やっぱスキーが好きなのよ♪

スキーが好きだっ!ビールも好きだっ!食べるの好きだっ!グルメじゃないっ!愛犬 麦

引きこもり生活のための環境整備~今日の散歩

2021年01月30日 16時32分37秒 | 日記

緊急事態宣言が延長になりそうですね。

そうなるとスキーはやっぱり当分お預けで、この「自宅軟禁生活」もまだまだ続きそうです。

(とは言え、今シーズン早いうちに一回くらい行きたいものですが)

なので、自宅でのパソコン作業の効率化を進めています。

最近、新しいアイテムを購入しました。「モバイルディスプレイ」です。

僕が購入したのはEVICIVというメーカーのEVC-1301というタイプのものです。

まずEVICIVというメーカー、知りません。中国のメーカーらしいのですが、全く知りません。インターネットで調べて色々な方々のホームページを見て評判が良好だったので購入しました。

大きさは13.3インチ。一回り大きい15.6インチのタイプもありましたが、出張などの時も持っていこうと思っていますので、小さい方にしました。

僕の会社のPCも13インチモニターのタイプですので、ほぼ同じ大きさで丁度良いのです。

このディスプレイを使うとデュアルディスプレイになります。僕の現在の作業環境はこんな感じです。

PCの右側のモニターが今回購入したモニターで、PC本体のモニターには写真が写されており、EVICIVのモニターにはインターネットの画面が写っています。この両方のモニターは繋がっているような感じになっており(デュアルモニターと言います)、非常に便利です。

僕は会社では23インチのモニターを同様の使い方の為につないで使っています。

左の画面に客先からの資料を、右側の画面にエクセルを表示させて作業するなんてのも楽にできます。

で、あまたあるモバイルモニターからこのモニターを選んだか・・・という事なのですが、

・USB-C 1本で僕のノートPCと繋げられる(USB PD対応)

・HDMIのポートがある

・15インチではなく13インチがある

・画像がきれい

・これだけ買えばすぐに使える(ケーブル類が付いてくる)

・格好が良い(質感が良い)

というのを考慮して選びました。値段は然程気にしていなかったのですが、かなり安く購入できました。

デュアルディスプレイでの作業に慣れているせいか、ワタシのスキー史を書く時も非常に楽で、とても良いです。

ちなみに各種機器について書きますと・・・

ノートパソコンにバッファローの外付けHDDを装着(そのHDDにスキー史の為の写真などを入れている)。

マウスはエレコムの安い奴とキーボードはこれまたエレコムの古いタイプのもの(もう黄ばんでしまっている)。ただ古いからと言って侮るなかれ、キータッチは最高なのです。

ブログを書く時には載せる写真の一部を隠したりする必要があるので、携帯電話に入れている ibis Paint というアプリを使っています。

これで加工写真をPCへLINEで送るなどして、写真を張り付けています。

以前のブログの内容をipadで参照したり、ワタシのスキー史0でご紹介したスキーの記録の冊子を見たりしながらワタシのスキー史を執筆したりしています。

アナログの冊子はもちろんですが、デジタル機器もフル活用して、楽しくブログ執筆活動やネットサーフィンをしています。

(僕の仕事は製造業なので基本的にテレワークは無いのですが)たまに持ち帰る仕事にも役に立ちそうです。

 

ところで今朝も麦と一緒に散歩に行ってきました。またまた北山公園~八国山です。

合計3時間歩きました・・・。

写真だけ乗せておこっと。

霜が凄くて冷たい感じ

 
 
 
←梅が少しづつ咲き始めています
 
 
 
楽しかったらしく、家の寸前で帰宅拒否。さすがに疲れたのでもう勘弁してもらいましたが、もうすこし体力があったら、あと少しくらいなら付き合ったのにな・・・と思いました。
僕はヘトヘトです。
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今シーズン スキーに行けるのか 問題

2021年01月23日 19時19分00秒 | スイスイ~ スキー♪




コロナ禍、緊急事態宣言・・・
stay  homeして下さいとの都や国からの要請。
不要不急の事は我慢して過ごしています。

スキー場もちらほらとシーズン途中で営業をやめたり、営業縮小したりしています。
あの苗場スキー場も現在休止中。
僕の今シーズンのホームゲレンデの岩原スキー場も営業縮小中で、寂しい限りです。
(岩原スキー場からシーズン券の人向けにメールが来ていて平日は第二ペアリフトしか動かさないみたいです)

