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nojyucal moonの趣味

仏教が大好きで仏教を楽しみながら趣味として成り立ててます。僧侶では無く仏教ファンの視点から記事を書いてます。

楽しく仏教を学ぶ(仏壇)

2023-05-04 23:55:28 | 日記
私が仏教に興味を持った最初の頃は、仏壇はおろか、香炉やおりん、等は持ってませんでしたのでお釈迦様の仏像に手を合せて拝んでいました。
次第にお寺さんにも頻繁に参拝するようになり本堂の仏壇の豪華な作りを見たりして行くうちに、我が家にも仏壇が欲しいと思うようになりました。


私が幼少の頃、祖父母と同居してる家庭の友人宅などで遊んでると、友人のお婆ちゃんが夕方になるとお仏壇の前で妙法蓮華経を唱えてたものでした。
周りには農家も多い地域でしたので、そのようなお宅はけっこう有りましたが私の実家は、父が分家の為にご先祖様を祀る仏壇はありませんでした。
そして昭和から平成、平成から令和と時代の流れが進むにつれ、仏壇を用意してる家は少なくなったと思います。
建築の建売住宅を見ても床の間どころか和室さえ無い家が殆どではないでしょうか?
最近では洋室に合う仏壇もかなり多く売られてます。


前置きが長くなりそうなのでこの辺で本題に入りましょう。
先ずはお仏壇は必要なのか、必要ないのか?と言う点から考えてみます。
ちなみにうちの仏壇には先祖は祀られはいません。現在は大日如来を本尊として弘法大師空海、不動明王、観音菩薩を祀っています。
なぜ、身内内で亡くなられた人が居ないのに仏壇を?と疑問を抱く方が居るかもしれません、しかし仏壇はそもそもご先祖様を祀るのが本来の目的では有りません。
本来は仏様を祀る為の仏壇です。


ここで言う仏様とは、お釈迦様や阿弥陀様、などの仏様の事です。
日本では、亡くなられた方を仏様と呼ぶ習慣が有ります。確かに仏教視点から考えると亡くなられた方が成仏したとなれば、仏様になると言う事では有りますが仏様とご先祖様は別に考えなくてはなりません。つまりどう言う事かと申しますと人は亡くなられて直ぐに仏様になれる訳では有りません。
例えば弥勒菩薩様はお釈迦様無き後、次の仏陀の後継者となる菩薩様は、お釈迦様が亡くなられてから56億7000万年に仏陀(如来)となるとされてます。現在はお釈迦様が亡くなられて約
2500〜2600年ですので弥勒菩薩様は
我々に寄り添いながら人々の救いながら今でも如来になる為に修行をし続けてる訳です。
菩薩で有る弥勒菩薩でさえ如来(仏陀)になる為にそれだけ長く修行しないとなれないのに、我々が亡くなられて1日や2日で仏様になれる訳では無いのです。
亡くなられた方は亡くなられた後に仏様になる為に修行をしていくのです。

って事でまた話がズレてしまいましたが仏壇は本来仏様を祀る場所で有るけどご先祖様も祀らせてもらってるって感じです。
なので、仏壇にもよりますが階段状に
上座、下座が別れてる仏壇には上座に御本尊様、下座にご先祖様を祀る事になってます。

時々、仏壇は有るけどご先祖様のお位牌だけしか無くてご先祖様が祀られて無い仏壇を祀る方がいらっしゃるらしいのですが、それは仏壇では無く
パパ壇、ママ壇となってしまいますのでせっかく仏壇まで用意して大切なご先祖様を祀るので有るならば、しっかりと御本尊様も用意して祀るべきで有ると私は考えてます。

人は亡くなられる時は1人です。
しかも一度も経験した事は無く予行練習無しのぶっつけ本番、最初で最後の死をむかえなくてはなりません。
そんな時に御本尊様が近くで見守ってくくれてれば、どれだけ心強いかが想像出来ると思います。

