべきか。
そこの祭神は、戦死者240万柱ですが、神道形式ではあります。
そして、社殿は、神道の思想に基づいて作られています。


スータンの禁止の弊害

2017-06-20 16:25:59 | 公開書簡
 さらに、スータンをなくそうと言うことは、まだ存在している宗教感情を誤って判断することです。私たちが事業において、あるいは偶然に、出会う人々が皆宗教とは関係なく生きているなどと思うことは全く根拠がないのです。エコンを卒業した若い司祭は、また匿名の思潮に身をゆだねなかった人は全て、そのことを毎日経験します。現実はその全く反対です。道路で、駅で、人々は、若いエコンの司祭を呼び止め、彼らに話しかけるのです。しばしばそれは、ただ、この人たちが司祭にあってうれしいという喜びを伝えたくて、彼らを呼び止めるのです。

 新しい教会では対話を強く勧めています。では、もし私たち司祭が、対話の相手となる人々の目から隠れようとしていて、どうして対話を始めることができるでしょうか。

 共産主義独裁において最初に指導者たちが配慮したことはスータンを禁止することでした。なぜかというと、スータンを禁止することは、宗教を窒息死させるために考えられた手段の一部だからです。その反対もまた真なりと考えなければなりません。外見の身なりによって、自分の身分をそのまま表す司祭は、生きる説教そのものなのです。大都市においてそれと見分けのつく司祭がいないことは福音宣教のきわめて大きな後退であるのです。

 まさにスータンを着ないと言うことは、革命の有害な事業の続きであり、教会と国家の分離という悪法の続きなのです。

 さらに、スータンは司祭を悪から保護してくれるということを、スータンが司祭にふさわしい態度を取らせ、司祭にいつでも自分の地上における使命を自覚させ、誘惑から守ってくれるをいうことを付け加えましょう。

 スータンをいつもきている司祭は自覚を失うということがありません。信者は信者で、自分が誰のところに行けばよいか知っています。なぜかというとスータンは司祭が正真正銘の司祭であると保証してくれるからです。カトリック信者たちは私に、告解の時に、背広を着ている司祭に告白すると、自分の良心の秘密を普通の人に打ち明けているようで非常に嫌であるといいます。告解とは司法行為です。ところで世俗の裁判でさえ、裁判官が特別の裁判官の服を着なければならないというのがなぜかを考えていてください。

万人司祭主義の影響の下に

2017-06-20 16:23:45 | 公開書簡
 全ての宗教において、宗教の指導者はそれとわかる区別の印を身につけています。人が重要視している人類学もそのことを証明しています。[司祭階級の存在しないはずの]イスラム教徒でさえも、別の服や、襟首の違い、指輪などで指導者を区別しています。仏教徒も黄色の長い服を着たり、頭を特別に剃っています。パリやそのほかの大都市には、仏教を信じてしまった青年たちがいますが、特別の服装をしていたからといって何の非難も起こりません。

 スータンというのは、軍服や、平和部隊の制服と同じように、制服として聖職者、修道士、修道女という身分を保障するものです。もちろん、軍人と修道者では違いがあります。軍人は平服に戻ればその他の人と同じ市民になります。しかし、司祭は社会生活のいかなる場合においても区別の印であるスータンを必ず身につけていなければならない、という違いです。

 実に、司祭が叙階式の時に受けた聖なる刻印は、司祭をして、世の中にありつつも、世のものではないものとして生きさせるのです。このことは聖ヨハネの福音に書いてあります。「あなた達はこの世のものではない。私があなた達を選んでこの世から取り去った。」(15章19節)

 司祭の服は区別の印となり、それと同時に、質素、慎み、清貧の精神で選ばれなければなりません。

 スータンを着る第2の理由は、私たちの主の証をする義務が司祭にはあるからです。「あなた達は私の証人となれ」「灯火は升の下に置くものではない」と主は言われました。

 宗教とは、東欧諸国の指導者たちがもう長きにわたって発布してきたのと同じように、香部屋に隔離するものではありません。キリストは私たちの信仰を外に表すことを命令されました。主は、皆が見、皆が聞くことのできる証明によって、信仰を目に見えるもののすることを命じられました。確かに司祭にとって、服装による証明よりも言葉による証明の方がより本質的なものでしょう。しかし、この言葉の証は、司祭職の明らかな顕示によって非常に容易になるのです。そしてこの司祭職を明らかに示すものがスータンなのです。

 教会と国家との分離は、受け入れられてしまい、時には、最高の状態であると考えられ、教会と国家との分離のために、日常生活の全ての分野に無神論が少しずつ浸透してしまいました。そして多くのカトリック信者は、司祭までも、カトリック宗教の正確な場所が市民社会においてどこにあるのかもはや分からなくなってしまっています。世俗主義が全てを侵略してしまいました。

 この種の社会に生きる司祭は、この社会に自分はよそ者であるということをますます印象づけられ、次に、邪魔者であるように感じ、過ぎ去った過去の証人であり、消え失せなければならないものだと思うようになるのです。司祭の現存は黙認されるにすぎず、少なくとも彼はそう考えています。だからこそ彼はこの世俗化した世界に身を寄せようと願うのです。大衆の中に混じり込もうとするのです。この種の司祭は、私たちの社会よりもまだあまり非キリスト教化していない国々を旅行したことがないのです。彼には特に自分の受けた司祭職に対する深い信仰が欠けています。

