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nojyucal moonの趣味

仏教が大好きで仏教を楽しみながら趣味として成り立ててます。僧侶では無く仏教ファンの視点から記事を書いてます。

仏教は楽しいぞ!(趣味として仏教)

2023-04-19 09:53:45 | 日記
私が仏教に興味を持った経緯は以前の書き込みで何度か書きましたので、今回は私が仏教を学んでみて、感じた事や思った事を書いてみます。


私は仏教を学ぶと言っても僧侶では無くて、ただの仏教ファンです。
仏教の学び方は、殆どお坊さんが投稿してるYou Tubeですが、お寺さんに参拝した時に住職様から直接お話を聞ける事も時々有るので、そこから知識を付けてる訳です。
仏教とは奥が深くて、学び続けても終わりは見えませんので仏道を趣味にしたら一生の趣味となる事は間違い有りません。
私の主な仏道修行方法は、般若心経や
延命十句観音経、各仏様のご真言を繰り返しお唱えする事や、写経や写仏をしたりする事です。


そしてお寺さんへ出向き参拝して御朱印を頂く事や寺院での撮影が可能で有れば写真撮影や動画撮影してYou Tubeに投稿したり、Instagramで写真を投稿したりと楽しい日々を過ごしています。
そして最近始めた、このブログの書き込みも楽しみの内の一つで有ります。

こんな生活をしてると、お坊さんへの憧れも日々強くなって行きますが、年齢が年齢ですし、家庭が有り家族も居るし家のローンも残ってる為に出家して僧侶になる事は不可能です。
せいぜい在家信者として仏道に従い仏教を学ぶ事位しか出来ません。
なので現時点で私は趣味として仏教を捉えて居ます。
例えば、趣味で剣道をやってる人も居るし趣味で柔道をやる人も居ます。
なので仏道だって趣味でやっても良いのでは? って私は思います。

野球で例えると、一般サラリーマンのお父さん達が日曜日に少年野球のコーチとか草野球とかやりますよね。
仏教も同じで良いのでは?
プロ野球選手はお坊さん
球場はお寺さん
プロ野球チームは仏教で言う宗派
みたいな物です。
長嶋さんや王さんは
空海や最澄
と、こんな感覚で私は仏教を楽しんでいます。
例えばお経を唱えるのは野球で言えばキャッチボールをしてる感覚
お寺さんに参拝するのは、スタジアムに野球観戦を見に行くみたいな!
そう考えると、仏教も趣味として成り立つのではなかろうか!

そして何よりも楽しく仏教を学べる
事が出来て、有事のさい(お葬式や法事など)には仏教の知識は豊富になりますし、ご焼香の仕方、お念珠の扱い方、ご先祖様の供養のやり方も詳しくなれる訳だから一石二鳥ですね。


お寺さんに行けば、御本尊様やそれ以外にも明王像や菩薩像の仏像も祀られてるので、参拝したお寺さんに有る仏像を調べてみたりするのも、楽しいですし、仏像の前で真言を唱えるのも楽しいです。

旅行など行った時に仏教寺院を観光する事も有りますよね。例えば会社の社員旅行とかで成田山新勝寺に行ったとします。成田山新勝寺の御本尊は不動明王ですから、本堂に着いた時に同僚の前でさり気なく「ノーマクサマンダバーザラダンセンダーマカロシャダーソワウンタラタカンマン」と唱えたら
同僚達にお前、すげぇ~なぁ!なんて言われたりして!(笑)


とにかく、仏教とはお葬式など暗いイメージが強い為にあまり一般の方々には興味湧かないみたいだけど、陽気で明るいお坊さんも居たりします。
別に自分の信仰してる宗派に誘うのでは無く、自分が楽しく仏教を信仰してる事を友人や知人に見せる事で仏教に少しでも興味を持ってくれたらいいなと思っています。

このブログで何度か書いてますが
仏教は押し付けてやらせても全く意味も無いし、やらされた方も仏教の教えは絶対に身に付きません。

これは2500年前にお釈迦様が居た頃から現在に至るまで変わってません。
そしてこれからも変わる事はないでしょう。興味無い方々に何を言っても馬の耳に念仏です。
自分が楽しんで仏教を学んでる事を見せれば、興味を持つ方も居ると思います。
仏教を暗いイメージから明るいイメージに、世間の方々に伝える事が、今の私に出来る仏様に対する供養です。

最後まで、読んでくれてありがとうございました。
僧侶でも無いただの仏教ファンである私の書いたブログでも時々、
役立った。をポチッとしてくれて
私は、少しでも役に立つ方々も居てくれるのかぁ〜!と嬉しく感じてます。

🙏😌南無観世音菩薩
南無観世音菩薩
南無観世音菩薩















私にとっての仏教⑦(人の死後はどうなる?)

