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Soopllofeiv の日常

管理人soop視点の奇妙な現状

少女椿

2022-05-22 13:17:52 | Weblog

少女椿』(しょうじょつばき)は、丸尾末広による日本漫画作品、またはこれを原作としたアニメ映画

漫画ピラニア1981年8月号に掲載された同名の読切作品『哀切秘話 少女椿』(短編集『薔薇色ノ怪物』収録)を経て司書房官能劇画誌漫画エロス』で1983年8月号から1984年7月号まで全8話が連載された。番外編に前日譚を描いた『少女椿 水子編』(白夜書房ヘイ!バディー』1984年2月号掲載、短編集『キンランドンス』収録)と『少女椿 予告編』(ビデオ出版メロンCOMIC』1984年8月号掲載、単行本未収録)がある。

本作は『月刊漫画ガロ』を発行する青林堂から1984年9月に単行本化されて以来、女子高生をはじめとする10代後半の多感な年代層を中心に密かな支持を得て読み継がれており、「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティヴ・コミックの中でも評価や知名度がずば抜けて高い作品のひとつになっている[2]

これまで大手出版社から単行本化、文庫化、電子書籍化されたことはなく、現在も入手出来る単行本は青林工藝舎による改訂版のみである

 

実写版は最近上映されたが

アニメ版がありそちらは上映禁止作品らしく

セルされていなかったが

フル作品でYoutubeに暫くアップされていたが

問題があり削除された

 

ストーリー

昭和13年貧しい家に生まれ、病身の母と2人暮らしの生活を送る少女みどりは、母の世話のために夜ごと花売りにでかけていた先で、山高帽を被った親切なおじさんに出会う。

「困ったときは、いつでも私を訪ねておいで…。」

家に帰ったみどりが目にしたのは、性器から入り込んだ何匹もの鼠に内臓を食い破られた母親の姿だった。孤児になったみどりは、山高帽のおじさんを訪ねる。彼女が連れて行かれたのは異形の芸人たちが働く見世物小屋・『赤猫座』であり、山高帽のおじさんはそこの主人であった。見世物小屋の下働きとして使われるはめになってしまったみどりを小屋の芸人達は事ある毎に虐め抜き、みどりもまた障害を負っている芸人達を化け物呼ばわりし、嫌悪感を露にして罵る。

狂気にまみれた異常な日々が続く中、小人症の男、手品使いと称する謎の芸人ワンダー正光が小屋の売り上げのテコ入れのために雇われてから、みどりを巡る状況も一変していく。手品と称して不思議な幻術を操る正光はみどりを気に入って何かと世話を焼き、みどりも自分に優しく接してくれる正光に好意を抱くようになる。ワンダー正光のアシスタントとなり、一座の売り上げに献身することで一座での発言力を強めた正光のおかげで、みどりの立場も向上していくのだった。

ほどなくして赤猫座の座長が一座の金を持ち逃げして行方をくらまし、芸人達にそれぞれの旅立ちの時が訪れた。みどりはワンダー正光と共に旅に出ることになり、辛く当たっていた芸人達もみどりと正光の門出を祝福してくれた。

ようやく訪れる幸せへの喜びに胸を躍らせていたのも束の間。バスの停留所でみどりを待たせ、お弁当を買いに行った正光は泥棒に殺されてしまった。いつまでも帰ってこない正光を探しに行くがようとして見つからず、疲れ果てて休んでいた神社の並木道で、みどりはワンダー正光を含む見世物小屋の芸人達が楽しそうに宴会を行っている光景を目撃する。芸人達の朗らかな笑い声が響く中、みどりはショックのあまり半狂乱に陥り、泣き叫びながら芸人達を追い払った途端に、その光景は消え失せてしまった。

ただ独り取り残されたみどりが号泣するところで物語は幕を下ろす。

wikipediaより抜粋

 

メディコムトイの500円ガチャVAGシリーズで販売された

 

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ガロ系

2022-05-22 13:08:07 | Weblog

ガロを知らない人は不幸である

 

ガロ系(ガロけい)とは、かつて青林堂が刊行していた漫画雑誌『ガロ』に掲載されていたアングラな漫画作品、ないし、その作家である個性派の特殊漫画家、またその作風を指す表現。日本におけるオルタナティヴ・コミックに相当する。

また、ガロ出身ではない作家についても、上記の意味でのガロ系作家を思わせるような、作家性が強い独自の作風をもつ者について「ガロ系」と称することがある。

歴史

日本のオルタナティヴ・コミック(ガロ系)の草分けとして世界的に知られる辰巳ヨシヒロ1957年貸本漫画誌『』(セントラル文庫)で「劇画」という名称を漫画家として初めて用いたが、この頃はまだ「ガロ系」という言葉は存在せず、前衛的な漫画作品は「貸本劇画」の範疇に括られていた。

