コラム・スノーマン~これじゃ悟りは臨めますまい

忘れたくない、或いは一刻も早く忘れたい日々について

キクちゃん

2009-10-26 | コラム・エッセー

私の大好きな友人の一人にキクちゃんという女性がいる。

彼女は1つ年上であるのだが、円周率を求めたくなる程のまん丸の顔に眉の上で綺麗に切りそろえた前髪、それから注意しても注意してもかがむ度にのぞかせる白い背中がいつも彼女を無邪気な中学生のようにみせている。

彼女といると私は必ず癒される。

暖かいものが極々自然と自分の中に流れ込んできて、じんわりと穏やかな心持ちになる。

あたかも胃袋らへんにホッカイロを貼ったかの如く。

そして気付く、ああ自分はしばらく心が固くなっていたのだと。

年齢を重ねるごとに、虚栄の鎧を着け始める人の多さに時折ひどくうんざりしてしまう。

例えば洗面所に行ったらたまたま床が濡れていて履いたばかりの靴下が濡れてしまった時もうんざりするが、恐らくあれの10倍はうんざりしているのだから相当なうんざり度数だ。

そうは言っても勿論私自身にも虚栄心があるだろうし、過去にそれで人を傷付けてしまったこともあるに違いない。

きっと誰にでもあえて鎧を着けて出なければならない状況があり、そうして守りたいプライドもあるのだと思う。

考えてみれば当たり前のことだし、もしかしたらそれも生きている人間の持つ未熟な魅力なのかもしれない。

分かっちゃいるが、分かっちゃいるが時々どっと疲れるのだ。

「僕はこういう系の人間なんです、アーティスティックでしょう?」

「話は変わりますが私はこんなに才能があるんです」

「ほらほら自分はこんなに幸せなんですよ」

「こんなに多くの知り合いがいるんです、あ、驚いたでしょう?」

凄いですねぇ、良かったですねぇ、いやぁあなたは実に素晴らしく素敵な人なようだ!

・・・そんな風に誰かに言ってもらいたい本心が見え隠れする言葉に出くわす度に、何か一つの問題を解決しなければその人と分ち合えないのだろうというような「面倒臭さ」を感じる。

「ああこの人は本当は自分に自信がないのだろうなあ」としみじみ思ってしまう。

洒落た小物や空間や、人がいいなと羨ましがるような体験を本当に等身大とする人は絶対にひけらかしたりはしないし謙虚であるはずだ。

何でもない自分をどうして恥ずかしいと思うのだろうか。

自分の幸せを見せびらかす前に誰かの幸せを素直に祝福することは難しいことなのだろうか。

結局は一人で死んでいくと言うのにそんなにも孤独が後ろめたいのだろうか。

教えてくれよ、ゴータマ・シッダルタ!!

けれどもその内彼らからさりげなくバリアを張るように心を閉ざす自分もまた重たい鎧をつけているのと同じであり、それに気付いた瞬間に毎度の如く、小林製薬の薬用歯磨き粉「生葉」(ひきしめ実感タイプ)よりも更に苦い厭世観が口中に広がる。

だがそんな時に限ってメールが来るのも何故だか決まってキクちゃんなのは一体どういうことなのだろう。

「バスに乗ったら目の前の子供が眠りこけちゃって、とっても可愛い!幸せ!」

「あなたの明日がまたいい日になりますように!」

茹ですぎたモヤシのような現代小説の、酔いしれた小手先のリズムとは全く違った温かな言葉を彼女は私にくれる。

キクちゃんは一切を自慢しない。

例えばどこだかの何という洋菓子が口溶けが良いのだとか、

どこそこのシャツは仕立てがよろしくて肌触りが格別だとか、

それ自体は素敵な情報に違いはないが、一旦透かして見てみると結局「それを知っている私」が紙幣のホログラムの如く浮かび上がってきて、アラアラ愉吉も漱石もビックリ!というような本当は取るに足らないちっぽけな見栄の一切を持ち合わせない。

また他人に自分をこう見せたいだとか、これが得意なんだとか、そうしてサイズに合わない表現をしてみせることも一切ない。

けれども私は彼女から本当の幸福の匂いが滲み出ているのを感じる。

彼女は紛れも無く自分自身の人生を生きており、そして圧倒的に豊かだ。

歩んできた道は決して平穏なものではなかったはずなのに。

以前彼女と温泉に行った時。

不細工な鎧を着けない彼女の肩は美しくなだらかで、湯に浸かりながら清々しく目の前に広がる山を見つめる彼女の目元には満ち足りたしわが1本ずつ、うっすらと影を作っていた。