2023-04-17 09:58:37 | 日記
死後の世界を真面目に考えてみました。仏教視点から考えるとやはり輪廻転生ですが、お釈迦様は死後については何も語らなかったようです。


お釈迦様のお弟子さんがお釈迦様に人が死んだら死後の世界は有るのかと訪ねた所、私ゃまだ死んだ事が無いから解らん。どちらを説いても逆の主張する者は出てくる。つまりいくら議論した所でその答えは絶対に出ないのである。結果の出ないつまらない議論する無駄な時間が有るなら生きる術を議論した方がよほど世の中の為となる。
とお弟子さんに伝えたそうです。
とは言え、インドの方々は死後は輪廻転生をして、人の命は産まれ代わりを繰り返すのだと信じていた訳です。
そうした事からも、輪廻転生していく事を仏教経典では説かれてるらしい。


日本人視点で考えると、人の死後は
天国(仏教で言う極楽浄土)に行く。
極楽浄土には先祖様や先に亡くなられた知人等が幸せに暮らしてる場所に行く。と、言う考えが一般的ですね。
中々、夢の有る考え方なので死別した方々にまた巡り会う事ができて、もはや死は恐い事では無く嬉しい事のようにさえ思えてしまう。
まぁ、嬉しいと言うのは少々大袈裟では有りますが、その極楽浄土へ行く為には生きてるうちに悪い事はせずに
良い行いをしなければ極楽浄土へは行けずに悪い事ばかりしてると地獄に落ちてしまう。と噂されてます。


それはさておき、人は死んでしまえばそれまでで魂もへったくれも無く全てが無くなるだけだと考える人がいます。全然夢も希望もない考え方で有り、そうした考えを持つ方々は生きているうちが花で有り、生きてるうちに欲望の思う間々に生きて好き勝手に生きた方が得なのだ!と・・・

さぁ考えてみると後者の考えは危険ですね。生きてるうちに沢山楽しまなきゃ損だと自己中心的な生き方となり、自分さえ良ければそれで良い。と、なりやすいのです。他人に迷惑かけてでも自分の生きている時の幸せが大事なのだと・・・

前者の考えでは、自らの欲望を打ち消して世の中の為になるような善良な心を持ち他人を思いやる事が出来る人間となる訳です。

どちらの意見が正しいとかは置いておき、つまり本当の意味での幸せの行き方はどちらなのか?って事ですよね。


で輪廻転生を考えた場合、大乗仏教では六道と言う世界が有ると説いてます。
天道(てんどう)神の世界
人間道(にんげんどう)人間の世界
修羅道(しゅらどう)修羅場の世界
畜生道(ちくしょうどう)動物世界
餓鬼道(がきどう)飢えた世界
地獄道(じごくどう)苦痛の世界
この6通りの世界を生きては死に生きては死にを繰り返すのです。
こちらも、生きてるうちに良い行いをすればするほど天道に近い世界に生まれ変わり、悪行ばかり起こしてる人は地獄に近い世界に生まれ変わると説いてますから、周りの人々にも優しく出来て困ってる人や苦しい人を助けたりして功徳を積み重ねて行く事で幸せに生きていけます。
人間として産まれ無かったとしても
人間に可愛がられるペットとかならまだ良い方です。


下手したら台所の暗い場所の隅っこで暮らすゴキ○リとかに生まれ変わってしまったら目も当てられません。

(ところで北海道にはゴキ○リ居ないって聞いた事有るけど本当すかね?、後花粉症も無いって噂も!)

なので、もしかしたら輪廻転生説が正しいかもしれないので生きてるうちは悪い事をしないように生活するように心がけましょう。


七仏通戒偈、漢字の意味そのものですね。
悪い事しちゃダメよ。
良い事をしなさいね。
そして自らを浄めなさい。
それが仏教の教えだよ。
って事です。

七仏通戒偈は仏教の真髄を1番短くしたものだと私は思ってます。

私なりの観点で書き込みしてる為、
その思想は間違ってるぞ!みたいな事も多少は有るかもしれませんけど、
私は僧侶では無く、ただの仏教ファンですから温かい目で読んでくれたら嬉しく思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。

🙏😌南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛






















私にとっての仏教⑥後編(他力と自力)