と、言う訳で先に話したように仏様が近くに居る事で死んでからも心強いですが、私としては生きている間も御本尊様に見守って欲しいので仏壇を用意して毎日、僅かな時間では有りますが1日を平穏に過ごせる為に祈りを捧げてから出かけます。困った事や悩んだ事、心配事は勿論ですが嬉しい出来事や楽しい事、何かをやって上手くいった時々にも仏壇に手を合せて日々を過ごしています。
生活する為に不況の中、毎日忙しく働いてますので、中々お寺さんに参拝に行く事も出来ませんので自宅に居ながら仏様を拝む場所が有るのは良いです。

☝最近ではこんな可愛らしいのも販売されてるらしいです。これならば洋室に設置しても違和感無さそうで良いですよね。
東や南向きになるように設置さえ出来れば小スペースでも拝む場所が作れます。
しかしどうしても仏壇を置くスペースが確保出来ない場合は最初に書いた通り、仏壇が無くても仏様の仏像だけでも良いので拝む場所を作るだけで心強くなれますので、拝む場所が我が家に無い方は、拝む場所を作ってみてはいかがでしょう?
和室や床の間が無くても、ご先祖様が居なくても、部屋のタンスの上とかにスペースもとらずに設置出来るサイズも有ります。

仏教ファンの私としては、自宅の仏壇の前でお経や真言を唱えたり、写経や写仏をしたり仏教を心から楽しんでいます。
仏教を楽しみたい方は是非、仏壇を用意して仏教を楽しく学んで頂けたらと思います。
ちなみに我が家の仏壇は、19号サイズで楽天市場で16800円でした。
安くても立派な作りでした。御本尊の仏像は29cmまでの高さなら入ります。
☝我が家の仏壇です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

大日如来ご真言
🙏😌
オンアビラウンケンバザラダトバン
オンアビラウンケンバザラダトバン
オンアビラウンケンバザラダトバン




















仏教寺院参拝について

2023-04-28 11:37:11 | 日記

今回はお寺さんに参拝に関する事をまとめて書いてみようと思います。
仏教ファンである私が個人的におこなってる事や参拝時の持ち物の紹介をしたいと思います。
なので、これが正式な参拝の仕方だとか言うのでは無く、最低限マナーをまもり楽しく参拝する為の事ですので
少々いつもより長くなりますが、
どうか最後までゆっくり読んで頂けたら嬉しいです。

先ずは持ち物ですが、数珠です。
真言宗では念珠と言います。
私は弘法大師空海様が好きですし、何かと真言宗に縁が有るので、念珠は真言宗の本式念珠108玉を用意してます。
紫檀で作られた物で確か7000円弱くらいの値段でした。
私は持ってませんが
梅で作られた念珠も安い物だと4000円位で買えるみたい。
材質などで高価なものだと十数万円するものまでピンキリですが値段が高い程良いと言う訳では無いので生活レベルに合わせた予算でデザインや好みの色で選べば良いと思います。
でも念珠は特に無ければ参拝出来ない訳ではありませんが、仏教ファンを自負するからには用意しておきたいアイテムですよね。
右側の茶色い念珠が真言宗本式念珠
紫檀108玉です。自宅仏壇前で使ったり本腰入れて参拝に行く時に持ち出します。それ程高い値段じゃ無いけど私にとっては高級品、とにかく天然木素材は良いですね。

左側のはブラックパールと水晶の
真言宗本式念珠108玉で
150000円では有りませんよ。
👆私の安月給では買えません(泣)
プラスチック製の念珠
値段は1500円でした。
まるでおもちゃみたいな質感(笑)
しかしこれでも立派な真言宗本式念珠ですので毎日、持ち歩き用で御守代わりに持ってます。行先で見かけた寺院で参拝した時に使えますし、もし壊れても安い物だからと気兼ね無く使ってますが念珠は仏様と同じ扱いだと、和尚様に教えられたので、安い念珠も大切に使ってます。

もしこれから購入を考えてる方は
信仰してる宗派ごとにデザインや作りに違いが有るので宗派にごだわる方や菩提寺が有る方は自分の家は何宗なのか調べてから、購入する事を勧めます。

次は納経帳(御朱印帳)です。
参拝後に社務所で御朱印を授かります。御朱印帳は行った寺院の参拝した記録となり後に見返した時に参拝した時の思い出がよみがえり、また参拝しに行きたいな!とか前回は春の桜の時期に行ったけど次は秋の紅葉の時期に行ってみたいなぁ〜と、参拝に行く気力の元となります。