教皇パウロ6世はキリストの福音と正反対の考え方を持っていた

2017-06-20 16:18:36 | 公開書簡
 1976年、私はカステルガンドルフォに、教皇パウロ6世聖下を謁見しようとに出向きました。そのとき私は教皇聖下にこう申し上げました。

「聖下、聖下は今フランスに公式の奉献文が13あるのをご存じでしょうか。」

 教皇様はそのとき両腕を上にあげられ私にこうお答えになりました。

「大司教様、もっとですよ、もっと。」

 ですから、私の次の自問自答は、根拠のある問いなのです。つまり、もし典礼学者たちがラテン語で典礼文を作らなければならなかったとしたら、それほど多くの典礼文が存在していただろうか、という問いです。あちこちで印刷された後に出回っているこれら多くの祈祷文以外にも、司祭が司式の真っ最中にアドリブで作り上げる様々な祈りの文、そして「罪の悔い改め」の儀式に始まって「派遣の言葉」に終わるうちに起こる全ての変更のことも、言わなければならないでしょう。もしラテン語で司式しなければならなかったとしたら、これらのことが全て起こりうると思いますか。

 もう一つ別の外的な形式に対して猛烈な反対意見が立ち上がりました。それはスータンを着用することです。といっても、教会の中やヴァチカンを訪問するときにスータンを着ることに反対するのではなく、むしろ日常生活においてそれを着ることについての反対です。このことは本質的なことではありません、しかし、非常に重要なことなのです。教皇様がこのことを注意する度に、そして、ヨハネ・パウロ2世教皇は何度も何度も繰り返すのですが、そのたびに聖職者たちの中から怒り狂った抗議が起こりました。私はこのことについて、パリのある新聞で、ある前衛派の司祭が声明を出したと呼んだことがあります。この司祭はこう言ったそうです。

「スータンなどは、形だけの民族衣装である。・・・フランスにおいて、司祭であるとわかる服装を着るなどと言うのは全くくだらない話だ。なぜなら、道ばたで司祭を見分ける必要など全くないからだ。反対にスータンやクラージーマンは障害になってしまう。・・・司祭もその他の人と同じ人間だ。ただ司祭は聖体祭儀の座長となるだけだ!」

 この「座長」はこうして、福音に全く反対の考えを、しかも、もっとも現実的な社会生活に正反対の考えを述べていたのです。

イスラム教はコーランでのアラビア語の強制によって統一性を保っている

2017-06-19 16:54:13 | 公開書簡
 そのような共同体は何らかの利益を得るでしょうか。特定の典礼言語が、普遍言語であるラテン語を使っている人々(もしかしたら、多くの人々はその意味が理解できないかもしれませんが、翻訳物を見ることができます)よりも、熱心にしたし、より宗教を実践するようになったと言うことは、明白であるとは誰にも言うことができません。

 もし、カトリック教会外を見てみるとすると、イスラム教は、トルコ、北アフリカ、インドネシア、あるいは、ブラック・アフリカなど、様々な地域、様々の民族に広がっていますが、どうやって統一性を保っているのでしょうか。それは、彼らに、コーランが書かれている唯一の言語としてのアラビア語をどこにでも押しつけることによってです。私は、アフリカにいるとき、マラブー族の人たちが、その一言も訳の分からない子供たちに、コーランの節を暗記させようと教えているのを見ました。さらには、イスラム教は、自分たちの教典を翻訳するのを禁止さえしているのです。今では、多くのフランス人の改宗者を出すマホメットの宗教を感嘆し、フランス国内にそのモスクを建設するために、教会内で献金さえもしているのはよく見かけることになっています。しかし、イスラム教のうちから参考にすることのできる唯一の例、つまり、祈りと礼拝とのためについいつの言語をあえて保持すること、という例から、息吹を受けようとすることは決してしようとしません。

 ラテン語が死語であるからといって、ラテン語を使うことに何ら妨げになりません。かえって死語であるということは、時代の流れに従って自然に起こる言語学上の変容に対して、信仰の表現を保護する最高の手段となるのです。ここ数十年の間に、意味論の研究が非常に盛んになり、中学校ではフランス語の科目の中にも取り入れられたほどです。ところで、意味論の対象の一つに、言葉の意味の変化、つまり、時の流れに従った、そしてしばしばそれは大変短い間における時代の、意味の微妙な変質があるではないでしょうか。信仰の遺産を、グラグラと安定していない言い方で言わなければならなくなるという危険を理解するために、この学問を利用することにしましょう。

 人が手を加えて変えることもできない永遠の真理を表現しようとするとき、絶え間なく移り変わる言語で、しかも国によってさらには地域によって別々の様々な言葉で、いかなる変質も欠けたところもなく、そのまま2000年間も保存することができたとでも信じているのでしょうか。今使われている「生きている言葉」は移ろいゆく変化するものです。もし典礼を今の言葉に託したとしたら、意味論に従って絶え間なく変えていかなければならなくなるでしょう。ですからそのために新しい委員会を絶え間なく作らなければならなくなり、司祭がそのためにミサを捧げる時間さえもないのだとしてもそれは驚くに値しません。