2023-04-16 19:30:38 | 日記
前回の書き込みで様々な宗教が有ると書きまして、宗教の中の一部に仏教が有るのだと思っています。
大抵の宗教は祀られてる御神体、仏教で言う所の御本尊と言う事になりますが、それらの存在を信じて、その教えを教祖から学ぶと言う点については
例外は有るかもしれませんけど、ほぼ共通してるように思います。
そこで仏教を学んでいくと、どうやら仏教だけは他の宗教大きな違いが有る事に気が付きました。
1番の違いは、他人を勧誘しないと言う事です。もちろん仏教の宣伝活動はする事は有りますけど、例えば家族、友人や知人に対して仏教とは素晴らしいから、あんたも教団に入って活動しなさい。と誘う事はしません。(仏教でも一部の宗派は訪問勧誘してますけど。)本来、仏教の目的は自分自身を変えるので有り他人を変える事では無いからです。
仏教を学んでる人や修行をしてるお坊さん達を見て、自分自身も仏の教えに従い仏道を学びたいと自ら仏教への道へ進んで行くのが仏教であり、人に勧められて学ぶものでは無いと思っております。
仏教と言うと、人間の死との関係が有ります。寺院やお坊さんを思い浮かべるとお葬式や法事などが連想される方は多いのではないでしょうか?
人類は子を産み、育て、そして死んでいった。(なんかガンダムのオープニングみたいですな!)

それはさて置き、自力本願、他力本願と信仰する為の手段が有りますが、自分自身が悟りを得る為に修行するにあたり自分自身の力で努力したり修行して生きてるうちに悟りを得て即身成仏を目指すのが自力本願で自分以外の他の力(阿弥陀の力)を借りて、生きている内は厳しい修行はせずとも南無阿弥陀仏と日頃から念仏を唱える事により
死後は阿弥陀様が迎えに来てくれて極楽浄土へと導いてくれる。と考えるのが他力本願です。
簡単に言うと生きてる内に成仏する自力本願か死んでから成仏する他力本願かの違いだと思います。

仏教にはいくつかの宗派が有り
代表的のは、密教系の天台宗や真言宗、禅宗系の臨済宗や曹洞宗、そして浄土系の浄土宗や浄土真宗です。
その他にも妙法蓮華経のみを信仰する日蓮宗です。
禅宗系だと座禅や瞑想と言った修行をしますので自力本願、浄土系だと自ら修行する事は無く阿弥陀様に全てを任せるってな感じで他力本願ですね。
密教系は両方を足して2で割ったような自他力本願とでも言うのか2つの良いとこ取りでチョイと欲張りな感じですかね。

どちらにしても最終目的は同じ成仏する事なので、どちらが正しいとか間違いって事でも無いと思います。

仏教以外の宗教で例えば神社系ですと
それぞれ御神体に願い事をして神様に全てを任せるってな感じで他力本願となるのでしょう。


その他、カルト系とでも言いますか
教祖そのものが生き神様として崇められるような宗教団体はどうなんでしょうかね?

と、こんな感じ他力本願と自力本願の違いを私なりの観点から書いてみましたが私も勉強不足でそれ程詳しい訳では無いので、ひょっとしたら事実と違う部分も有るかもしれません。
これからも仏教に関しては学ぶ事はキリが無いほど有りますので、また詳しく説明できるようになった時に改めて書き込みしてみたいものです。

そして、様々な宗教が有りそれぞれ信仰目的が違い、仏教の中でも沢山の宗派に別れてて考え方等の違いが有れど
信仰してる人は自分自身の幸せを願って信仰してると言う部分は仏教に限らず、キリスト教でも神党でもイスラム教でも同じなのでは無いかと思っております。
前編でも少し似たような事を書きましたが、信仰してる事により、病気、老化、死亡と言う事に前向きに向き合う事で、苦しみから逃れ
死に直面したさいに、安らかに逝けるのだと私は思っています。


最後まで読んでくれた方々、ありがとうございます。

光明真言
オンアボキャベイロシャノウマカボダラハンドマジンバラハラバリタヤウン
🙏😌
願わくはこの功徳を似ってあまねく一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを!





















私にとっての仏教⑥前編(宗教について)

2023-04-14 03:54:05 | 日記
今回は仏教と宗教の関係について書き込みしてみます。
書き込みについては私視点の考えですので私の意見が正しいとかでは無いのでご理解願います。
なので読んでる方にとっては間違ってる考えだと思う事は有るかもしれません。


例の安倍総理の事件以降は世間の話題で最近、新興宗教の問題が絶えませんね。特に名前出さなくても今となっては日本国民なら誰もが知ってる宗教です。親が信者で子供達が犠牲になってると言う問題とかですね。


