聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

新しい「ミサ司式」の批判的研究 ー 7宗教統一運動

2017-01-20 13:47:19 | ミサについて
7宗教統一運動

 使徒座憲章は、新しい司式が東方教会から借りたことになっている信心と教義の豊かさについて明確に言及している。しかし、結果は東方典礼の精神からあまりにも遥かに離れ、そして実にその精神とは対立することになり、信者をして東方典礼様式からうんざりさせて離れさせるのみである。
 この宗教統一運動の為に東方典礼から借りたものはいったいどんなものがあるだろうか。基本的には「奉献文」を導入させるための数多くの文章(これをアナフォラと言う)。しかし、そのうちのどれ一つとして東方典礼のアナフォラの複雑さや美しさに及ばない。また、その他のものとして両形色での聖体拝領と助祭の使用である。
 東方典礼に近づくために導入したいくつかの要素に反して、新しい司式はローマ典礼がかつて東方典礼に最も近づいていた要素を、全て故意に取り除いてしまった129。同時に、新しい司式は、紛れもなくローマ的で、またいつ始まったかも分からないほどの古いローマの性格を放棄してしまっている。そうすることによって、霊的にそれ自体で貴重であったもの全てから切り離されてしまった。
 この代わりに新しい司式は、プロテスタントの一部の典礼に近くなったが、プロテスタント化したその新しい要素はカトリックの信仰にとって非常に近くにあった要素というわけではない。同時にこれらの新しい要素はローマ典礼を退廃させ東方典礼からもさらに疎外化させた。それは新しい司式の先駆者であるプロテスタント宗教改革で起きたことと全く同じことであった。
 新しい典礼はその見返りとして、かつてなかったほどの霊的危機の時代に於いて棄教・背教の境界線をうろつき今や教会の組織に毒を入れ、教会の教義・礼拝・道徳・規律の一致を崩そうとして教会の破壊を企てているものどもを全て喜ばすだろう。


129 原注26: ビザンチン典礼に於いて見いだされる次の要素を考察せよ。長い何度も繰り返される悔悛の祈り。司式司祭と助祭の祭服を着るための荘厳儀式。プロスコメディアという捧げものの準備のそれ自体で完全な一つの典礼様式。たとえ奉献の祈りの最中であっても聖母や諸聖人への何度も繰り返される祈祷。福音を読むときに「目に見えない共同司式者」としての天使の諸階級への祈り。聖歌隊はケルビコンと名付けられ、天使の階級の一部と見なされている。聖所を教会のその他の部分と区別し聖職者を平信徒と分離させる至聖所の幕(イコノスタシス)。全典礼がそれへと意味付けられている天主の神秘を象徴する隠れた聖変化。天主へと面し決して会衆に対面しない司式司祭の姿勢。聖体拝領は必ず司式司祭によってのみ配られること。聖変化した両形色に対する絶えざる礼拝の印。会衆の本質的に観想的な態度。東方典礼に於いてはたとえそれがあまり荘厳でない様式に於いてでも1時間以上続き「敬虔の念を起こさせ、言語を絶する、・・・天的な、命を与える神秘」として常に定められている。また、ローマ・ミサに於いてそうであったように、聖ヨハネ・クリソストモの典礼と聖バシリオの典礼に於いて、いかに「晩餐」や「会食」の考えがいけにえの考えに明らかに従属しているかということを最後に記しておく。


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