光陰矢のごとし。静大で第2外国語として初めてフランス語を学んで以来、30年になる。
当時の僕はやりたいことが沢山あり、大学の勉強はそっちのけだった。例えば学生自治会活動、合唱、体操…。
そして自分が勉強したいのは作曲と和声だと分かるまで、時間はかからなかった。当然、フランス語の試験は落第。翌年も試験を受けねばならなくなった。
僕は子供の頃から作曲家になろうと思っていた訳ではない。1年次は単に良い成績を取るだけのために和声を勉強したが、それを後悔した。
2年次、自分が勉強したいのは作曲と和声だと分かってからは集中的に和声を勉強し、授業の3倍のペースでこなした。
「金はあるか」作曲の先生が僕に訊いた。静大2年次、フーガの勉強をしにフランスに行かないかと訊ねたのだった。
僕は親に話し、翌年の夏、フランスに行かせてくれることになった。
単に合格するだけのためにフランス語を勉強していた僕は、それからは大学の授業だけでなく、NHKラジオ講座も勉強した。
大学は海から自転車で10分のところにあった。夏は海岸で水着になり、大学のフランス語テキストの「星の王子さま」やNHKのテキストを勉強した。
海を見ながら時々思った「この海のずっと向こうにフランスがある」と。
夜は和声の勉強をしたり、自分のシンセで多重録音作品を作ったりした。幾つかの作品はアマチュアのコンテストに入賞した。
そのシンセは大学の入試に合格した時、小学校入学以来の貯金で買ったもの。だからシンセサイザーは僕の恋人だった。
シンセとの原体験は中学生の時。音楽の授業で先生がシンセのレコードをかけた。冨田勲のレコードだ。
電子音が超現実的に踊った。ひょうきんだったり荘厳だったり…。僕はシンセがクラシック音楽を根底から変えると思った。
シンセとの次の出逢いは高校生の時。ある生徒が学校の文化祭で、トロンボーンやエレキギターと一緒にシンセを演奏した。
多重録音と違い、その演奏は単調だったろうか?それどころか、とても生き生きとしていた!
その後、シンセを買いたい思いは日に日に強くなった。
友達の影響は大きい。それ以来、僕はシンセの解説書を購入したり、シンセのレコードを買い漁ったりした。
でも考えてもみて下さい!当時は静大教育学部の受験勉強の最中で、合格するまでシンセは買えなかった。
その代り、自分で作曲した奇妙な歌やピアノ曲を録音して楽しんだ。再生スピードを変え、音を変化させたりもした。
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