思い出いっぱい『整理箱』

いろんなことがありました。
あの日のこと、あの頃のこと。《エトセトラ》ですね。
思い出すまま書き出してみました。

さらば小泉 グッバイ・ゾンビーズ Say Good-bye to Zombies

2007-08-21 15:55:06 | ■Weblog
さらば小泉 グッバイ・ゾンビーズ Say Good-bye to Zombies (光文社ペーパーバックス)
ベンジャミン・フルフォード
光文社

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■Amazonからの引用です。
■出版社/著者からの内容紹介
あなたを乗せて、「小泉機関車」は地獄へ向かって突っ走る!
■このままでは、確実にやってくる国家破綻 national bankruptcy。この緊急事態を放置したまま、小泉機関車は、マヤカシ改革 false reform のアクセルを踏み続けている。この機関車が行き着く先は、間違いなく「地獄」hell だ。
■なぜ、あなたは、小泉政権を支持し続けるのか? 国民への愛情もなく、政治家としても無能な傀儡男 puppet に、なぜあなたの未来を預けているのか? 小泉を担ぐ政府の中枢には、「改革という仮面」を被ったゾンビたち zombies が居座っている。このゾンビたちを排除しなければ、日本は再生しない。
■日本再生へのデッドラインは、「2007年問題」がはじまるとき。つまり、日本に残された時間は、もうわずかしかない。
■いまでも私は、来日したときの思いを捨てきれずにいる。当時の私には、この国が地上に出現したユートピアに思えた。だから、日本が世界の舞台で称賛されれば自分のことのように嬉しくなり、他国からバカにされたり無視されたりすれば腹が立つ。とくに、アメリカの言いなりになっているいまの状況は、耐えがたい。
■東洋文明が西洋文明の補完文明ではなく、21世紀の人類に必要な文明だということを、日本人は誇り pride と野心 ambition を持って、いまこそ世界に知らしめてほしい。日本が現在の停滞状況 downturn から脱出できないと諦める理由は1つもない。
■内容(「BOOK」データベースより)
ライブドア・ショック、マンション偽装事件…いま、日本が壊れようとしている。迫り来る「国家破綻」を前にして、無能首相をこれ以上放置していいのか?国家に巣食うゾンビたちを生かし続けていいのか?あなたに残された時間はもうない。


無情の宰相 小泉純一郎 (講談社プラスアルファ文庫)

2007-08-21 15:41:47 | ■Weblog
無情の宰相 小泉純一郎 (講談社プラスアルファ文庫)
松田 賢弥
講談社

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■内容(「BOOK」データベースより)
日本の“絶対”権力者・小泉が“絶対”に触れてほしくないタブー、それが「小泉家」。養育費の支払いすら拒もうとした、23年前の離婚の真相。愛する父から、再三にわたり会うことする拒絶された三男の存在。小泉の昼(政治)と夜(私生活)を牛耳る姉・信子。側近中の側近である首相秘書官の飯島勲。新聞では書けない、テレビでは語れない、冷血政治家の正体と身内政治の実態を暴く。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松田 賢弥
ジャーナリスト。1954年、岩手県に生まれる。現在、『週刊現代』を中心に執筆活動を行っている。故・小渕首相元秘書官のNTTドコモ株疑惑をはじめ、政界について多くのスクープ記事を執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


ニヒリズムの宰相小泉純一郎論 (PHP新書)

2007-08-21 15:08:01 | ■Weblog
ニヒリズムの宰相小泉純一郎論 (PHP新書)
御厨 貴
PHP研究所

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■内容(「BOOK」データベースより)
空前の支持率で五年の任期を全うした総理大臣・小泉純一郎とは何者だったのか。人品骨柄から権力構造までを再検証する。聖域なき構造改革、ワンフレーズ・ポリティクス、サプライズ外交など、小泉劇場を語るには欠かせないキーワードの奥には、新しい政治の胎動が垣間見える。この大転換は世界的な潮流なのか?なぜ小泉政治はこんなに面白いのか?説得しない、調整しない、妥協しないという「三無主義」を貫いてきたニヒリスト首相を解剖することは、まさに21世紀の政治を見通すことになるだろう。


「おたく」の精神史 一九八〇年代論

2007-08-21 10:27:51 | ■Weblog
「おたく」の精神史 一九八〇年代論
大塚 英志
講談社

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■著者からのコメント
「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省や経 済産業省や、ナントカ財産の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代に なった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭という国がまんがやアニメを勝 手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートし ていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆や宮崎アニメ は今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時 代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その 一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じな んだよ、と、その初まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持 ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられた とはさっぱりぼくは思わない。だから「オタク」が「おたく」であった時代を「オタ ク」にも「おたく」にも双方にきっちりと不快であるべく本書を書いた。新書にして は異例の400頁超だが、『諸君!』で連載が中断したままだった「ぼくと宮崎勤の ’80年代」を加筆改稿したものである。近頃、流行の80年代をノスタルジックに語る 類の書物として本書を刊行する程ぼくは親切では当然ない。できうることなら旧作 『アトムの命題』との併読を強く希望する。