
さてさて、昨日の続き【大庄屋(おおじょうや)】についてやで。
簡単に言うと大庄屋は、今の市長に近い存在やないかな?
幕府が日本政府、将軍が総理大臣としたら、藩主が県知事、
その藩主に仕える代官(お侍さん)と、前回紹介した
庄屋との間におるのが、この大庄屋や。
大庄屋は、数ヵ村から多いところでは十数ヵ村をまとめてたそうやで。大歳家も12の村を取り仕切ってたんやって。
百姓の身分の庄屋と違って、苗字帯刀を許され,なかにはお侍さんの身分をもらってる例もあるそうやで。
なんでかって言うと、 そもそも大庄屋は、もともと武士の由緒をもつもんが多かったそうで、その地方では「格式」が高い家とみられてたんやな。
地域によっては、大肝煎(おおぎもいり)。大総代。検断。割元(わりもと)、なーんて呼び方もあるそうやで。
まぁ、つまりは、多くの大庄屋はもともとその地域で力があった人がなってるわけで、大きな家に住んでるのも、納得ってわけやな。
大歳家の詳しいことは、後ほど紹介していこうかなと思てるので、楽しみにしといてや~♪
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