その後「ガロ系」の由来となった伝説的な漫画雑誌月刊漫画ガロ』が青林堂長井勝一貸本漫画家白土三平によって1964年に創刊され、戦後日本のマイナー文化を代表する漫画雑誌として長らく君臨した。その誌名は「我々の路」という「我路」から採用されている

『ガロ』は商業的な流行漫画とは一線を画し、時代の流れに捕われない独自の表現方法を持つ作家(漫画家に限らない)に表現の場を与え、伝説的経営難の中で独自路線を貫き、1960年代から1990年代末にかけて日本漫画界のアングラサブカルシーンを牽引した。

創刊当時は劇画ブームも手伝い、大学生や社会人も漫画を読むようになった時代である。また、安保闘争全共闘運動が背景にあり、学生運動が興隆を迎えていた時期でもあった。そうした世相を反映した白土三平の『カムイ伝』や水木しげるの『鬼太郎夜話』を柱につげ義春池上遼一佐々木マキつげ忠男楠勝平永島慎二つりたくにこ林静一滝田ゆうなどの個性的な劇画作家が活躍し、全共闘世代の大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され一世を風靡した。

『ガロ』はもともとその題材・内容とスケールから連載する場所が無かった『カムイ伝』を連載するための雑誌として創刊されたものであったが、1971年に『カムイ伝』(第一部)が終了、それと同時に学生運動も終息を迎え『ガロ』の売上は徐々に下降線を辿るようになる。一方で当時青林堂の編集者であった南伸坊渡辺和博は、商業性を無視して作家のオリジナリティを重視する編集方針のもと「面白かったらなんでも載せる」という「面白主義」を提唱し、新人発掘の場として枠に囚われない独創的かつ芸術的な実験作・意欲作を積極的に掲載した。

これは作家側にすれば編集者の干渉が比較的少なく、自由に作品を発表出来たため、その結果、他誌では到底受け入れられないアウトサイダーな作風を持つ前衛的な漫画家が集まった。この1971年以降の『ガロ』は第2期と呼ばれ、部数低迷期にありながら安部慎一鈴木翁二古川益三花輪和一川崎ゆきおますむらひろし蛭子能収平口広美根本敬山野一丸尾末広杉浦日向子近藤ようこやまだ紫渡辺和博ひさうちみちお泉昌之泉晴紀久住昌之)、みうらじゅん大越孝太郎内田春菊松本充代ねこぢる山田花子友沢ミミヨ逆柱いみりみぎわパン魚喃キリコ古屋兎丸西岡兄妹花くまゆうさく本秀康福満しげゆき山本ルンルンなど漫画界の異才・鬼才をあまた輩出し、日本の漫画文化史上に一時代を築いた。このような商業性の乏しいアンダーグラウンドな作風を総括して「ガロ系」というジャンルが確立した。

2002年に『ガロ』は通算426号で休刊したが、その血脈は1997年青林堂から分裂した青林工藝舎の『アックス』に受け継がれており、現在サブカルチャーの世界で『ガロ』は伝説の雑誌と呼ばれる存在になっている

ozasiki1929はオタクなのでお座敷と赤瀬川原平のおざ式から取っています

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三本 美治

2022-05-22 11:00:08 | Weblog

山本英夫のアシスタントを経て、1991年 雑誌『ガロ』でデビュー。1992年ちばてつや賞(講談社)佳作入選。

当初は「三本義治」名義であったが、現在はこの名前で活動。「ドイツ三本」名義で紙芝居ライブもおこなっている。

 

この人の漫画が面白い

絵はうまくないが味がある

兎に角話が面白い

お薦めです

 

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スプラトゥーン3 ナワバリバトル

2022-05-22 10:52:34 | Weblog

 

 

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日本に聖人がいるか?