私のはアマゾンで購入した安価なタイプの御朱印帳ですが、安いからと見劣りする訳ではありません。
デザインや色も様々なのが有るので気にいった物を選べば良いと思います。
それと、お賽銭用に財布とは別に小銭入れを用意しとくと良いと思います。
以前、お寺さんでお参りした時に財布の中に1万円札と小銭が一円玉数個しか無くて、さすがに1万円札を出す勇気は無くて3円のお賽銭にした事が有りました。(笑)
今は小銭入れに御朱印用の五百円玉やとお賽銭用の小銭百円玉や十円玉を数個を入れていつでもお参りできるように持ち歩いてます。


境内に入るには、なるべく山門(正面入り口の門)から入るようにします。
門の手前で立ち止まり合掌して一礼して門から足を踏みいれるのは右足から入ります。入口に入ってから手水舎が有れば柄杓を使い左手、右手、口の順番で浄めていきますが、口をすすぐ時には直接柄杓から口では無く左手に水を注いで口をすすぎます。
最後に使った柄杓を浄めて元の位置にもどします。細かい作法も有るらしいけどそれよりも、なるべく音を立てずに丁寧に静かに行なう事が大事です。

本堂に行くまでに、お地蔵様や観音様が祀られてましたら近い順に立寄り奥へと順番に参りしていきます。
観音様の仏像が有りましたら、念珠を持ち合掌してご真言を唱えますが観音様の種類により真言は違いますので観音様の種類が解らなければ私はオンロケイジンバラキリクソワカと唱えてます。ご真言は三唱もしくは7唱唱えて、時間に余裕が有れば延命十句観音経を三唱してます。最後に一礼します。

弘法大師空海様の像が有れば、南無大師遍照金剛と三唱して念珠を持ち合掌して般若波羅蜜多心経を唱えてから一礼します。

本堂に着いたら、お賽銭して念珠を持ち合掌し御本尊様の真言を三唱して
最後に一礼して参拝終了です。


参拝終了しましたら、社務所へ御朱印を授かりに向かいます。
御朱印を貰うページを開いて御朱印を授かります。

御朱印を戴いたら御布施料金を支払い、写真撮影不可能な場所の有無を確認してからカメラで寺院の写真撮影するような流れになります。
お寺さんにより違いますが、とくに御本尊の撮影を禁止してる場合が有るので確認は忘れずにして気をつけます。
国宝に指定されてたり文化財となってる場合は写真撮影は禁止になってます。たいてい目立つ場所に立札か看板などに書いてあります。

退出する時も山門を出ましたら、一度本堂側に向きなおり、一礼して全て終了となります。


参拝中に注意すべき事もいくつか有ります。

手水舎の説明でも書きましたが、細かい作法よりも、静かに丁寧にする事が1番大切です。
少し位、作法を間違えてもお坊さんに叱られる事はありません。
むしろ、完璧な作法や手順で参拝しても構内で騒いだり、連れとの会話で大声で話をしたりする事をお寺さんでは嫌がりますので、マナーを守って楽しく参拝するように心がけましょう。

御朱印を授かる場合は必ず参拝お参りを済ませてから頂きに行きましょう。
ご住職様が法要中(毎日のお勤め読経など)で時間が掛かったり、断られる場合も有りますが、当日なら何時頃出来るか相談してくれます。
決して無理強いして頼むのは駄目です。私の場合は基本的に午前中に参拝しますので一時間位なら待ってたり
食事を挟んで、午後にもう一度行ったりして御朱印を授かります。