そんな中、横手山スキー場のホームページを見ますと「助けてください」となっていました。本当に死活問題なのだと。

色々なスキーを愛好する方々のブログなどを見させていただいております。
ご意見は色々。
・スキー場を助けたい。
・電車でクラスターが起きてないのだから、ゴンドラも安全だろう。
・スキー場は外だから安全
・怪我した時に病院にかかれないという覚悟はあるか?
などなど。

もちろん自己判断、自己責任だよ、と言われる方もいますし。
でも、前に五竜のパトロールの方がおっしゃってたのですが、自己責任と言うのは生きてる以上ほぼ成り立たないと言うことなのです。
例えばスキー場で立ち入り禁止エリアに自己責任だからと言って入って怪我をしたりした場合にも結局危険を冒してパトロールの方達が助けに行くのです。そのパトロールの人達にも当然家族があるわけで、パトロールの方達に万が一のことがあった場合、約束を守らなかった方のせいでご家族にも負担を強いる可能性がある・・・これに自己責任と言うことが成り立つか?ということをおっしゃっていたのを思い出します。
生きていれば誰かに必ず迷惑をかけるって事ですね。

とはいえ、実際スキー場を運営されている企業さんは大変なのだと思います。例えば僕が現在の拠点にしている湯沢方面であれば、緊急事態宣言が出ている東京・埼玉・神奈川など首都圏のお客さんが多くて、その人たちが来なくなってしまうことは大きな減収となり、厳しい状況になるのだと思います。
だからといってコロナにかかっても良いと思っているわけではないので生活していく糧との天秤で苦しまれているのではないかと。

個人的には今シーズンは大分諦めの気持ちでおります(少しの可能性は捨てていませんが)。
昨年末に滑れたから良かったじゃないか!ということで、シーズン券の残りの分はスキー場に寄付ってことです。

理由は
1) 僕が行っても今シーズンの残りはスキー場に殆ど貢献出来ないから。
2) うちの娘が受験生だから

1) の貢献出来ない理由としては、僕は既にシーズン券を買ってしまっています。
スキーに行く時には大抵殆どの食料を自宅付近で調達して行くし、車中泊だし、スキー場付近では殆どお金を使いません。コロナじゃなかったらお昼はゲレ食食べたり、温泉行ったり、現地でも車中泊なりにお金を使いますが、コロナの今は、僕の最大のスキー場への貢献は終了しています。
逆にもし僕がコロナに無症状でかかっていたら、スキー場に迷惑をかけてしまうかもしれませんし。

2) は単純に娘に今まで頑張ってきた全てを出して、ベストを尽くしてもらいたいから。

あと1回位行けるといいなぁーって思いながら、我慢の日々を送ろっと!

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ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」

2021年01月23日 15時23分00秒 | ワタシのスキー史(自己満足)
ワタシのスキー史1 「初めてスキーを滑る~目覚め」からの続き

8. 我流を捨てて、ちゃんとやろう ~バッジテスト3級受験で基礎スキーを知る~

あるとき先輩から「スキーのバッジテストという検定がある。練習して受けてみたら?」と言われました。で、色々と調べてみると、なんだか簡単そうだ・・・と勝手に思って(今では口が裂けても言えないセリフですが)、3級位なら受かるだろう・・・という事で、受けてみることに。

全然スクールなんて入ってないから、先輩たちに教えてもらった我流の滑り。

2002年1月13日。岐阜県の国見岳スキー場で3級の試験を受けてみることしました。(国見岳スキー場も現在は営業していないようです)

講習内検定・・・という事で行ったのですが、そもそもそれまでにスクールなんて数えるほどしか入ったことが無かったので、緊張。

更には何と最初から「ストックの輪っかへの手の通し方間違ってるよ」と注意され、種目には無かったけれどプルークボーゲンの基礎から教えられて、先生から「いい線言ってるけども(ととりあえずヨイショしてもらいながらも)もう少し練習してからテスト受けた方が良いよ」と言われて、3級に落ちたのでした。

あまりのショックにその後はスキーに行くたびにスクールに入り(友人と行っても半日はスクールに入る)「基礎スキー」という日本・オーストリアの(多分)独特のジャンルがあることを知りました。