なので仏教も一応、宗教ですから私自身も知り合いから白い目で見られたり敬遠される事もしばしば有ります。

宗教と一言に言っても様々なものが有ります。仏教以外にもキリスト教、イスラム教、天理教、創価学会、霊波の光、エホバの証人、光の輪 など瞬時に思いつくだけでもこれだけ有ります。しかしこれはほんの一部であり日本の宗教の数では今挙げた数の数十倍の数の宗教団体が有るのです。


日本はそもそも、神の国として紀元前660年に神武天皇から国が誕生しました。それ以来神国として現在に至ってます。月日が流れるにつれ仏教やキリスト教などが日本に入り、何度か日本政府により神国以外の宗教を排除する動きも有る中でキリスト教や仏教もなんとか、そんな時代を乗り越えて今に至ってる訳です。
この部分を詳しく書くと長い書き込みとなり日が暮れてしまいますので辞めときます。(笑)

大東亜戦争では神国として団結して神風特攻隊などにより米国を恐怖へと導いた事から戦後GHQにより、日本国民は義務教育で宗教を教える事を禁じてるので、現在は宗教について無頓着な方々が多いのです。
実は私も数年前までその無頓着なうちの1人だった訳です。


そんな中で私は宗教の中の一部では有りますが仏教への興味にたどり着いたのです。このブログの私にとっての仏教はシリーズ化してますから以前のブログも読んで頂けたら、なぜ私が仏教徒となったのか解ると思います。

では今回の本題となります宗教と仏教の関係について書いてみます。
まぁ、簡単です。
先に書いたように様々な宗教団体が存在する中の一つに仏教が有るって事です。前置きが長くて関係についての結果はこれだけですわ。(笑)

実は一応、私は結婚を期に30年間、神の信仰をしてました。
初詣には欠かさずに鹿島神宮に行きましたし、夏が終わり秋になり涼しくなった頃には香取神宮にも行きました。
まぁ30代の頃に数年間、古武道の修行をした事が有ったので武道の神様とされるのが鹿島神宮ってのも有りましたしね。しかしお参りしてた割にはあまりご利益は無かったような気が•••
(たぶん、チャランポランな気持ちでお参りしてただけだからご利益なんて有る訳無い)


この30年は欠かさず参拝してたからかは解りませんけど確かに大きな病気など無く暮らせたし、いくつかの楽しい経験は出来たけどその反面ここには書けないような屈辱や苦しみがもの凄く多かったです。
正直言うと人生諦めた方が良いのではと思い詰めた時期もありました。
(当時は運よく友人や知人により救われました。)
しかし、これは前回のブログで書いた通り、自らが行動を起こした結果に過ぎず、自業自得なのです。
例え、自分に苦しみを与えた者がいたとしても、相手に怨みを持つ等と考えるのでは無く自分自身に焦点を当てて
そうなった事を考えて理解する事が大事で有ると仏教を学ぶ上で知りました。
そして今は私に苦しみを与えた人達への怨み嫉みは仏教を学んだお陰で、すっかり消えました。

で、話を戻します。
様々な宗教団体が有りますが中にはカルト的要素が強い宗教も有ります。
代表的なのはオウム真理教です。

問題はカルト、つまり熱狂的に教祖様等を信じ洗脳されてしまう事により教団への多額な寄付をしたり、最終的には自分自身の為では無く教団や教祖の為に祈りをしたりしてしまう事で有ります。そして組織が拡大していくとオウム真理教のように詐欺や殺人等の悪行へと宗教とは別の犯罪集団となってしまい、行き着く所は教団の解散となる訳です。
しかしながら、カルト的要素が強くてもキリスト教のように世界的に発展して行く宗教も有ります。
なのでカルトそのものが悪いとは一概には言えない部分も有ります。

キリスト教で言えば、普段の生活で悪事をなしてしまったとしてもイエス・キリストの神様を信じて懺悔して祈りをすれば必ず死後の世界は地獄では無く天国に行ける。との事!
まぁ罪を犯したことでの行政的な処罰は有るとは思いますが、犯罪を犯した本人の気持ち的にはしっかりと罪を償う事で少しは気がらくになるのではないでしょうか?
そう言った事からすると個人的には
世界一の信者数を持つキリスト教は偉大な宗教だと思います。
キリスト教を信じて、祈りを捧げながら亡くなられた方は自分は死んでも天国に行けるのだ!と安心した気持ちで
亡くなる事が出来たに違い有りません。宗教を信じてたからこそ安らかな境地で人生を終える事が出来たのではないでしょうか?