般若波羅蜜多心経やご真言を唱える時に声は程よく自分の耳に聞き取れる程度の音量で唱えます。
あまりデカい声だと恥ずかしいですし
他の参拝者にも迷惑ですからね。

お賽銭箱に賽銭を入れる時も投げ入れる事はせずになるべく大きな音がならないようにお賽銭を入れます。


それと御朱印に関しても注意する事が有ります。仏閣だけで無く神社にも参拝する方、は神社用と寺院用と別ける事を勧めます。

特に神社関係ではお寺さんの朱印が有る場合は嫌がる場合が多いらしいです。中には神社から叱られた方が居たと聞いております。
仏閣関係ではそれ程気にする寺院はあまり有りませんが、日蓮宗の一部のお寺さんでは同じ寺系で有るにも関わらず宗派の違う御朱印が有る場合で御朱印を断られる事も有るらしいです。
なので宗派問わず御朱印集めしてる方は宗派別に御朱印帳を用意するなど対策しておいた方が良いと思います。
私は、真言宗以外の寺院では参拝はしますが、今の所は御朱印は真言宗寺院のみで集めてます。
まぁ、時間の問題でそのうち御朱印帳を買い足して他宗派の寺院でも集め出すとは思いますが!

そんな感じですから
せっかく気持ち良く参拝して、楽しみにしてた御朱印を授かり社務所に行ったら、この御朱印帳は他の宗派の朱印が有るのでお断りします。
なんて言われたら、がっかりしてしまいます。がっかりするだけならまだ良いですがこんな寺に二度と来るか!と、そんな気持ちにもなるかもしれません。
せっかく楽しく気持ち良く参拝しても
そんな事になればその日、1日が台無しになってしまいますよね。
特に神社はちょっとした細かい事が重要視されてる場合も有りますので注意して下さい。


最後に参拝とは関係有りませんが
最近、インターネットの個人販売が
流行ってますのでいくつかの個人売買サイトやアプリが有りますが、その中で御朱印を販売してるのを良く見かけます。
勿論、法律上や個人売買サイトの規定では御朱印の販売は禁止はされてません。しかし
御朱印とは、本来は神社や仏閣にて参拝した折に授かる証明のような物ですからネットで購入するような物ではありません。

そもそも私達は御朱印を神社や仏閣から購入してる訳では無く御布施をして御朱印を授かっているのです。

ここから下は現在
御朱印を売買サイトで出品されてる方や、出品された御朱印を買われた方に読んで頂きたいです。👇

御朱印とはどのような物か知らないで販売してる方でしたら、こういった情報から学んで頂く事ができるので救いようも有りますが
もし、知っていて解ってて商売目的で販売してる方はどのような理由が有るにせよ即座に辞めて頂きたくようにお願い致します。

参拝者に対して想いを込めながら御朱印を書かれた神主様やご住職様に対しても失礼極まりないですし、そうした事を知らずに、購入された方も本当に気の毒でなりません。

また購入する方の気持ちは、私としても凄く良く解ります。確かに御朱印帳に朱印が増えて行くと嬉しいですし楽しいです。
まして、わざわざお寺さんに出向かずに自宅でごろ寝しながらスマホ1台でポチッとするだけで欲しい御朱印を家まで届けてくれるのですからね。

しかし、参拝もせずにネット販売で買った御朱印など思い出や心に残る参拝経験も何も無い訳です。
例えば10年後や20年後に、その御朱印を見ても何も感情を湧く事もありませんし虚しくなるだけです。
ですから、御朱印として価値は全くありません。

もし、うっかり以前に個人売買のネットで御朱印を買ってしまった経験が有る方は、もう二度と絶対にそのようなネット販売から御朱印を買わないようにして頂きたいと思います。

このような書き込みした事で、私の事を生意気だとか思われても一向に構いません。
例え10人の内の1人だけでも、心や考え方をあらためてくれて頂けたら私は仏教ファンの1人として本望で有ります。

ってな訳でして
私は仏教を心より愛する故に、今回の最後は変な書き込みとなり気分を害された方がいらっしゃるかと思います。大変申し訳ございませんでした。
深くお詫び申しあげます。
m(_ _)mゴメンナサイ。

最後までお読み頂きありがとうございました。









































私の好きな仏像(釈迦如来)

2023-04-23 15:21:20 | 日記
私の好きな仏像の中の一つに釈迦如来座像が有ります。
なぜ、立像では無く座像が好きと言うのは機会が有れば今後、書くかもしれません。

様々な仏様が有りますが地球上の人間が悟りを得てブッダとなられたのはお釈迦様ただ1人です。
産まれた瞬間に立ち上がり「天上天下唯我独尊」と言い放ったと言うのは有名な話ですね。