2002年3月21日 この辺りからホームゲレンデとなった木曽の「やぶはら高原スキー場」で3級に受かると共に、この先スキーを大好きで続けていくきっかけとなったやぶはら高原スキースクールの「Y先生」と出会うのでした。

この合格とY先生からの「2級を目指せ!」指令をきっかけに、基礎スキーにのめり込んでいくのでありました。

 

9. どっぷり基礎スキーにはまる1 ~道具から入るタイプで超ミーハー~

基礎スキーにどっぷり浸かると共に出てくるのが「道具」のせいにする「道具依存」。3級合格まで使っていた板はHARTのセットスキー。

Y先生から、2級を目指すならもう少しちゃんとした板の方が良いかも・・・と言われ、意識したことが無かった「道具」にも目を向けました。

ちなみにY先生のおすすめの板は長野県民らしく「小賀坂」。

2002年6月 アルペン一社店(名古屋市)で毎年開催されている様子のスキーフェスタというのに行ってみました。所謂早期受注会です。

初めて行った早期受注会で道具を色々と見て、説明を受けた。説明してくれる人は道具の達人で、こちらは完全に素人。聞いているだけであまり理解が出来なかったのだけど、新しい専門用語が沢山で、なんだかとても嬉しかったのは今でも忘れない。

そうかそうか、道具が良くないと滑りも良くならないのか(そんなことは無いはずですが)・・・と道具依存への道を歩み始めた日であります。

特に小賀坂とFISCHERの方達とお話ししたのを今も覚えています。

そしてもう一つは「ミーハー方面」。トークショーに上村愛子ちゃんが出ていたのです。スキーがスキー選手とこんなに近くで、しかもタダで会えるというのは僕のミーハー心(もはや「ミーハー魂」とでも言うべきか?)をゴリゴリくすぐり、今も尚現役ミーハー選手として頑張っている。感激して大興奮で帰ってきたのを覚えています。


とにかく黒山の人だかりとはこのことであった。上村愛子選手の当時の人気がうかがえる一枚。

 

そして2002年8月にとうとう初めての基礎板 OGASAKA KEO'S KS-STを購入したのでありました。

 

 

10. どっぷり基礎スキーにはまる2 ~2級を目指してひたすら練習~

2003シーズン(2002-2003年)からはやぶはら高原のシーズン券を購入し、本格的に基礎スキーを頑張ることにしたのだ。

やぶはらの券で おんたけ、御岳ロープウエイ、きそふくしま、開田高原マイヤ、木曽駒高原新和 の5つのスキー場が1000円で滑ることができた。(今となってはこの6つのスキー場の中で営業しているのは やぶはら、おんたけ(おんたけ2240として)、きそふくしま、開田高原マイヤ の4つ)

やぶはらにベースを置きこれらのスキー場を転々としながらスキースクールに入り練習しまくりました。昼休憩には午前中のレッスンでの事をメモして、夕方車の中で午後のレッスンの内容をメモ。家に帰ってから、また平日もイメトレ。

こんな風にメモをしていました。家で見てまたイメトレ。

 

土日とも日帰りで行くという、体力がある時期にしかできない荒業で土日滑っていました。

11月から滑り始めて休みの日はとにかくスキーに費やすという、家族から見捨てられそうな日々を過ごしたシーズン。

 

11. 思いがけずステップアップ ~度胸試しのつもりが2級合格~

2003年2月23日 Y先生に内緒で度胸試しでバッジテストを受けてみることにした。Y先生に内緒なのでスキー場はやぶはらではなく初めて行く木曽駒高原新和スキー場。天気は霧。

この頃は小回りなんて全くできず大回りは得意だが中回りは何とか出来る程度だ。

検定は午前中は講習内でのテストという実践種目テスト、午後は一発勝負の規定種目テストだった。

主にスキッディング(所謂 ずらし)要素のターン技術が求められた。基本的には合格に導いてくれようとする感じの検定員で午前中の実践種目テストは良い所を見てくれました。

問題は午後の規定種目テスト。種目は「スキッディング+カービング要素の大回り」「スキッディング+カービング要素の小回りから中回り」。大回りは問題ないけど中回りは苦しそう、更には小回りは体が遅れてしまって全くダメ。午前中の実践種目テスト内でも指摘された。

でもこの日はとてもついていたのである。当日は霧。なんとゴール寸前しか検定員からは見えないような状況だったのです。

つまり、中回りしか検定員は見えないわけです。つまりずっと中回りでOK。

結果は

実践大回り:66点、実践中回り64点、実践総滑:66点

規定小~中:64点、規定大回り:65点

合計:325点 でギリギリ合格でした!!

