Seriously?

ひとりごとです

U-NEXT MOVIE ■■メイジーの瞳■■

2020年07月28日 | 映画

これもU-NEXT で観た映画

 

U-NEXT MOVIE ■■メイジーの瞳■■

☆☆

なんなんでしょうね。最近、感動するということがない。心が石になっているのか?次々とTVに映し出される悲劇に乱されないように。心の健康を保つために、石になるのか?

これも映画館で観てたら、泣いたのかな?私には子どもがいないから想像出来ないけど、もしいたら、メイジーの母親のように、自分勝手でキャリア優先して育児放棄する酷い母親になったのか?ああいう子どもっぽい、子どもが子どもを産んだと言われるような精神的未熟さは、今の私にも十分ある。あんな風になっていたのかも知れない。

それとも、母性に目覚めて、何が何でもこの子を守ってみせる!と、子ども第一の母親になったのだろうか。

母性のスイッチが入るきっかけは、何なのだろう。

 

ここからネタバレ感想

 

メイジーは、離婚した両親にたらい回しにされ、都合の良いときだけかわいがられ、お迎えの来ない学校でしばしば寂しく待っている。慌てて助けの手を差し伸べるのはベビーシッター。時には依頼されていなくても、独りぼっちで保護人のいないメイジーを放っておけない。いつしか、メイジーとベビーシッターの間には、本当の親子のような強い絆が出来る。

でも、メイジーにとって両親はやっぱり両親だから、どんなに放棄されても、久しぶりに会いに来てくれたら、この上なく幸せ。滅多にしか感じられない愛情だからこそ、たまに与えられると、ますます貴重なものになり、ますます恋い焦がれ、しがみつくようになる。

 

メイジーはかわいそうか?この映画は、「親から見捨てられた子どもの悲劇」とみる人が多いのかな?

私は、希望を感じた。本当の両親に育児放棄されていても、メイジーのことを心配して、守ろうとしてくれる人達に出会えたということは、メイジーにとって、本当に幸運なこと。愛情は、血のつながりじゃない。

親からネグレクトされるということは、小さな子どもにとって魂を引き裂かれるような体験だが、傷を負っても、まだそれでメイジーの人生、終わりじゃない。傷ついても傷ついても、何度でも再生すれば良い。立ち上がれるように、手を差し伸べてくれる人との出会いは貴重だ。家族がなければ、新しく作れば良い。これは、「再生の物語」だと思った。傷ついた分、心はよりしなやかになると信じたい。(実際には、傷を負うと、私のようにどうしようもなくひねくれてしまう人もいるけど。)

 

面白かったのは、メイジーのベビーシッターが、ベビーシッターになったことによって、メイジーの父親と知り合い、恋に落ち、再婚したこと。それと同様に、母親の再婚相手も、メイジーの世話をすることを通して、父親の方の再婚相手と知り合い、「メイジーの世話をする」ことを綱渡りをするように助け合う中で、信頼関係が生まれ、次第に愛情に発展する所。

メイジーはキューピッドなのだ。

でも、実の両親にとっては、関係を破綻させるきっかけになったのかも知れない。

「子はかすがい」と言うけれど、メイジーの両親にとっては「かすがい」にはならず、血の繋がっていないベビーシッター同士にとっては「かすがい」になったのだ。

この差はどこから来るのだろうな。路頭に迷う、弱い命がある時、「なんとしてでも守りたい」と思う母性本能が強い人達には、そのか弱い命は「かすがい」となるのだろう。

一方で、血の繋がった子どもでも、キャリアのためにはバッサリ切り離せるクールさが、両親の成功の秘訣なのかな。と、思った。成功の裏にある大きな犠牲なのでしょう。(でも、お父さんもお母さんも成功したお金持ちのように見えるけどな???? だったら、専任のナニーを24時間雇うことだって出来そうなものだけどな~???? と、ちょっと疑問だった。)

理想は、キャリアも、子育ても、両方うまくやっていくことだけど。

 

でもこの、育ての親カップル、実の両親から、誘拐だと訴えられそうな予感が...
だから、幸せなような、悲劇を予感させるような、切ない終わり方だった。

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