2022-05-22 10:39:08 | Weblog

聖人がいる国は栄えるといわれている

資源もなく技術と嘘の文化だけで

繁栄しているこの国には

聖人がいるだろう・・・

ファーファ「聖人は死後二回奇跡を起こすと

      バチカンから聖人認定をうけることになる」

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イエス

2022-05-22 10:29:20 | Weblog

イエス・キリスト古代ギリシア語Ίησοῦς Χριστόςラテン語Jesus Christus、伝:紀元1年 - 紀元後33年)は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味。

キリスト教の多くの教派において、イエス・キリスト神の子であり、それが受肉してとなった、真の神であり真の人である救い主として信仰の対象としている(三位一体)。しかし、ごく一部の人々からは三位一体の教義を確立するために聖書の本文を変更している、という批判もある。(三位一体を否定している教派は、一般的に異端と見なされている。)

旧約聖書中の預言者に続き、新約聖書中でイエスは「יהוהヤハウェ)は唯一の神である」とことさらに強調し、以下の記述により、イエスが父なる神 יהוהヤハウェ)の子、三位一体位格の1つ「子なる神」であると解釈する。

  1. み使い(天使)たちを遣わす特権と天国を父のものであると言明すること(マタイ 13:41-43
  2. 罪を赦す権威の宣言と、反対者への説得(マルコ 2:5-12)
  3. 終末において父からの祝福の有無で人を裁く権威の主張(マタイ 25:31-46)
  4. 安息日が神と人のためにあるという断言(マルコ 2:27-28
  5. 父なる神の子であることを強調(ヨハネ 10:30
  6. 誕生前から預言者律法によって明かされていた神の小羊であると主張(ヨハネ 3:13ヨハネ 8:58
  7. 裁判に訴えられた際に、神のメシアであり、預言と律法通りに死を見たあと蘇ることを認めた(マタイ 26:63
  8. 使徒トマスダビデの預言がイエスにおいて成就したのを見て「私の主、私の神」との言明を否定しなかったこと(ヨハネ 20:28
  9. 自身を「神の子」といい、自分を神と同列に語った(ヨハネ 5:2-18

イエスの言行を記した福音書を含む『聖書』は、世界でもっとも翻訳言語数が多い歴史的ベストセラーであり、音楽・絵画・思想・哲学・世界史などに測り知れない影響を与えた。

 

主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。— 『マタイによる福音書第1章第20-21節口語訳聖書

 

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい」。— 『ルカによる福音書第1章第26節31節口語訳聖書

 

それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。— 『イザヤ書第7章第14節口語訳聖書

 

すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。— 『マタイによる福音書第1章第22-23節口語訳聖書

当時、指導者的地位にあった律法学者はイエスに対する妬みに駆られ、殺害計画を企てていた。そこで、自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪を彼に被せ、衆議会の裁判にかけられたあと、ローマ総督府に引き渡されゴルゴタの丘で磔刑に処せられた。

その後、十字架から下ろされ墓に埋葬されたが、3日目に復活し、大勢の弟子たちの前に現れた。肉体をもった者として復活したと聖書の各所に記されている。

wikipediaより抜粋

 

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胡蝶の夢

2022-05-22 10:08:22 | Weblog

もしこの世界が誰かの見ている夢の世界だったら・・・

胡蝶の夢(こちょうのゆめ)は、中国戦国時代の蒙(現在の河南省商丘市民権県)生まれの思想家の荘子(荘周)による、夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのかといった説話である。荘子の考えが顕著に表れている説話として、またその代表作として一般的にもよく知られている。

夢の中で胡蝶(のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。

荘子が他の説話において提出してきた「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賤」などの現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であり、荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」という。

荘子はそれを次の3つの説話で示した。

  • 朝三暮四
猿回しが『朝は3つで夜は4つだ』と猿に団栗を与えようとしたが、猿はこれに怒った。『では朝は4つで夜は3つだ』というと猿は喜んだ、という説話である。結局は1日7個の団栗を食べているということで、どちらも同じで、相対するものを考える人間も同じようなものだと荘子は説く。
  • 「吾が生や涯てありて、知や涯てなし」
人の一生に限りがあるのに、知にはその限りがない。限りのあるものの中で限りないものを追いかけてもただ疲れるだけだ、ということを説く。
  • 「大知は閑閑たり、小知は間間たり」
立派な知恵は悠々としているが、つまらない知恵に惑わされる人間はせこせこしている、ということである。

これら3つが意図する「その程度の小知ならば捨ててしまえ」という思想を端的に表したのが、この「胡蝶の夢」である。ここでは現実との対立が提出されており、どちらが真実の姿か、それは問題ではなく、胡蝶であるときは栩栩然として胡蝶になり、荘周であるときは荘周となっている。そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである。「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は言っているのだ。

「知」には何ら確かな判断はないのだから、考えたところで仕方がない。知の判断から離れてみれば、差異や区別を超えた世界が見えてくる。これこそが、荘子の言う「逍遥遊」の世界である。これが万物斉同の世界で遊ぶことであり、荘子が胡蝶の夢を通して訴えていることであると言える。