縞模様を描く熱い湯の上に白々と浮かび上がっていたのは果たして私の安堵感か、彼女のまっさらな心か。

自分のためだけにやりたいことをやる限りの人生はきっと幼い。

他人のために心を燃やそうとする自分をスッと頭に描ける方がどれだけ満ち足りていることか。

進んでいったその先にあるものが「自分」でしかない生き方はひどくちっぽけで淋しいものに思えてならないのだ。

昨日はキクちゃんと郊外まで芋掘りに行った。

次々と数珠繋ぎで現れるサツマイモを手に、キクちゃんはまた中学生のように笑っていた。

私も笑った。

飾らない心はやがて伝染し、輝かしい尾びれをもってひらひらと周りの人を幸福にしてゆく。


お願いだからこれ以上またいで来ないで。

2009-10-24 | コラム・エッセー

前々回草食系男子やスカート男子について触れたが現在街には「レギンス男子」やら「キティーちゃん男子」まで存在することがその後の調査(※)により明らかになった!

レギンス男子は想像するに難くないだろうがキティーちゃん男子、こちらは自分の持ち物にキティーちゃん柄を選ぶ男性のことを指す。らしい・・・・・・。

って、どああーーーーーーーーーーーーっ
一体どうしちゃったのさ、世の中の男子は!ん!?訳を言って御覧なさいな!?

「エヘヘ。ボクの好みなんですぅ。」って言われちゃそれまでだけどそれにしても最近男女の垣根が無さ過ぎなんじゃないの!?

とどのつまりホルモンかい!?

ホルモンの問題なのかい!?

近未来を描いたあの手塚治虫だってさっすがに男性の女性化までは描かずに死んでいったさ、だのにだのにそれだのに!

すいませーーん男の人が垣根またいじゃってるの見えますかーーーっ!?

天国の治虫大先生ーーーっ!えーんえーん!!

・・・はあ。思わず感情が爆発してしまった・・・。

一旦気を落ち着かせよう・・・。

まあ確かに私がそこまで女性らしいかと言えばそれは嘘になる。(明らかに。)

しかし最近のこの傾向にはどうしても首をかしげずにはいられないのだ。

かしげすぎて今にも頭が肩にめり込みそうな程である。

「肉食系女子」に代表されるように女性も男性化しているとの見方もあるが、それもこの先どんどん進むのだろうか。

ガンダムグッズを持ち歩く機動戦士女子。

男性用下着を着用するトランクス女子及びブリーフ女子。

または紳士スーツを着用する青山女子。

その内耳の裏から加齢臭を出すダンディー女子、それから乳を出せる母乳男子まで出できたらもう終わりだ。

とりあえず今の私にできることは飽くまで垣根のこちら側でじっと生態系を見守ることくらいだろう。

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と・言いつつ数年後に紳士スーツの下にしっかりブリーフをはいた私の姿があったとしたらその時は大変申し訳ございません。

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(※)「男なら!男ならタイマツを掲げろ!!の会」調べ。平成21年現在会員は私のみである。


相棒の相棒

2009-10-21 | コラム・エッセー

自分のささやかな夢のひとつに「ターレットで高速道路を走り抜ける」というのがある。

普通自動車免許を取得して以来かれこれ8年余り経つが、何を隠そうまだ一度たりとも高速道路で運転した経験が無い。

今となってはもう高速な道路など末恐ろしくて運転する気にもなれないが、ターレット、あれならば楽しく走れると思うのだ。

ちなみにターレットとは市場内でエプロンを付けたおじさん達が立ちながら乗り回している小型三輪トラックのことである。

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突然であるが私は毎週木曜日の朝にラジオに出演しているため、大抵水曜の晩に原稿を書いている。

チマチマと。モソモソと。ゴニョゴニョと。

だがしかーーーーし!

この先3カ月間は毎週火曜日までには原稿を書き終えることを自らに誓った。

なぜならば水曜日は…「相棒」を観るために全精力を注ぐつもりだからだ!

いよいよ「相棒シーズン8」が始まった。

恐悦至極に存じ上げる!

この私の興奮がよく分からないという方のために、私が生き方に通づる「ドラマ『相棒』の楽しみ方」をご説明したい。

私はしばしば身の回りの友人達にこのドラマがどれ程面白いか熱弁をふるうのだが、中には「アンタに勧められて実際に観てみたが全然面白くなかった。どうしてくれよう。」と言う者もいる。

聞けばあの熱さが鬱陶しいのだとか。

かくゆう私も最初から相棒ファンであった訳ではない。
母親が観るので仕方がなしに付き合ってはいたが、どちらかと言うとむしろ不快な番組であった。

確かにあの俳優陣のわざとらしい気迫や水谷豊の無機質な視線にはどうしても違和感を感じ得なかった。

鬱陶しいと言い切った友人の気持ちも解せる。

けれどもその内思うようになったのだ。

「この番組はこんなにも熱いのに冷めている自分がひどくつまらない」と。

そう、相棒はあの熱さにあえて飛び込んでこそ面白いのだ、あのわざとらしい気迫に!無機質な目線に!!

