平成23年5月3日(火)
今日は、
能でも知られている”熊野御前(ゆやごぜん)”の供養祭が、
静岡県磐田市池田の行興寺(ぎょうこうじ)で
行われました。
行興寺は、ゆやの長藤で有名で、
花の房の長さが1,5Mにもなります。
熊野御前のお手植えの藤といわれる長藤は、
樹齢は約八百年、国・県の天然記念物にも指定されています。
5月3日は、
熊野御前の命日。
午前11時から、供養祭が行われました。
一人の女性が、
約800年という時を経ても、
人々の記憶に残り、供養されつづけているということは、
大変なことだと思います。
十数年前からは、熊野御前の侍女だった朝顔も一緒に
供養されるようになったそうです。
今から800年後、
いったい、私たちはどうなっているのでしょうか?
熊野御前とは、
平安の時代、池田の荘司・藤原重徳の娘で才知あふれる美しい女性。
池田の荘の国司として着任した平宗盛(平清盛の三男)に見初められ都に上がる。
しかし、故郷に残してきた病の母のことを案じ、
「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」と詠み、
その一首に感動した宗盛から帰郷を許される。
池田に戻っている間に、宗盛は戦いに敗れて亡くなり、
その後、母親も亡くす。
熊野御前は尼になり、念仏堂を開き、33歳の若さで亡くなった。
念仏堂の跡にできた行興寺には、
熊野御前が好きだったお手植えの長藤が今も美しい花を咲かせる。
謡曲『熊野』は、
この熊野御前の物語を謡い、今も受け継がれている。