って事で、今回は長くなりそうなので
前編として一度終了したいと思いますが、なるべく早く後編を書きたいと思います。そして前回の書き込みで記念すべき初のコメントが来まして、仏教における自力本願や他力本願について書き込みしたらどうか?
とアドバイスを頂きました。
次回の後編の書き込みではその辺を中心に書きたいと思います。

コメントが来たのを確認した時は
本当に嬉しかったです。アドバイスも頂きありがとうございました。















































私にとっての仏教⑤(仏教って何?)

2023-04-12 14:23:21 | 日記

真剣に考えてみました。仏教に興味を持つ人、持たない人の違いって何だろか?私は半世紀以上生きてきたけど、今まで幸せだっただろうか?不幸だったのか?
まぁ、経済的に苦しいながらも今こうして一般的な生活(仕事が有り家族がいて休みの時にはカメラ片手にお寺さんに出向いて参拝したり)と目に見える部分では言葉にすると幸せそのもの!に感じる一方で今まで生きてきた間には様々な苦痛、屈辱、困難など沢山経験してきました。
もちろん今でも悩みや不安など沢山抱えて生きて居るわけだが、自分が幸せか不幸かを考えてみると、明らかに不幸の部分が多いのだ!
私が仏教に興味を持った時から、あるお坊さんのYou Tubeを視聴し続けてますが先日、以前投稿されてた少し前にの動画を見直してて自業自得についての法話を再度視聴しました。
今、こうして自分にとって人生に納得出来て無いのは若い内からの生きていく中での努力の足り無さや普段の行いは全て因果の法則による物で良い事も悪い事も全て自業自得なのだと気がつきました。
なのでここは仏道の原点に戻り、人生をやり直す気持ちになり、七仏通戒偈を基本とする行き方と十善戒を意識して仏道に念じて生きて行きたいと強く思いました。


冒頭で書いた仏教に興味有る人と無い人の違いについてですが、仏教に興味が無い方は、きっと幸せなのでしょう。私は時々物忘れとかして財布やスマホを置き忘れたりします。

例えば、喫茶店にスマホを置き忘れて帰宅途中でスマホが無い事に気が付き、最後にスマホを使った場所などを頭をフル回転して記憶をたどります。
どうやら、1時間ほど前に立ち寄った喫茶店が怪しいのだと・・・
私は、急いで喫茶店に戻ります。
その時に私は「どうか喫茶店でスマホがみつかりますよ〜に」と願います。
私は仏教徒で有ると自負してますから
当然、如来様や菩薩様に願う訳です。

もう一つ、例があります。
娘が嫁にいく以前、結婚しても子供はいらないと豪語してましたが、私は毎日のように、いつか孫が欲しい欲しいと子授観音様に願いをしてました。
いざ娘が嫁に行きましたら、子供が出来たとの事・・・嫁入したら何故か急に子供が欲しい気持ちに切り替わったのだと!
私は子授かり観音様に感謝しました。
そして今はもうすぐ産まれてくる孫や娘に対して、本当に元気な赤ちゃんが
産まれるのか心配でなりません。娘も出産に耐えられるのか心配で心配で慈母観音様に安産と元気な健康な赤ちゃんが産まれますようにと毎日、自宅の仏壇の前で念じてます。
私にはこんな感じで大きな出来事、小さな出来事に関わらず仏様に願いを伝えたり祈りをする事が数えきれない程に沢山あるのでもちろん仏教徒を自負してるので如来様や菩薩様に祈願して祈るのです。



仏道に興味無い方々、又は無宗教論者の方々は、私のようにこんな悩みや願い事などは、きっと全く無いのでしょうね。たぶん悩みや願いなどしなくても幸せなのでしょう。
ひょっとしたら仏教や仏道に乗じなくてもすでに即身成仏や悟りを得てるのかもしれませんね。
それか、もしくは人生どうにでもなれ!と人生を放棄してるのかな?
ってな訳でして私としては仏教に頼らなくても何の悩みも苦しみも願いも何も無い方々が凄く羨ましく思いました。


私は仏教を頼り自ら仏道を努力して学びながら今後も仏様に導かれながら
如来様や菩薩様ををよりどころとして残りの人生を歩んで行きたいと切に願いました。 

ちなみにお釈迦様の教えによると自分に変わって魔法か何かを使って願いをかなえてくれるような神様みたいな者は存在しないので自ら自分の行き方や行動を見つめ直して救われる道に進みなさい。との事らしいです。
なのでお釈迦様や観音様が自分の代わりに何かやってくれる訳では無く、
救われる道に導いてくれるのが
仏様で有る事を肝に銘じて仏様を尊敬して行きたいものです。

🙏😌釈迦如来ご真言
ノーマクサマンダボタナンハク
ノーマクサマンダボタナンハク
ノーマクサマンダボタナンハク