およそ2500年前にインドの北部で
釈迦族の国の王子として産まれゴータマ・シッダールタと言う名前でとても大事にされて、何不自由無く幼少期を過ごしましたが、成長して行くにつれ
人々はなぜ病気になるのか?
なぜ歳をとり老化していくのか?
なぜ死んでしまうのか?
今は苦労も無く生きてはあるが、いずれ歳をとり病気になり苦しみながら死ぬのなら、今こうして生きている事になんの意味が有るのか?
と悩みました。そんなある日、シッダールタは散歩中に出家修行者を見かけました。出家修行者は見た目はみすぼらしい姿でしたが、シッダールタの目には修行者のオーラを放つような姿や輝く目を見て、出家修行者に憧れを覚えました。

それからというもの、シッダールタは徐々に自分も今の生活や身分を全て放棄して出家して修行をしたいと思うようになりましたが、その頃妻である
ヤシュダラ(ヤショーダラー)が子を妊ってしまいます。シッダールタは出家したい気持ちに妻が居る事で悩んでいましたが、子が出来たとなると更に出家への迷いに妨げが生じてしまった思いました。

☝こちらはヤショーダラーの肖像
美しく描かれてますね。
たぶんかなり美人だったと推測します。

話を戻しまして

産まれた事を報告しに来た付き人がご子息のお名前は?と聞いた時、シッダールタは、うっかり声に出して「ラーフラ」と叫んでしまいました。ラーフラとはインドの言葉で妨げを生じると言う意味なのですが、付き人はそれを聞いてシッダールタ王子が、ご子息の名前をつけたと思いこみ、産まれた子供はラーフラと言う名前になってしまったようです。
(-.-;)えっマジかよ?
と、言うお釈迦様の姿が目に浮かぶようです。(笑)

で、結局その後に出家をして修行の旅に出ると家族に相談した所、猛反対されました。
しかしシッダールタは出家を諦めきれずに皆が寝し寝静まった夜中に出家してしまいます。出家と言うより家出と言った方が良い感じもしますが!(笑)

ってな訳で出家したシッダールタは
バッカバ仙人やアーラーラカーラーマの元で修行を積みますが、あっと言う間に境地へと達っしてしまい、物足りなさを感じて苦行への道を求めて断食等苦痛を伴う修行を続けました。
☝苦行してる時を模した仏像

断食して、死ぬ一歩手前までの状態で
悟りを得る事が出来ずいると、近くを通りかかったスジャータと言う名の少女から乳がゆを頂き、一命を取り留めて苦行では悟りは得られないとして原点に戻り菩提樹のたもとで座禅での瞑想をしました。
そこでシッダールタは悟りの境地に達してブッダとなりました。

それ以降、シッダールタの名前を捨てて仏陀や釈迦として仏道を世に広める活動をして仏教開祖として80歳まで
布教する人生を歩む事になります。

仏教の教えには出家修行者と在家修行者と2通りの教え方で仏道を世に広めて行きました。
こちらに関しても、もう少し詳しく書きたいのですが本日書きたいのは違う事なので今回は・・・

と、簡単では有りますがお釈迦様の生涯を書いてみました。
お釈迦様のエピソードとして、特に私が好きなお話を一つご紹介してみようと思います。


世の中には、お釈迦様のように多くの者立ちに尊敬される者を妬む者もいましたし、元々はバラモン教の聖地で有るインドで仏教を広めて行った事に不満を持つバラモン教徒からも恨まれたりしてました。
お釈迦様はある時、お釈迦様の弟子達と共に仏道を求めて集まって来た庶民達の前で説法や法話を説いていました。
お釈迦様を妬み恨む者が、その様子を見て庶民の前でお釈迦様に恥をかかせてやろうと企てて、お釈迦様に近づき
お釈迦様のある事無い事の悪口を言いました。
弟子達はそれを悪口を聞いて胃の中が煮え繰り返ってましたが、お釈迦様は
動じる事も無くただ合掌したままの姿でその悪口を淡々と聞いていました。
妬み恨む者は、動じる事の無いお釈迦様を見て更に酷い悪口を続けましたが
遂にネタ切れして疲れはててしまい、最後には,「やい釈迦、一言も弁解出来ない所を見ると本当の事を言われて言葉も出ないようだな! なんとか言って見やがれ!」と怒鳴り散らしました。

