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王子神社の田楽(東京都北区王子)
を農耕儀礼つまり五穀豊穣を祈るものと思い違いされる方が多いですが、写真をご覧の上でなおそう思う方は少ないでしょう。躍り手は魔事退散を祈って赤い魔除けの紙垂れをつけています。豊作を祈る躍りであれば普通雨乞いという意味でも白い紙垂れを付けるでしょう。
王子の田楽(←クリックでリンク先へ)は田事系の囃子田と違って躍り系の田楽といいます。
囃子田ではスリささらを使うのに対し、木や竹を編みつらねたビンザサラというのを持って躍りあるいは所作します。躍り系の田楽は陰陽二列で躍るという特徴があります。
王子の田楽は現代に残る諸国の田楽躍りの中にあって、農耕儀礼ではないという点で特に異質です。
でも、現存の田楽のなかでは異質でも、もともと平安時代、鎌倉時代、という中世の田楽躍り全盛のなかでは、修験信仰を背景にした魔除けという催しにむしろごく普通であったのです。
そういうことを知らないでは東京都北区王子という、いわば江戸市中からははずれた土地に伝わったということで人々が”田事”の芸と見誤っててしまうのも仕方ないことでしょう。
王子の田楽を正しく見るには、王子という地域の古い歴史から見ると合点がいきます。
鎌倉時代以降の300年間という長きにわたって豊嶋氏という治世者が、いまで言う東京地域のほとんどから南埼玉に至る広大な領域を治め、その中心地が王子であった、ということを見てはじめて王子の田楽の本質が納得されてくるのです。
豊嶋氏は頼朝の旗揚げに寄り添った頼朝の重臣で一族は紀州熊野地方の守護と地頭とをつとめたほどの実力者だったのです。王子はそのいみでも地方の中心地であったわけで、もちろんその頃に江戸幕府なんてありませんから”江戸から遠い王子”なんて認識など人々にあろうわけがありません。
そうした豊嶋氏の最大権勢の時期に王子田楽が儀礼として作られたように思われます。時代としては後醍醐天皇の時期だったように推定されます。
現在の東京にこのような、みやびで、はなやかで、古典の形式を伝えた中世の御霊合(ごりょうえ)の系譜の田楽躍りが伝わること自体とても貴重です。
戦災で絶えていましたが昭和58年に40年ぶりの復興がなりました。躍るのは地元の小学生たちです。
王子田楽 http://2machi.yokochou.com/prince-dengaku.html
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