常民の青い空

あるいは地域社会に住まう中年男というペルソナ

アクセルとブレーキを同時に床まで踏む、しかも最後の一言ですべてがぶち壊し 第9条

2016-06-23 | 悪文 日本国憲法

第2章 戦争の放棄
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 とりあえず、下線部分を除けば、
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕にまっすぐ向かっています。
「こんな路地でそんな大型車で床までアクセル踏んだら危ないよ」という位に突っ走っています。
 どこがというと、
”正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求” することは、
”戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄すること”
ましてや ”戦力を保持しない”こと と同じではないので、
論理が飛躍している分ぐいぐいアクセルを踏んでいます。

 "日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し"はこの通りでしょう。
そのために戦争を無くすというところまではいいのですが、
我が国が加害者にならないというだけでは片手落ちです。
我が国が被害者にならない方策もなければ国際平和は保たれないでしょう。
それを、まだ国際平和が成立してもいないのに
早々と ”戦力を保持しない” のは、
「せまい路地で大型車をアクセル全開」ということです。

 憲法前文で、われらは "いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である" 信じると言っており
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする国になろうとしているはずです。
被害者にならない方策を立てることができなくて、
いかにして自国の主権を維持するのでしょう。
 また、第13条では生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利が保障されているはずですが、
戦争の被害者にならない方策なしで、どのようにして生命を保障するのでしょうか。


 被害者にならない方策が必要なことを保守の方々は、
「泥棒がいたら戸締りするだろう」などと例えます。
自分の財産を守るための最良の方法は、
すべての人の財産が守られる世の中にすること。
同様に、世界平和の存在が、
各国の安全保障コストを安くすると考えるので、
私有財産を大事にする方々は、
泥棒の比喩が有効と考えるのでしょう。

 ですが、私有財産制を尊重しない人には、
的外れな比喩なんじゃないでしょうか。
 「私有財産は、本来は人民のためのものを、不当に占有しているものだ」
と考えている人にとっては、
いずれ理想の社会を立ち上げた時に、
反動勢力に「赤い泥棒」とそしられるのは、
むしろ名誉なことじゃないのかな。
そういう人に泥棒の比喩を申し上げても伝わらないんじゃないのかな。

 平等を目指す人にわかりやすい比喩は、
搾取する者との戦いではないでしょうか。
 経営側(搾取者)と戦う労働者に団結権やスト権があるのは当たり前です。
それを、団結するのは経営側を刺激するからダメとか、
仕事をするから労働者なので、ストをするのは犯罪だ、
などというものがいたらどうでしょうか。
不当労働行為で、スト破りで、人民の敵です。
 権利を保持していることは、抗争している事ではない。
労使交渉をするための必要事項じゃないでしょうか。

 同じように、
戦力を保持していることは、戦争をしている事ではない。
外交関係を続けるための必要事項じゃないでしょうか。

 それなのに、
「国際平和のために、戦力を保持しない」
というのは、人民の敵が使っているのと同じ論理です。
国際平和を作り出そうとしている人々に対して、
スト破りをしているのです。

 この 人民の敵的暴走車 には若干のブレーキがあります。
国際紛争を解決する手段としては、
前項の目的を達するため、
などの制限をかけています。
 ですが、いかんせん所詮ブレーキなので、
全力で床まで踏みつけても、歩みを止めるだけでアクセルを止めることができません。
車は止まったまま、エンジンはまわり、煮え立つミッション・オイルというのが、
この第9条の姿です。


 しかも、致命的な誤訳が最後についています。
”国の交戦権は、これを認めない。”
 これが意味を持つのは圧倒的強者が使った場合だけではないでしょうか。
徳川家康が 臣従した大名に
「私に断りなく合戦をしたものは、即刻切腹 藩はとりつぶしだ」
と言うような場合でしょう。

 圧倒的強者しか使えない言葉を使うと
「今回は負けたが、いずれは覇者になる」
ということになります。

 GHQが日本に言ったとして、
日本がこれを翻訳する場合は、
「交戦権は認められませんでした」
なのです。
完全な誤訳ですね。

 第9条に”国の交戦権は、これを認めない。”という文言がある間は、
「日本は軍国主義が復活して、覇権主義に走っている」
という近隣諸国の批判は、故なしとは言えませんね。


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