お釈迦様
「ならば言ってやろう、お前さんは、友人を家に招く事は有るのか?」

妬みを持つ者
「そりゃ時には家に招く事は有る」

お釈迦様
「ならばその時に招いた客人に食事を出す事は有るのか?」

妬みを持つ者
「招いた客に食事は出す事は有る。

お釈迦様
「そうか、ならばもしその客人が出された食事はいらぬと、言って来たらその出された食事は誰の物になるのか?」

妬みを持つ者
「食事をいらないと言うので有ればそれは私の物である。」

お釈迦様
「そう、お前さんの言う通りその食事はお前さんの物である」

妬みを持つ者
「それがどうした?何が言いたいのだ?」

お釈迦様
「私は、お前さんの出した食事はいらないのである。なのでお前さんの出した食事はお前さんの物で有るから自分自身でお好きなだけ食べなさい。」

と、妬みを持つ者に合掌したままの姿で一礼をして一言、
南無阿弥陀仏と唱えると背を向けて
庶民の方へ向きなおり、動ずる事無く何事も無かったごとく庶民に対して説法を続けました。

お釈迦様は、悪口を食事として
例え話をしたのですね。

つまり他人から悪口を言われても
怒りをあらわにせず、要らぬ物は自分に取り入れ無ければ、何も苦痛に感じる事でも無く、かえって悪口に対して反論して悪口でののしり返したならば、その者が出した食べたく無い食事を食べてしまう事になる。と、言う教えだったのです。

この話を知らなかった頃の私は、私に対して屈辱をして来た者に対して、一緒に食事をしてました。(笑)

この話を知ってからは食べたく無い食事は食べ無いように心掛けるようになりました。
この話は有名な珍話なので知ってる方も多いかと思いますが、初めて知った方々はこの話を知った事で僅かでは有りますか悟りの境地に一歩近づけたような気はしませんか?

お釈迦様のエピソードで私が1番好きなお話でした。
まぁ、そう言った事で様々な仏様の中で唯一人間から仏陀となられたお釈迦様が大好きなので有ります。
私が初めて購入した仏像も釈迦如来座像でした。

我が家の釈迦如来座像仏像です。
決して高価な仏像では無いけど優しい表情のお釈迦様とメッチャかっこいい蓮華の台座が素敵です。

今後も楽しく仏教を学ぶ事や、為になる仏教を専門的では無く仏教ファンの視点から書き込みして行きますので
宜しければ、いいね等を押したり
フォローなどして頂ければと思います。コメント等も遠慮なくして頂ければ嬉しく思いますので、機会有れば宜しくお願い致します。

お釈迦様ご真言
🙏😌ノウマクサマンダボダナンハク
ノウマクサマンダボダナンハク
ノウマクサマンダボダナンハク


































私の好きな仏像(不動明王)

2023-04-22 20:06:03 | 日記
「仏様」と言うと皆様はどのような姿を思い浮かべるでしょうか?
お釈迦様や阿弥陀様など、座禅を組んだ大仏様のような姿でしょうかね。
仏様には多数の種類が有ります。今回は私の好きな仏様の中の一つ不動明王について書いてみようと思います。
不動明王様は見ての通り、かなり恐い姿で表されています。まるで私が幼少期にテレビで観てた戦隊ヒーローに出てくる悪者もたじろぐ程の姿ですよ。
顔に関してはVシネマ俳優の顔面凶器と異名を持つ小沢仁志の顔が可愛く感じる程、恐ろしい顔ですよね。(笑)
右手には剣、左手には羂索(けんじゃく)と言う武器を備えてて背中には真っ赤に燃える火炎が如何に不動明王様が恐ろしいのかを強調してます。

武器である剣ですが、こちらは命有る物を斬る事は出来ない剣ですが、普通の剣では斬る事が出来ない物を斬る事が出来ます。羂索とは縄で出来てて悪人を捉えた時に暴れる悪人を羂索で巻き付けて動きを封じます。