発表後の検定員からの評価を記録していたので転記↓

大回りの運動ぶり、リズム変化、総合滑降での運動ぶりなどが良く、2級合格に値する滑りをしていました。また、説明を聞くときも、滑っているときも笑顔だったのが印象的です。普通検定だと笑顔の人はとても少ないですので・・・。ただ、中回りに関しては、外足への加重感が甘いです。内倒してしまっているときもあります。スキッディング要素は1級の種目にもありますから、外足に加重感を強める練習をして下さい。中回りで内倒すると、スキーが走ってしまって暴走します。上下動・ひねりをしっかり使う練習が必要ですよ。正体位置もしっかり安定させてください。全体的には良かったので、これからもしっかり練習して下さいね。本日はおめでとうございます。

うむむ、深い。


合格後先生に撮ってもらいました。嬉しかったなぁ~。
 

2003シーズンはそれまでとは違って滑走日数は22日となりました。

 

12. 家族で車でエンジョイスキー!! ~・・・のための車、そして家族を巻き込んで~

2003年6月に車をアコードUSワゴンからトヨタのノア(ワンボックス)に乗り換えました。

子供が2人だったので、中が広くて子供たちも楽々乗れる、荷物も詰め込み放題、スライドドアで安全・・・と良い事良い事で奥さんにアピールし契約しました。

でも、本当は・・・スキーに行くための道具なのです。それが証拠にこの車では途中から(最初はお金が無かったのでチェーンでした)スキーキャリアとスタッドレスタイヤ装着!!(2005年1月よりスタッドレス装着)

息子は2002年にはプラスチックスキーデビューで、2004年1月にはキッズスクールに入れて滑らせました。子供が凄いのはすぐ上手くなる。

その翌月には自分用のスキーを買ってあげるまでになりました。

娘はお兄ちゃんを見ているのできっと当然滑れるようになるもんだとおもっていたのでしょう。2006年12月にスクールに入れると当日にはもう滑れるようになっていました・・・。

 2004.01.11 スキーレッスンに励むお兄ちゃん ひるがの高原スキー場

2006.12.10 スキーレッスンに励む妹 開田高原マイヤスキー場

 2007.01.21 どこでも滑れる兄妹 やぶはら高原スキー場

 

 

13. 検定(バッジテスト)はSAJだけじゃない!

この頃には主にやぶはら高原で滑っていましたが、たまに開田高原マイヤスキー場でも滑っていました。地味だけどとても好きなスキー場の一つです。

マイヤのスクールはSAJ(全日本スキー連盟)ではなく、SIA(日本プロスキー教師協会)です。こちらの検定は国際スキー検定(IT検定)となっておりスーパーゴールド~セミブロンズに分かれています。

こちらのスクールでもレッスンを受けていましたので、基礎スキーどっぷり、資格が気になる僕としては自ずとこのIT検定を受けてみたいという気持ちになりました。

2004年4月3日 シルバー検定を受験しました。この検定は一発勝負だけ。シルバーメダルの種目は シュテムターン(大回り)、パラレルターン(大回り)、ウェーデルン(小回り) の3つ。

結果は

シュテムターン(大回り)70点、パラレルターン(大回り)72点、ウェーデルン(小回り)70点 で合格でした!!

ウェーデルンって今どきなかなか通じない言葉かもしれませんね。

国際スキー検定シルバー!頂きました。

 

ワタシのスキー史3 「高みを目指してチャレンジ1級」へ続く

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ワタシのスキー史1 「初めてスキーを滑る~目覚め」

2021年01月17日 13時47分00秒 | ワタシのスキー史(自己満足)

1. 初めてスキーを滑った日 ~覚えていないが、滑ったらしい~

まず初めてスキーを履いたのは、小学校低学年の時だったらしい(全く記憶にない)。それが何年の何月何日だったのか・・・という事も、場所がどこだったのか・・・という事も記憶にない。

滑るのが怖くて泣いて、結局平らな所をひたすら滑って(歩いて?)いたらしい。

親の記憶を聞いているだけ(本当に全く覚えていないので)ですが、ひどい有様だったらしく、それに懲りて親ももう二度と僕をスキーに連れて行こうとはしなかったそう。

 

