KAIGAN

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『夕凪の街 桜の国』-review-

2005-10-31 15:30:43 | View
※以下に、こうの史代著『夕凪の街 桜の国』を読んだ感想を記していきます。
ネタバレを気になさる方はお読みにならないで下さい。何卒宜しくお願い致します。

『夕凪の街 桜の国』-prologue-

読後、まだ名前のついていない感情が
あなたの心の深い所を突き刺します。

この本の帯にはこう書かれていた。
けど、僕の心は突き刺されはしなかった。
それはこの物語の結末が一種の軽快さを持っていたからであって、
読んで暫く経った後、じわじわと胸にこみ上げてくる感情があった。
物悲しくて、切なくて、ノスタルジーに溢れるストーリーが、
読者に確かなメッセージを放っていて、僕はそれを受け取ったのだ。

この物語は二回読んで初めて完成する。
もう一度、今度はじっくりと世界観を味わってみたい。
時々、解説ページを参照しながら、再び読み進めていく。

P8に登場する原水爆禁止世界大会を訴える看板は、
昭和29年に起きた第五福竜丸事件を発端とするものだ。
第二部で七波が鍵を開けるシーンが暗示していることの意味。
第三部で再登場する第一部「夕凪の街」の登場人物たち。
改めて実感させられる50年という月日の重み。
読み返すことで深まる物語に対する理解。

僕は今まで被爆者の証言を直接聞く機会はなかった。
しかしながら、この本を読んで、肉体的苦痛とは別にある、
彼らの精神的苦痛の大きさにようやく気付けたように思う。

惨劇の中で生き残ったことへの罪悪感。
誰かに死ねと思われた事実。疎外感、孤独感。
未だに根強く残っている被爆者への差別意識。
そして、いつやって来るかも分からない死の恐怖。

原子爆弾という兵器が如何に非人道的なものなのかを物語っている。
物理的被害はもちろんのこと、その一瞬の光と音の衝撃が後の世界にもたらす
精神的被害の甚大さ、影響の大きさに、原爆に関わった当事者は気付いて欲しいし、
この世界から核を廃絶するために、僕らはそのことについて熟知しておく必要がある。

大切なのは、過去と真摯に向き合う姿勢だ。この本がそう訴えている。
暗い過去であるが故に、積極的にその話題に触れようという人はいない。
僕だってそうだ。ブログで戦争についての記事を書く予定なんてなかった。
記事を発表した途端、雰囲気が暗くなってしまうのは明らかなことだった。

それでも僕は書くしかなった。この機会を逃しては、
戦争という話題に一生触れることはないかもしれないから。
『夕凪の街 桜の国』という本をきっかけに、今の僕が思ったこと、
考えていること、実現させたいことを書き留めておきたいと思った。

そして、僕は一つの決心をした。
広島平和記念資料館に行こうと決めた。

ただ漠然と、いつか行ってみようと思っていたのだけれど、
この本を読んでからは、絶対に行かなきゃいけない場所なんだ
と自覚するようになった。今すぐにという訳にはいかないけれども、
近い将来必ず足を運んで、そこにある全てを受け止めてきたいと思う。

最後に、『夕凪の街 桜の国』の映画化が決定したことを記しておく。
スクリーンで平野皆実さんに出会える日が本当に楽しみである。
原作を踏襲した素晴らしい作品になることを願ってやまない。

【関連リンク】
夕凪の街 桜の国(Wikipedia)
キッズ平和ステーション[ヒロシマ]
平和学習(ひろしま修学旅行ガイド)
広島東洋カープ公式ウェブサイト












あとがき
前回の更新(プロローグ)からかなり時間が経過してしまいました。
パソコンが壊れてしまったことが更新出来なかった主たる理由なのですが、
扱うテーマがテーマだけに、正直書きにくいなぁという部分はありました。

戦後生まれの僕が、そして広島にも無縁な僕が、
果たして戦争についての記事を書いてよいだろうか。
歴史の専門家でもないのに、その資格があるのだろうか。

それでも、こうやって記事を完成させることが出来たのは、
『夕凪の街 桜の国』という一冊の本が僕に教えてくれたからです。
過去に目を背けてはいけないんだって。
戦争を経験していない世代にも出来ることがあるんだって。
今、僕は過去の歴史に向き合う必要性を強く感じています。
光も闇も全て吸収していくこと。それが僕の使命だと思います。

ご清聴、誠にありがとうございました。

でも、戦争の話はまだ終わりません。
もう暫くお付き合い頂ければ幸いです。

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