羂索で捉えた後に剣で煩悩(人の持つ悪い考え、欲望など)を切り捨てて背中から燃え盛る火炎により煩悩を焼きつくしてしまいます。

お釈迦様や大日如来様のような、優しい顔で叱りつけても、人は中々言う事を聞かないものです。
私も幼少期にお母さんに遊んでばかりいないで勉強もしなさいね。と優しく叱られても全く聞き耳を持ちませんでした。お父さんから厳しい口調で恐い顔で叱られて、やっと勉強するような!そんな感じですかね。

そんな恐ろしい姿の不動明王様ですが
実は大日如来様の化身とされてます。
大日如来様の姿では言う事を聞かない私のような者には不動明王様に変身して強制的に人としての真っ当な道へと
導いてくれるのです。
なので不動明王様は見た目とは裏腹にとても優しく、仏道に帰依して生きる者には愛情を込めて悪い道へと行かぬように、叱ってくれる慈悲深い仏様なのです。
人は半世紀も生きると、社会の中では中々叱ってくれる方は少なくなります。学生時代なら先輩や教師が叱ってくれたり、若い時には会社の上司が叱ってくれますが年齢が上がるに連れて叱ってくれる方が居なくなります。
なので、むしろ若い方よりも年配者にとってはご利益が有るかもしれません。
不動明王にはいくつかの呼び名が有ります。大日大聖不動明王を略して不動明王と言ったり不動尊とか、親しみ込めてお不動さん、なんて呼ばれたりもしてます。
仏教の発祥地であるインドのサンスクリット語ではアチャラ・ナータと言い
元々はヒンズー教のシバ神の事だったらしいです。アチャラとは動かざる者
ナータは守護神と言う意味なので動かざる守護神で日本では不動明王と呼ばれるようになったらしいです。

こうして不動明王だけにスポットを当ててみても様々な歴史や成立ちが解りますので仏教とは奥が深くて面白いです。他にも探せばいくらでも不動明王に関して出て来ますが、私は僧侶では無く単なる仏教ファンですから専門的な説明は僧侶の方々にお任せして、今回は不動明王像について少しでも興味を持つきっかけとなればと思い書き込みさせて頂きました。

不動明王ご真言
🙏😌ノーマクサマンダバーザラダン
センダーマカロシャダーソワタヤ
ウンタラタカンマン

因みに、ご真言の最後の「ウンタラタカンマン」の部分で面白いエピソードが有ります。
よくお母さんが、勉強もせずに遊んでばかりいるお子様(幼少期の私の事か?)に対して、「ほら、いつまでもゲームばかりやってないで宿題しなさい。」と言うと子供は「うん、でも今ゲーム良いとこなんだ、後で宿題やるから・・・」と、そこでお母さんの言葉「うんたらかんたら言わずに直ぐに宿題やりなさぁ〜い🤬💢」
と、なるのですが、うんたらかんたら
とはこの不動明王ご真言から来たものとの言葉です。
ご真言の中では比較的に不動明王のご真言は長いので、長いご真言を唱えるごとき言い訳などするな!って言う意味で、うんたらかんたら言わずに・・・って使われるようになったらしいです。
面白いですよね。
これを読まれてる方で、小学生位のお子様がいらっしゃる方は、今度お子様を叱った時に言い訳とかしてきたら、このエピソードをお子様に伝えて叱ってしまって重くなった空気を軽くするのに役立てて頂けたら嬉しく思います。

不動明王は密教系の宗派のイメージが強いのですが、日蓮宗や禅宗系でも
大切にされてる仏様で有ります。

最後までお読み下さりありがとうございました。
しばらくは仏教関係でブログの書き込みをして行く予定ですので仏教を気軽に楽しみたい方は是非ともいいね。やフォロー等して頂いて今後も読んで頂けたら嬉しく思います。
また、コメント等も気軽にして頂いて構いませんので今後とも宜しくお願い致します。

🙏😌南無大聖不動明王
南無大聖不動明王
南無大聖不動明王




























仏教の魅力とは?