つまりはまず自分自身が「相棒」の「相棒」になることが「相棒」の楽しみ方であるといってもいいだろう。

人生もこれと同じなのではなかろうか…。

盛り上がっている事柄に対して単に重箱の隅を突くような冷静な目を向けているだけではいつまでたっても面白いことから喰いっぱぐれてしまう。

実際に始めてみて、その内それが心から面白い、楽しいと思えるようになったときに自然と感動や興奮と言ったような貴重な体験が積み重ねられていくのではないかと思う。

例え自分が熱中していることに第三者が不快な・不満な点を指摘してきたとしても堂々と「何言ってんの、そこがいいんじゃないの~!」と開きなおってしまえばいいじゃないか。

見る阿呆より踊る阿呆になりたいと、私は常々思っている。

今はまだ様々な場面でそうなりきれない自分もいるが、いつの日か必ずや素晴らしき踊る阿呆になりたいものだ。

…まあ相棒をきっかけにこんなに熱く語る自分はそれこそ鬱陶しい事も重々承知の上だが。

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「相棒シーズン8」初回2時間スペシャルの日は腹立たしいことに番組が始まるギリギリの時間まで仕事だったので、心の中で「右京さーーーーん!!」と叫びながら帰った。

本気の競歩で。

本当のところは猛ダッシュで帰りたかったのだが、最近になってまたしても足の裏のテロリスト・魚の目が攻撃を開始、領土を広げ出したのでそれはそれは痛くてとてもじゃないが走れなかったのだ。

さて今日は水曜日。

コンディションはバッチリだ。


わたくしの提案

2009-10-08 | コラム・エッセー

「2秒以内に自分の苦手なモノを答えよ」

と突如誰かに迫られたとしたら、私は迷わず「草食系男子」と答えるであろう。

なんなら1秒でも足りる位だ。
0.5秒?オーケイ、それでもいいだろう。

兼ねてから「タイマツの似合う男が好きだ」と声高に申している私としては、徐々に街に増えつつある「草食系男子」なるものが辛抱堪らん。

サナトリウムが実家です、とでも言い出しそうな元来虚弱体質の者であれば仕方が無いが、世間からの「カンワイイ~」だの「オッシャレ~」だのという温い評価に堂々と甘んじているひょろりとした男子など心底まことに信じ難い。

もう一度言う。

まっことに信じ難い。

おまけに最近では平然とスカートを履く「スカート男子」とやらも発生しているのだとか。

かぁーっ男なら何は無くともマッスルじゃろがーーーっ!バーサン、塩持ってこーーーい!

(「そういう自分は何なのだっ偉そうにっ!チッ!」という御意見もあろうが、今回はあえて無視させて頂く。)

さてここで私が世の女性のために・例え現在草食系男子が好みでいたとしても・女性であるならば必ず心のどこかで求むるであろう提案をしたいと思う。

私がもし宝くじで数億ほど当てたとしたら……まあまずは好きな事をやるとして、余ったお金でホストクラブを経営するつもりだ。

勘違いしてもらっては困るのだが、これは飽くまで「新しい形」のホストクラブだ。

「スジモリ」?ノンノン。

「ヤリモク」?パードン?

私が経営するのはオールふんどし・肉食系男子のホストが待ち構える、その名も「倶楽部ランボー」!!

ランボーオーナーとして無論ホストの採・不採用には相当厳しい判断を下すつもりだ。

まずは履歴書。

チマチマと細かい字の者は不合格、せっせと米粒にでも職歴書いていろ。

書き殴ってあればあるほど合格、血判状も可。

それから面接試験と称しいきなり応募者全員を船に乗せそのまま無人島に置き去りにする。

沈みゆく太陽を見て感傷的になりポエムを読んだり一眼レフを取り出したりした者は即不合格。

前髪や靴に入った砂をしきりに気にする者も同じ。

暗くなる前に無事に水を確保し火をおこせた者のみがいよいよ合格、晴れて倶楽部ランボーのホストとなりえるのだ。

断っておくが倶楽部ランボーではホストと女性客とのトークは全くと言って良いほど弾まない。

喋りよりハートが売りなのだからこれも至極当然と言えよう。

またホストは客とあまり目を合わせない。

ジッと目を見つめて話すというような小手先の落としテクニックは一切使わない、実直な照れ屋揃いだ。

それでいて帰り際にタクシーの捕まえられない可哀想な客は御輿で自宅まで担ぎ届けてあげる粋な優しさも持ち合わせている……。

どうだろう、どうであろう、街の乙女達よ、熟女達よ!

これぞ男の真の姿じゃろう!?

ドキドキするじゃろう!?

さあさあ今宵もノック、ランボーの扉を…!

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そんなことを考えながら、吊革にもたれ、今日も電車で職場へと向かう。

横には、ああ、ホラまた草食系男子が……。

改札を出たら一刻も早く宝くじを買わねば。