コラム・スノーマン~これじゃ悟りは臨めますまい

忘れたくない、或いは一刻も早く忘れたい日々について

バウムクーヘン

2006-07-23 | コラム・エッセー

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酔って上機嫌になった父が散歩に行ってくる、とぶらりと出て行った。



数十分後、帰ってきた父は紙袋片手に嬉しそうに言った。



「お父さん、甘いもの食べたくなっちゃってさー、あそこのコーヒー屋さんに寄ってバウムクーヘン買ってきたから、これ切って食べようよ~」



これには私も喜んだ。



家の近所にあるコーヒー屋はケーキも美味しく、たまに家族でお祝い等をする時は必ずそこのケーキがテーブルの上に登場するのだ。



「今まであの店にバウムクーヘンなんて無かったのに、新作かな?」



と、私はウキウキしながら紙袋を受け取り、そのまま台所に行きまな板と包丁を用意した。



ガサ………



紙袋の中を見て、私は心底腹が立った。



「ちょっと、お父さん!コレ違うじゃん!!」



酔った父は四分の一にカットされたバウムクーヘンと間違えて、なんと透明フィルムに入った天然パルプ100パーセントの茶色い“コーヒーフィルター”(100枚入)を買って来たのだ!



「も~~っ しっかりしてよ!」



大マケにマケて、ほの暗い店内で茶色のコーヒーフィルターを横から見た時のゴワゴワとした紙の重なり具合がバウムクーヘンの外側の部分に見えたとしても、だ。



透明フィルムに書かれた“おいしい珈琲屋のコーヒーフィルター”の文字の“おいしい”の部分だけしか見ていなかったという余りにも短絡的な父にはほとほとウンザリする。



間違いに気付いた父は「ありゃりゃ~~~~!」とたいそうたまげた様子を見せ、それがよっぽど残念だったのか、みるみる内にションボリしだした。



その姿に思わず同情してしまい、仕方なく私はその後父の買ってきた「バウムクーヘン」を使ってコーヒーを一杯落としてあげたのだった。




私というやつぁ…

2006-07-18 | コラム・エッセー

西瓜を食べていたら或る事に気がついた。



あな恐ろしや。



7月もそろそろ終盤を迎えようとしているではないか。                                   



一体どうしたものだろうか、今月頭の予定では今頃私はバリバリとウォーキングをし、バリバリと汗をかき、バリバリとデューク更家のストレッチをし、私の体はとにかくどんどんバリバリと夏仕様にしなやかになっているはずであった。



そして水着で海辺を、スローモーションで駆け回っているはずであった。





今脳裏では、しなやかな体の私は夕暮れの中、海の向こうの水平線の彼方まで走り去ってしまった。砂浜に、「グッバイ」の文字を残して……



そう、つまりそのウォーキングやらストレッチやらを、私は芸術的なまでにサボったのである。



というよりもむしろ、「無視した」に近いかもしれぬ。 



西瓜の種を一粒ブッと飛ばして思い出した。  





小学校の夏休み明け。



…休み前に配られる、予定表の作成が大好きであった。0と、6と、12と、18の数字だけが書かれたあの丸い円をチマチマと定規で分け、一日のスケジュールを立て、その後丁寧に色分けしていくその作業が好きだった。



出来上がった瞬間に「よし、やるぞ!」と意気込んでいる自分が快感であった。



夏休み中。



真っ黒に日焼けした足をベランダから投げ出し、ガリガリ君を食べながら私はどこかでその存在に気付きつつも、円の中に誇らしげに書かれた「勉強の時間」を無視し続けた。



そして休みも明けた頃、私は一学期に習った事を綺麗さっぱりに忘れている自分にがく然とするのであった。



あれから20年。



私は何も変わっていなかった。



…ガックリ。



でもまあいいや、来月こそはあの水平線の彼方からしなやかな体の私が水着姿で現れてくれるはずだ。それはもう、満開の笑顔で。



しかしながら今、この「まあいいや」すらも20年間変わらぬ私の口癖である事に気付き、再度ガックリしているところである。



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