物の変化とは表面に現れた現象面での変化に過ぎない。胡蝶と荘周が形の上においては大きな違いを持ちながら、共に己であることに変わりはない。万物は絶えざる変化を遂げるが、その実、本質においては何ら変わりのないことを述べているのである。

wikipediaより引用

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エヴァンゲリオン

2022-05-22 09:55:03 | Weblog

wowowで放映されたTVシリーズをダビングしたビデオテープを

後輩にもらい初めて観た話的には一方的で

謎だらけだったがたしか解明本が出ていてそれを読んだら

かなり内容を理解できるようになった

旧作のエヴァンゲリオンの正体

個々の単体として行き詰った人類を完全な単体へと人工進化させることで

人々の心の損失を埋めようという話

新作エヴァンゲリオンの正体

ゼーレも途中で消え去り完全なゲンドウのスタンドプレイとなる

計画はもはや人類補完計画ではなく、妻を蘇らせることを目的となっている

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星を食べる

2022-05-22 09:52:12 | Weblog

 

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ひも理論

2022-05-22 09:33:59 | Weblog

弦理論(げんりろん、string theory)は、粒子を0次元の点ではなく1次元のとして扱う理論仮説のこと。ひも理論ストリング理論とも呼ばれる。

 

1970年南部陽一郎レオナルド・サスキンド 、ホルガー・ベック・ニールセン (Holger Bech Nielsen|enが独立に発表したハドロンに関する理論によって登場したものの、量子色力学にその座を譲った。しかし、1984年マイケル・グリーンジョン・シュワルツ (John Henry Schwarz) が発表した超対称性及び、カルツァ=クライン理論を取り入れた超弦理論

(superstring theory)によって、再び表舞台に現れた。4つの基本相互作用を統一する試みとして注目されている。

最近では、超弦理論やM理論を含む広い意味で「弦理論 (string theory)」と呼ぶことも多いが、ここでは超対称性を持たないボゾン弦 (bosonic string) について記述する。

弦理論

1970年に南部、サスキンド、ニールセンによって独立に発表されたハドロンの弦理論は、このsチャンネルとtチャンネルの双対性を説明可能なモデルとして登場した。彼らは、核力を表現したオイラー形式のモデルを振動する一次元の弦とする物理的解釈を提示した。この理論では、長さ10-15mオーダーの一次元の弦が回転、振動しており、モード、エネルギーの異なる弦の運動が、それぞれ異なるハドロン粒子として観察される。また、上記のsチャンネルとtチャンネルはトポロジー的に同一のものと見なす事ができる。

南部はブルーバックスにおいて、一般にもわかりやすい説明を行っている[1964年ゲルマンツワイクによって提唱されたクォークの概要説明を以下に示す。

  • 点としての粒子ではなく、弦(ひも)の端部に相当するとみなす。
  • ハドロンは3個(バリオン)または2個(メソン)のクォークから構成されていると考えられているが、ハドロンから単体のクォークを分離する事はできない(クォークの閉じ込め)。これは、弦理論によってこれを定性的に説明可能である。
  • 仮に弦(ひも)を切断する事ができたにせよ、「弦(ひも)の先端」を単独で取り出す事は不可能であり、切断された弦(ひも)にはいつまでも端部が存在する。

1974年、ジョン・シュワルツおよびJoel Scherk (en) 、そして独立に米谷民明は、弦振動のボース粒子の様な振る舞いを研究し、それらの性質が厳密に重力(仮説上の重力の"メッセンジャー"粒子である重力子)の性質と合致することを発見した。物理学者たちはこの弦理論の発展の余地を過小評価していたため、シュワルツおよびScherkは弦理論は流行するのに失敗したと議論していた。この議論の結果、ボソン弦理論は弦理論として最初に多くの生徒に教えられることとなり、後の発展につながった。

超弦理論へ

ハドロンの弦理論が失敗に終わった後も、ごく一部の研究者は重力を含んだ系を記述できる弦理論に魅力を感じ、研究を継続していた。1970年代前半、ジョン・シュワルツアンドレ・ヌボー (en) は、整数スピンのボソン的弦に半整数スピンフェルミ粒子の性質をつけ加えた、超対称性の弦理論を作った。しかし同時期にゲージ理論による大統一の研究が盛んになっており、弦理論は忘れられた存在となった。

この間にもジョン・シュワルツとマイケル・グリーンは粘り強く研究を継続し、1984年には相対論と整合性があり、量子化された超対称性などをとりいれて超弦理論を打ち立てた。彼らは弦の長さを10-35mオーダーの微小なものとし、弦の運動する時空を10次元とした。また、特殊な内部対称性を用いることで、数学的矛盾の無い物質の最小単位の理論とすることに成功した。