2. (多分)人生2度目のスキー ~急に大人になってスキーを滑る羽目に~

そしてそこから十数年の時が経ち、僕は大学生になっていた。(1992年頃ではないかと思うがちょっとはっきりしない)

地元の友人が車を買った(確かAE92レビンMT)ので知り合いの女の子たちを誘ってスキーに行こう!!となった。

スキーなんて全然やりたくないけれど、元気いっぱいの若者としては「知り合いの女の子たち」という重要なキーワードが入っているから即答でOK。

でも道具なんて無いからね。まずウエア(ツナギだった)とブーツ(当時はリアエントリー)、ストックを親戚や友人から頂いて、グローブと板は何かすごく安いのを買いました。

(板はまだストレートのやつね→確かBLIZZARDの板を高校時代に通っていたスポーツショップで買った。)

そもそもスキーに全く興味が無かったため、レンタルという仕組みがあることも知らず、板を持っていくことが前提だった。しかもワックスなんてスポーツショップで塗ってもらったそのままで持って行ったし。

で、行った先は忘れもしない「白馬五竜スキー場」。全く滑れなかったのに頂上まで連れていかれ、アルプス平を下ろされた時にはもう死ぬかと思いました。

「1日券」を買ったのに、1日かけて1本降りてくるという事でコスパ最悪の思い出。女子と仲良くなる余裕も無く終わりました。

※確か写真があったのだが、押し入れの奥底ではないかと・・・発見できず。

 

3. 3度目のスキー ~友人に誘われ断れなかった日~

確か1994年だと思ったけど、大学学の友人達と一緒に玉原スキー場へ行きました。

何で行くことになったのかは忘れてしまいましたが、友人の中の一人がお姉さんの持っていた日産テラノを借りてきて、それで行ったのを覚えています。4WD車は格好いいなぁ~って初めて思った時でした。

ここは緩斜面が売りと言うだけあって、ひたすら緩斜面を滑り、少しだけ滑れるようになりました。

初めて「滑る」という事を楽しく感じられたように思います。

※確か写真があったのだが、押し入れの奥底ではないかと・・・発見できず。

 

4. 4度目以降  ~スキーがやっと滑れるようになった気がする期~

更に数年経ち、社会人になった僕は新卒で入社した会社の営業マンとして茨城県の営業所へ配属となり、つくばの研究所の担当となりました。

その研究所の中で当時「通商産業省 工業技術院」、今は「経済産業省 産業技術総合研究所」という所のある先生がなぜか僕を非常に可愛がってくれていて、その先生の研究室に入りびたりだった僕を「民間の研究員や学生と一緒にスキーに行くが一緒に来ない?」と誘ってくれて、行くことにしました。毎年1回先生の友人の貸別荘を借りたりして泊りでスキーに行くという事で、(最初は仕事に有利かもと思って参加したのですが)行くことにしました。

泊りでのスキーは楽しく(夜の飲み会も楽しく)、また民間の研究員さん達が熱心にスキーを教えて下さりこの会に数年参加し、大分滑れるようになりました(あくまで初心者レベルですが)。

社会人になって3年程で茨城から名古屋に転勤になった後もこの会には自分で車を運転して参加していました。

先生が突然亡くなってしまったのでもう皆さんには会えなくなってしまいましたが・・・。

ちなみに2002年に菅平へその先生と研究員の皆さんと行った時の写真が出てきたので載せておきます。


左から僕、工業技術院の先生、学生さん、民間の研究者の方(菅平スキー場にて)

 

5. スキーに目覚めた日 ~自らスキーに行きたい!と思うようになったきっかけ~

1999年の春、名古屋の営業所の同僚と仲良しだった代理店の方と一緒に「鈴蘭高原スキー場」へ行ったのです。(鈴蘭高原スキー場は現在はもう営業していないみたいです)

凄く寒くて、アイスバーンのスキー場。ちょっと滑れるようになっていたので、調子に乗っていて、頂上まで行きました。そして北側の斜面の頂上まで行ってみると、斜面の角度が凄く怖くて怖気づいて帰ろうとしたとき・・・代理店の方が僕を斜面に向かって押す→滑る→尻もちつく→どんどんスピード出る→雪だるま状態で転倒→皆に笑われる・・・悔しかった事。

その日に誓いました。「上手くなってその代理店の方を見返してやろう!」と。

即、スキー道具を揃えます。当時カービングの板になってきたところではないでしょうか?


