遜文侍のweblog

子育ちは親育ち。成長記録weblog。2005.1~。

2つの誤算

2009年01月14日 21時36分33秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
レイクンと色々と話してこちらの遊びに引き込むことが常になり、また日々の目覚ましい成長を観ていると、あたかも小学生になったかのような錯覚を起こしているのです。
その証左に自分の誤算が彼を苦しめてしまいました。

映画を観たがるので、少しテレビで見かけたSFアクション映画「トレマーズ」(自分のお気に入りの一つ)を見たいというままに、娘が寝ているところでレイクンに見せたのですが、これが途中で怖くてやめたのです。
それから数日経った今も突然思い出してしくしく泣いたりしているというのです。

しまった、と後悔しても遅し。

今晩一緒に読んだ本は本当の幼児の本で、それも楽しそうに読んでいる彼の姿を見るとまさに幼稚園生。あまりに先走った誤算に悔いています。

今回の誤算は子どもの心を読み切れなかった誤算とは別に、「映画」についての誤算があったということも衝撃的な発見でした。

というのは、映画のリアリティと子どもの感受性との相関性、とでもいいましょうか。
子どもは常々審美眼を持って生まれていると思うことが多いのですが、まさに映画にはそのことが顕著に出たのではないか、というのが自分の至った結論です。

近年(90年代後半以降)の特にCG時代になってからのアクション系の米国映画の描写の酷さ(非現実的な動き、人間の体力部分の非現実性、不要な残酷描写等々)には本当に腹立たしさを感じています。
ひたすら面白くなくなりました。
空は飛び、高いところからジャンプし、となんでもありですが、どれもこれも全くリアリティに欠けて、それが理由で全然面白くないし、迫力・緊迫感がそれ以前のアクションものに比べて格段に落ちている、というのが自分の持論です。
それは何年経っても変わりません。
分かりやすく言えば、「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリー・ポッター」はまるで臨場感がないということ。
子ども向けの題材までそれらの描写が食い込んでいることに大変な憤りと子どもへの影響を心配していたのです。
しかし、子どももそれらを観ても怖がらない。
「トランスフォーマー」というかなり過激な映像のSFを平気で一緒にみていました。
そこで誤算が生じました。じゃあ、私の好きな旧世代(CG以前)のアクションものは更に面白いから子どもも更に喜ぶだろうと。

これが大誤算だったのです。

子どもは、何と現在の駄作アクション(敢えてそう呼びます)は、リアリティの無さ故に、怖がっていなかったのです。
いくらクビが吹っ飛んだり大量虐殺シーンが出てきても、です。

それが、何と80年代作品で、役者がちょっと演技した部分(直接描写は大体避けているし、見せるとしても「死」を一瞬見せる程度)で、子どもにとってはトラウマにならんばかりのこんな大きな反応がでてしまった。

これはまさに人間が演じていたリアリティを前提にアクション・SFを描いていたよき時代のもの(自分はだから大好きな映画になるわけですが)については、子どもはそのリアリティを受け止めて、真剣に考えてしまう、つまり少しの不穏な表現もすぐに恐怖につながる、という事実でした。

子どもの感性は、映画の出来の善し悪しのバロメーターでもあったのです。

本当にCG時代のアクションはどれもこれもとにかくリアリティの無さという点において失格のものばかりであり、観る価値の低い作品が量産されている事実に、大衆はいつ気づくのでしょうか。

きっと10年後にはほとんど見捨てられるアクションがこの近年の作品であることは間違いありません。

話が分散しましたが、そんな二つの誤算から、教訓を受けた次第でした。

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