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新野辺まちづくり協議会公式ブログ

加古川市別府町新野辺で郷土の歴史遺産を次代に伝えることが目的の団体。
祭り、住吉神社、大歳家保存会から成る。

第1回 改修工事中の大歳家住宅の見学会のお知らせ

2018-05-29 15:51:02 | 大歳家の建物公開!

改修工事中の大歳家住宅の見学会のお知らせをいたします。
大歳家住宅は、4月25日から改修工事を行っています。
大歳家住宅は、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国録有形文化財に登録されている建築物であり、180年以上前から新野辺の景観をつくってきました。
新野辺の地域遺産として、地域のみなさまにも大歳家住宅や新野辺の歴史や改修工事の状況について、是非見ていただきたいと思っています。
6月17日(日)14時から「第1回 改修工事中の大歳家住宅 見学会」を開催します。
当日は、改修工事の状況だけでなく、当時の姫路城のお殿様が滞在した「上段の間」や「勧善之堂」の掛け軸などもご覧になることが出来ます。
専門家による大歳家住宅や新野辺の歴史、改修方法についてのイベントも計画しています。
是非、少しでもご興味のある方は、お気楽にご参加下さい︕
平成30年6月 新野辺まちづくり協議会 山口賢一 大歳正明

 

 


兵庫の民家と街並み画集 300景

2016-07-08 16:35:07 | 大歳家の建物公開!
新兵衛です(^◇^)

こないだ、加古川の中央図書館行ってさがしてたもん見つけたんや~!
なんと、在りし日の大歳家茶室の水彩画が載ってるんや。
1988年3月に描かれたもので、大震災の7年前かな。

ご存知の方も多いと思うけど、描いたのは故・内海敏夫さんという方なんや。
「兵庫の民家と街並み画集 300景」は1996年、大震災の翌年に出版されとる画集で、
題名の通り、兵庫県内の古民家が300景描かれてるねん。



出版されてからもう20年。この20年の間に取り壊されたり、
震災で崩れて危ないからという理由で撤去されたり、そういう民家は
いっぱいあると思う。
その中の一つである「大歳家の茶室」。
このまま崩れて失ってしまうにはめっちゃ惜しい!!
そう思わせる貴重な貴重な水彩画。ぜひ見てちょうだい!







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【大歳家】 総米蔵

2016-07-06 00:28:27 | 大歳家の建物公開!


新兵衛やで!
今回は、大歳家の米蔵を紹介するわな~。

ここでは、蔵の持つ調湿・調温機能を最大限に生かして、ぎょうさんのお米を貯蔵してたそうや。
中に入ると大きく太い梁が目につくわ。




古い図面の方には「総米蔵 拾壱坪」と記載があります。
毎年、米の収穫期には、日を決めて小作米の収納がおこなわれて、この行事を『蔵入れ』と呼んだそうやで。
そういえば、こないだの林田の三木家では、奥の方から新米を、手前に古米を入れていたんやって。

現在の米蔵は、見た目に大きな傷みはあらへんのやけど、
やっぱりなまこ壁が崩れてたりで、早い修復が待たれるわ。



中には、古い桐ダンスや、長持(ながもち)などが置いてあって、
一番びっくりしたんはやっぱり「駕籠」やな。
二つもお駕籠がぶら下がってたんやで。
これは、多分大歳家の当主が姫路藩などへ用があって
出かけるときに使ってたんやろうな~。



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▼米蔵の詳細(文化遺産オンラインより抜粋)

主屋の南方,南庭の中央でやや穀物蔵寄りに建つ。
桁行5間,梁間2間半,桟瓦葺,切妻屋根,平入の
比較的規模の大きな蔵で,入口両脇の腰をなまこ壁とする。
棟の軸が,この棟だけ微妙にずれていることから,
主屋より古い可能性がある。
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玄関ってなに?

2016-07-06 00:20:26 | 大歳家の建物公開!


新兵衛やで。今日は雑学をちょこっと・・・。
玄関、ってみんな言うやろ?

普通に玄関って、家の出入り口って思われてる。
でもな、それって明治以降の話なんやて。

玄関って本来は、塀や門をいくつかくぐりぬけてやっとたどり着くところで、
一番最後の「門」なんやそうや。(※1)



古くは、中国の禅院で、客殿の出入りの門にかかげて
「どっこい、この先は容易に通さぬぞ」
と悟りの境地に到る大切な関所として見立てたのが語源なんやて。(※2)

「関」っていうこと、つまり最後の関門なんやな。

昔、玄関は身分の高いものだけしかを持つことは許されず、
明治に入ってから一般家庭にも造られるようになったんや。

そういえば、江戸時代の末期以前はテレビの時代劇を見ていても
農家、町屋というところに玄関はないやろ。
戸を開ければすぐ土間や部屋がある。




武家屋敷には、きちんと「玄関の間」というのがあるんやで。
それだけ、玄関って大事なものやったんやな。

大歳家の江戸時代の図面にも「玄関」という表示はなく
「大戸口」という表示になってるな。



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以下を参考にさせて頂きました。
(※1)アレックス・カー著「美しき日本の残像」
(※2)「禅語に親しむ」http://www.jyofukuji.com/10zengo/2005/06.htm



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【大歳家】 茶室の現状

2016-07-05 23:50:22 | 大歳家の建物公開!





お~っす!新兵衛やで。
大歳家の上段の間から見える庭にある茶室の写真やで。

現在は、下図の空撮の写真でもわかるように青い幕がかけられてるんや。
「ぶるーしーと」とか言うんやって。
これで雨漏り防いでるんやけど、なんか情緒がなくて悲しいな。
でも応急処置としてはしゃーないんやろうな。




上段の間はもちろん、大歳家の人でも容易には立ち入ることが出来ない部屋やったようやで。
入れるのは、掃除とか手入れの時ぐらいなんやろうな。



今日は、しのに写真に写ってもらったんやけど、
敷地図面の黄色い部分は白壁のきれいな塀があったんや。

ちょうど藤棚って言う文字が書かれているあたりから出入りできるようになっててな。

茶室ももちろん、お殿さんが来た時用のおもてなし空間やな。
ここから見える庭にも、すごいこだわりがあったんやと思う。
次回は、この茶室横にある藤棚付近の、昔の写真を紹介するからな~!
楽しみに待っててや。


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ウィキペディアから、如庵(国宝、江戸時代初期)の写真。こんな感じのイメージだったのではと想像する。



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