2023-04-21 14:57:43 | 日記
今日は仏教について、仏道を学ぶ事によりどのような効果が有るのか、仏教の魅力とは何か?
を書いてみようと思います。
前回の書き込みでも触れましたが、仏教とかお寺さん、お坊さん、何だか暗いイメージだなぁ〜。って思う方はかなり居るのではないでしょうか?
実は私ゃ、若い頃はそう感じてました。だってお葬式や法事のイメージが強すぎて、お寺さんの建物って良く言えば歴史有る貴重な建物。って事ですがイメージ的には建物は古くて周りには墓地も隣接してて不気味で何だか怖い。みたいに感じてました。

最も私ゃ、幽霊や心霊みたいのは好きな方でして(霊感はまるで無いのですが、心霊に興味が有ると言う不純な動機がきっかけで仏教ファンになりました。)
でも20代後半の頃に半年位、霊園墓地で働いてた事もあり、夜中のお墓とかあまり怖さを感じないんです。霊園事務所で夜中1人で残業なんてのも経験したのでたぶん慣れてしまったんですね。


お地蔵さまってなんか可愛らしい感じですよね。
たぶん、日本で1番数が多い仏像ではないでしょうか?
道端に有るお地蔵さまは、たぶん交通事故で亡くなられた場所とか、供養の為に設置されたり、海岸付近では水難事故の供養とか、とにかく沢山見かける気がします。
お寺さんに行くと六地蔵が有りますしね。
六地蔵に関しては以前の書き込みで書いてますので興味有る方は是非とも読みに来て下さいね。

まぁ、そういった事からも仏教とは暗いイメージですし、私の友人や知人はスポーツ好きだったり聴いてる音楽は明るいノリのポップスやロック、私は、スポーツと言うか武道系が好きですし音楽は哀愁漂う悲しい感じの曲が好きでして、そうした面からしても確かに暗い感じでは有りますけど、決して私ゃ暗い性格でも無いし、初めて会った方とも性格が明るい人や話好きの人とは直ぐに打ち解けて冗談を言いあったり、とまるで仏教とは無縁のような自分で有ります。

私にとって1番の仏教の魅力は、亡くなられた親族など知人の供養は勿論の事ですが、生きてる私達にとっても仏様との関係を持てる事です。
仏教は亡くなられた方の為に有ると言う固定概念が有る方も居るかと思いますが、私はむしろ生きてる方々の為に仏教が有ると思っています。
亡くなられた方の為が20%
生きてる方々の為が80%
これくらいの割合で仏教が有ると思うのです。


自宅にお仏壇が有れば、悩み事や困った事、心配な事が有ればお仏壇の前で仏様に願い事等も簡単に出来ますし
お仏壇に先祖を祀られてる方ならご先祖様に祈りを捧げる事で、悩む心も多少は楽になると思います。
逆に良い事が起きた時には、また仏壇の前で仏様やご先祖様に報告するなど
仏の世界とのコミュニケーションもとれます。

沢山有る経典の中から自分に必要とするお経を探してみたり、各仏様のご真言の意味を調べたりするのも楽しいです。今はインターネットで様々な情報が有り調べたい事はスマホ1台でなんの苦労も無く簡単に調べる事ができますしね。

最近、仏教で新しい楽しみが増えました。それはお線香です。
様々な種類の香りが有るので、色々なお線香を試してみたいと思っています。気にいったお線香を発見できた時にはまた書き込みしたいと思います。
こんな感じで仏教を学んで行くと沢山の楽しい事が有るし、有事のさいには
ご焼香の仕方、念珠の使い方など
法事やお葬式で役に立つ事も沢山あります。
以前、仏教に興味が無い頃に何度かお葬式や法事に参加した時にご焼香の仕方が解らなくて、他の人の行動を真似しようと合掌してる手で薄目をあけてご焼香してる姿を見てましたが、後ろ姿しか見えなくて体の前では何をしてるのだろうと、不安だった事も有りました。
その時は、適当にやってしまったのですが恥ずかしく感じた事を今でも覚えています。
読んでる方々も似たような経験をした事が有るのではないでしょうか?
とにかく、魅力いっぱいの仏教の為
次回からも書き込み続けて行きたいと思いますので、また読みにいらして下さいませ。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

地蔵菩薩ご真言
🙏😌オンカカカビサンマエイソワカ
オンカカカビサンマエイソワカ
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