この時揃えたスキーの道具たち。

 

そこから事あるごとに先輩に頼み込んでスキーに連れて行ってもらいました。

名古屋からは岐阜は近く、最初はよく「めいほうスキー場」とかに連れて行ってもらってました。

また、木曽御嶽山も近く、その周辺のスキー場にも連れて行ってもらいました。

 

6. 自分でスキーに行こう ~自力で山に行くまでになったのさ~

先輩たちは4WD車に乗っていたので連れて行っていただけるときにお願いして同情させていただいていたのですが、都合が合わない日も多かったです。

滑れるようになってくると、自分の都合でスキーに行きたくなってきて、丁度自分の車のタイヤサイズと同じ車のチェーンを頂いたのをきっかけに、自分で日帰りスキーに行くようになりました。

主に木曽方面でたまに岐阜・・・

家族もつれて行ったりして・・・。

まだスタッドレスは持っていなかったけど、FFのワゴン車(ホンダ アコードワゴン)にチェーンを付けて色々と滑りに行っておりました。


この車でバリバリスキーに行き始めました。ノーマルタイヤにチェーンで。やぶはら高原にて。

 

7. 上村愛子ちゃんが好き ~ミーハーへの道(いやいや、元々ミーハー)

2001年シーズンから現在は休巻してしまっている 実業之日本社から出ている雑誌「ブルーガイドSKI」を購入していました。

(2019年で休刊となったのですがそこまでは全部持っています♪)

その中の記事でモーグルの上村愛子ちゃんが書いている「AIKOのハッピー☆チャット」というコーナーがあって、楽しみに読んでいて、あっという間に愛子ファンになりました。

モーグルが(出来ないけど)好きになったのもこの雑誌の影響でした。



当時インターネットでメールではなく「チャット」というなんとなくリアルタイムに話が出来る方法が流行っていて(今のLINEのような感じかな)、それをイメージしたものかと。
 
そしてこれだけ上村愛子ちゃんを推してくると当然買う板はHARTになるわkです。


そりゃ、買っちゃうよ。雑誌も板も。この頃の上村愛子ちゃん、輝いてる。

今はネットで見れば色々な情報が見られますが、まだ僕自身はネット活用が始まっていなかったので、情報は主にこの雑誌から取っていました。

雑誌から得られる情報は雑誌発信で否応なしに目に入ってきますので、自分の興味が無かった情報でも見ることになり、色々と知ることの幅が広がります。雑誌というアナログ媒体はすごく良いと今も思っています。

復活しないかな・・・。

 

ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」へ続く

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ワタシのスキー史0(ゼロ) プロローグ「スキー人生を振り返る理由」

2021年01月17日 13時10分45秒 | ワタシのスキー史(自己満足)

現在2021年1月17日。緊急事態宣言中の東京都。

新型コロナウイルスCOVID-19が猛威を奮っております。

どこにも行けず・・・記録的な降雪なのにスキーにも行けず・・・悶々とする日々です。

 


本日の岩原スキー場・・・素敵すぎ♪しかも空いてる感じだし。

 

 

ああ、スキーに行きたいっ!!

でも、健康が一番である。

僕はコロナに立ち向かう術を今のところは持っていない。だから何とかコロナと遭遇しないようにひっそりと生きて行かなくちゃいけないのです。

それには極力出かけない事・・・ってことで家にいるのですが、ゴロゴロしていても仕方ないので、スキーに想いを馳せながらスキー史でも作ろうと思い立ったのは今年の1月8日の夜でした。それからコツコツと資料を集めて、やっと準備が出来てきたので書き始めてみます。

 

今のところテーマはこんな感じで考えています。

 

ワタシのスキー史:自分が歩んできたスキーの歴史。

ワタシのスキー道具史:使っていた、使っている道具についての自分なりの歴史とウンチク。

ワタシのスキー場史:行った事のあるスキー場について、自分の思い出や感想や自分なりの歴史。

ワタシのスキー選手史:ミーハーけーごの選手との出会いや思い出についての歴史。

全部 自己満足 デスッ!!

 

↓2021.01.25 追記↓

僕はずっとスキーの記録を付けています。

 ←スキー雑記帳という名で日記みたいにしています。

 ←中身はこんな感じです。

これをもとに書いてみたいと思っています。

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