スポイチ編集長日誌

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信者の後悔――なぜ「安全厨」は「メルトダウン」情報を一斉攻撃したか

2011年09月04日 | 社会
今回の福島第一原子力発電所事故に関する報道や、それに対する人々の反応を見ていて、一つ不可解なことがあった。

それは、原発事故のごく初期の頃から、「実は原発が危ない」という情報が出るたびに、ムキになって否定したり、あるいはその情報の瑕疵を挙げつらったりしながら攻撃していた人々、すなわち「安全厨」と呼ばれた人たちの行動のそもそもの動機だ。

一般的には、彼らは原子力村の関係者だったり、東電の利害関係者だったりしたから、シャカリキになって「火消し」にいそしんでいたのだとされている。

本当にそうなのか?

あの時期、本物の原発関係者や東電関係者が採ったネット上での行動は、おおむね「無視」「沈黙」「逃亡」であり、東電関係者がもっぱら気にしていたのは、福島の人々の行く末ではなく、「自分のボーナス」「来年以降の給料」だけだったと思われる。ソースは俺の周りだが、そんなに極端に間違ってはいないはずだ。原子力や電力会社の利害関係者は意外と多く、石を投げれば高確率で原発屋か電力屋に当たるはずだ。

実際にネット上で「原発が実はやばい状況説」を攻撃したり、「自然エネルギー発電」の瑕疵をあげつらっていたのは、どう見ても原発素人か、せいぜい「電力館」(原発に併設されている、原子力発電は安全と啓蒙するための施設)を見学したことのあるレベルの人だったと思う。
本物の原子力村村民だったら、2011年3月14日の昼から、ドアも窓も閉めきってエアコンも換気扇も止めて地元に近いモニタリングデータをリロードしまくって、さてこれからどうすっかって焦りまくっていたから、ネット上のしょうもない反原発派共に対して長文で反論カキコなんかしてる暇なんてあったわけがない。

東電が原子炉のメルトダウン、ついでメルトスルーを認めざるを得なくなった後も、いまだに自然エネルギーに関する記事が出るたびに、その瑕疵や問題点を挙げまくったり、または原発事故ではまだまだ今後これだけの危険がある、食品の汚染はこうなっているとかいう内容の記事が出ると、その記事を書いた人は反原発派だから信用できないとか、あるいは記事中の些細な瑕疵を挙げて全部信用できないと言ってみたりとか、相変わらず事故直後の己の言動への反省も無いまま、攻撃に夢中になっている人も居る。
まあ、そういう人のIDをトラップしていると、最新の原発事故関連の情報を労せずして追えるのだから皮肉なものだけれど。

こういう、「実は原子炉が危ない」という情報が出るたびに、それを躍起になって否定していた人々を見るにつけ、「そんなに安全安全言うならいちいち攻撃しないで黙って関連株でも買っとけ」と思っていたんですが、では彼らがそうした行動に出ていた心理とは、いったいどのような理由によるものであったのか。

実はマーケティング心理として説明できるんだな。

つまり、こういうことである。
例えば、あなたがあるネットショップである商品を買ったとする。
よく知らない店ではあるが、あなた自身では良い品物をお得に買えたと思っていた。

ところが、後日ネットを見ていたところ、
「別のショップでは自分が買った品物がさらに安く売られていた」
「自分が買った商品よりも性能が良さそうな新製品が発売されていた」
というような情報に触れてしまった。
さて、こんな時、あなたならどういう反応をしますか。

このような時、人間の心には、
「本当に自分の選択は正しかったのか?」という疑問が強くわき起こり、その次に、
「いや、自分の選択は正しかったのだ」と思い込もうとする心理が働きます。
(そもそも、「自分の選択は本当に正しかったのか?」と無意識に考えていたからこそ、すでに購入した商品の販売情報をネットで追っていたのです。)

つまり、自分の購入価格よりも安く売っているショップに対しては、
「商品に何か問題があるから安く売っているに違いない」
とか、あるいは新製品に対しては、
「新しいから性能はいいかもしれないが、もしかするとコストダウンしているかもしれないから、自分が買った旧製品のほうが質はいいに違いない」
などと、つまりは自分の選択と対立する商品やその売り手の瑕疵を、何とかして見つけ出そうとする心理が働くのです。

そして実際に、
「安売りショップでは不良品を売っていて、顧客に訴えられそうになっているらしい」とか、
「新製品はコストダウンの影響で初期不良率が高いらしい」
なんてな情報を見つけると、
「ほ~らやっぱり!!」
と納得し、「やはり自分の選択は正しかったのだ」と安心するわけです。

「原発は危険な状況である」「汚染された食品が危ない」という情報に対する攻撃も、また同じ心理によるものです。
危険だという情報の担い手個人への攻撃や、自然エネルギー発電の問題点をあげつらおうとするのも、この心理によるものです。

人は、自分が行なった決断(この場合は消極的な原発容認)の正当性を脅かす事態が生じた時、それを否定したいという心理が働く。だからこそ事故直後も、「メルトダウン」の可能性を指摘する声に対し、「そんなことあるわけない!」と多くの人が石を投げつけた。
だが結果は、彼らは完全に裏切られることになった。
そして今もなお、海外報道の内容に誤りがあった、自然エネルギーは効率的にはオモチャ同然、その推進役は政商みたいなものと、あまり本質的でない批判に夢中になっている人々は、実は「原発は安全」という戦線を維持できなくなったので、海外報道批判や自然エネルギー批判へと"転進"しただけに見える。
別に「原発は危険」とか「早期のメルトダウン」を指摘していた人が昔はああだったこうだったでつまりアレな人物だっただとか、自然エネルギー発電技術の問題点や、その転換論の担い手が信用ならない人物だとか、瑕疵探しに夢中になるのは、上で見たように、「信者の後悔」としてはごく自然な心理なので無理に止める必要もないとは思う。
福島やその近辺の農畜産物があんしんあんぜんだと本当に思っているなら、黙って食えばよろしい。俺はそうしている。

結局のところ、事故後からこうした行為に夢中になっているのは、
あまり信仰心の高くない信者
だと言えます。
つまり、今まで消極的ながらも原発を容認して、結果としてその恩恵にあずかってきた人々の後ろめたさによるものだ。
「危険」情報に対する執拗な攻撃は、彼らの「原発は安全であるはずだ、いや安全であって欲しい」という願望が露呈したものだ。
核狂信者だったらどんな情報が出ようとも、
「貴様等反原発派がどんな小細工を弄そうとも原子炉は小揺るぎもせぬわ!フハハハ!!」
とふんぞり返ってますからね。

だが、現に広範な国土が汚染され、海洋や海産物の汚染もいまだ実態すら分からないのは事実である。
自分の買った商品の性能や品質が動かないように、原発事故の事実もまた一つしかない。今現にやるべきことすら放置して無意味な作業にうつつを抜かしている間に、事態がより深刻にならないことを望む。



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