スポイチ編集長日誌

最近はGTAオンラインの攻略ばっかりです。
日付そのままで修正・追記したりします。

書き込んだところで 何も変わらない♪

2014年01月01日 | 社会
あけましておめでとうございます。
個人的にはあんまりめでたい状況ではありませんが、今年もバカネタ中心でたま~に真面目なネタを…といういつも通りでよろしくお願いします。


近頃色々思うところはあるのですが、インターネットを通じて普通の人々が文章を以ってさまざまな意見をぶつけ合うことは今や当たり前の世の中になりました。
とくにSNSの隆盛によって、相手が有名人や政治家等であっても直接言いたいことを言い合うことができるという時代が現実のものになりました。

でも、こんなことは、ほんの15年ほど前までは、まったく考えられないことでした。

今や、やろうと思えば実際にできてしまうわけですよ。相手が首相だろうが社長だろうが有名人だろうが、直接悪口とか言えてしまうのです。そして、犯罪を示唆したとか何かよほどのことでなければ逮捕されたり処罰されることもありません。

でも、これって、実はものすごく不自然なことなんじゃないかと最近思うようになりました。

世界には、権力者を批判したりするのに命の危険を冒さなければならないような国もあるわけですよ。日本のすぐそばにもね。
歴史的に見ても、なんでもない意見を表明するのにも、時の政権の意向とほんのちょっとズレてただけで、一族皆殺しみたいなことをやってきた時代もあったわけです。

一方、今やその辺の一般人、場合によっては小学生とかでも、ネットを通じてエライヒトの批判とか悪口とか言えてしまうようになりました。
そして、そこらの一般人から批判されるのに耐えられなくて、権力者の中にネットを規制しようとか制限しようと考える人々が出てくるほうが自然ってものです。

ほとんどノーリスクで誰かを批判したり悪口を書けるのって、それはとても不自然なことなのです。


だけどさ、ネットでみんなが好き勝手言うようになって、世の中何か変わりましたか?
ネットに書き込むだけで自分は何もしないネット番長が増えて、以前であれば恥ずかしくてとても口に出すことができなかった偏見とかを堂々と口にする人が増えただけで、現実の社会は実は何も変わっていないんではないか。

ネットを通じて人々がどうのこうのって言ったって、所詮はみんなで2バイト文字を送信し合っているだけです。

では現実に社会が変わる、時代が変わるためには何が必要か。それは歴史を見れば明らかな通り、決して言論とかではありません。

言論の自由を制限しようとする動きは今後確実に出てくるでしょうが、そういう動きに対する反対意見として必ず出てくるものに「(マスコミや言論の担い手が)萎縮する」というものがあります。
その程度で萎縮するならば、意見の表明なんてすること自体をとっととやめて、言論機関や言論人はその看板をおろしてくれと言いたい。

そもそも言論で食っていくということは臆病者には向いていない職業です。
にもかかわらず、かつて臆病者たちが権力者の影に隠れながら彼らに追従し、時には民衆の代弁者面をして彼らを煽り立ててきた結果が先の戦争での大敗北だったのではないですか。
そして、敗戦するや全責任を軍部に押し付けて知らん顔をしたつけが、今になってさまざまな分野で表出してきているのが、今、この時の状況なのだと思います。



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