尚、1995年エドワード・ウィッテンにより提唱されたM理論では、5つの超弦理論が11次元の一つの理論に統合されている。

登場する粒子

場の量子論では、クォーク・レプトン・ゲージ場といった多くの種類の量子場が存在する事を前提としている。弦理論の描像では対照的に、全ての物理的実体は、ただ一種類の弦の様々な状態に対応する。

弦は自然長ゼロ、自然長の状態での質量もゼロ(だが特殊相対性理論から、弦が振動エネルギーを持つ時にはE=mc2の関係式で質量を持つ)

T_{0}={\frac  {1}{2\pi \alpha ^{\prime }\hbar c}}のみを手で与える。張力はたとえ変えても系全体が相似に拡大縮小されるだけなので、内部で起こる物理には影響を及ぼさない。 α'はレッジェの傾きパラメータと呼ばれ、歴史的な理由から張力そのままではなくこのパラメータが用いられる。あるいは、長さの次元を持ったパラメ

ータl_{s}=\hbar c{\sqrt  {\alpha ^{\prime }}}

を代わりに用いる事がある。ハドロンの弦理論では核子の大きさ程度、量子重力理論としての弦理論ではプランク長程度に取られる事が一般的である。 作用(≒弦の持つエネルギー)は、空間に時間を加えた二次元面の表面積に比例し、南部=後藤作用と呼ばれる。あるいは同値であるが経路積分での扱いが容易なポリヤコフ作用が用いられる事もある。

観測される粒子は、ごく短い弦が振動しながら飛び回る状態として記述される。 以下最も簡単な例として、26次元時空の平坦な時空について、閉じた弦と開いた弦の振る舞いを見る。

まず開いた弦について、最も低いエネルギーの状態は振動せず飛ぶ弦である。次の状態として、ある一つの方向に自由端定在波一倍振動をする弦がある。量子的な弦なので振幅は量子化され、1量子分のエネルギーを持った状態が第一励起状態となる。 さらに、量子効果として振動の零点エネルギーへの寄与がある。相対論的な弦の場合、この量子効果はマイナスに働き、最低エネルギーの開弦は負の質量二乗(虚数質量)を持つスカラー粒子、開弦タキオンとなる。一方、第一励起状態の弦は質量ゼロとなり、横波24成分を持つゲージ粒子となる。

閉じた弦は定在波だけでなく進行波を許すので、物理的自由度は二倍となる。ただし、弦が内部構造を持たない実体であるという制限から、状態の数は減る。 その結果、基底状態は閉弦タキオン、第一励起状態は242の成分を持ったゼロ質量テンソル粒子で、うち対称な成分が重力子、トレース成分がディラトン、反対称な成分が2-形式ゲージ粒子となる。2-形式ゲージ粒子は、粒子が持つ電荷と結合するゲージ粒子の拡張で、弦が持つストリングチャージと結合する。

これらより重い状態は、lsプランク長程度とすると最低でも1/√α'=プランク質量の質量を持つため、とりあえず無視される場合が多い。

弦の場の理論

現在の定式化では、南部=後藤作用もしくはポリヤコフ作用から出発し、弦の単一過程の確率振幅を求める事が出来る。場の量子論とのアナロジーで言えば、これはファインマンダイアグラムの一つ分に相当する。全ての過程のダイアグラムを足し合わせる事によって振幅を求める事は可能とされるが、これは理論が摂動論で定義されたに過ぎない。場の量子論では場というもので作用を書き下し、それを摂動展開する事によってファインマンルールを得るが、弦理論でのこれに相当する定式化、弦の場の理論ミチオ・カクと吉川圭二による提唱以来、様々な研究が重ねられてきたが、未完成である。

例えばDブレーンは、非摂動論的な対象の一つである。 Dブレーンは開弦から出来ており、ボソン弦理論の全てのDブレーンは開弦由来のタキオンを含む。タキオンの存在は場の理論においては、その状態が不安定である事を意味し、結論としてボソン弦理論の全てのDブレーンは崩壊する。 崩壊後の状態は、Dブレーンがないため開弦が存在できず、もはや弦での記述が不可能となる。弦の場の理論はこのような状態の記述が出来ると期待され、実際に数値計算でならばポテンシャルが求められている。極めて小さいエネルギーで安定状態が存在するとされる(タキオン凝縮en)。

閉弦タキオンに関してはこのような物理的解釈すら出来ない。これをもってボソン弦理論は不完全であり、弦の完全な定式化のためには超対称性が必要不可欠であるとする立場がある一方、弦の場の理論の研究はなおも続けられている。

wikipediaより抜粋

ファーファ「三次元を超える次元があると」

soop「この理論が適応するならね可能性は極めて高いらしいよ」

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