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新野辺まちづくり協議会公式ブログ

加古川市別府町新野辺で郷土の歴史遺産を次代に伝えることが目的の団体。
祭り、住吉神社、大歳家保存会から成る。

【大歳家】 江戸時代の消火器!竜吐水

2016-07-06 00:33:26 | 大歳家の歴史
おーっす!新兵衛やで。
皆さんは、竜吐水(りゅうどすい)って知っとりますか?
竜が吐く水って言うとものすごい勇ましい水のような感じがするな。
実はこれ、江戸時代から明治時代にかけて用いられた消火道具(火消しの道具)なんやで。


「うぃきぺでぃあ」で調べたら、火事・火災の際、屋根の上に水をかけ、延焼防止をする程度の消火能力しか持たなかったと言われる木製のポンプ式放水具・・・と説明されてるわ。
つまりは、江戸時代の消火器なんやね。

大歳家の大戸口を開けて入った左手に、この竜吐水が天井からぶらさがってるんやで。
前面に大きく「大歳」と記載されとる。





村で起こった火事のときに出動したり、大歳家のお屋敷が火事になった時に消火ポンプとして使われたりしたんやろうか。

竜吐水の関西での使用がいつごろからなのか資料を発見できんかったけど、江戸の町では寛延4(1751)年から注目されるようになったんやて。



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江戸においては、町年寄が名主の代表を集めて「近ごろ竜吐水という消火道具が売り出されているが、消防のためによろしいようにみえるから、町火消一組に4つ5つ備えるようにしてはどうか」と勧めています。
これによりすでにこの時期には竜吐水が作られ、その威力も知れわたっていたことがうかがわれます。
そして明和元(1764)年には、町火消十三組に竜吐水が一基ずつ支給されました。これが消防機械の官給品第一号ではないかと思われます。
 この竜吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきましたが、明治17(1884)年末に、国産の腕用ポンプが量産されたことに伴って、廃止されることになりました。
"
(消防雑学辞典:江戸時代の消防ポンプより引用)
 http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_60.htm
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※4枚目の写真 wikipediaよりお借りしました。
 竜吐水(宇治市消防本部所蔵) 安政三年、三室戸寺保有



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【大歳家古写真】 藤棚と白塀と門

2016-07-06 00:10:07 | 大歳家の歴史
今日は大歳家が大切に保管していた古い写真を紹介するで。
まず一枚目。立派な藤棚が写ってるやろ。
その後ろに茶室のある庭へ入る門があるんや。




二枚目は、大正4年くらいの写真なんやけど、
昭和天皇皇太子就任奉祝のときのもの。
これも右上に藤棚。
奥に白壁の塀が見えると思う。






三枚目は今現在の藤棚周辺。
塀がなくなって、奥まですっとんとんやな。
白黒なんが惜しいけど、1枚目の藤棚、ほんまにみごとやなぁ。
往時の姿を再現してみたいと思うのは、わしだけやろうか・・・。





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姫路藩の新野辺組とはわしらのことや!

2016-07-05 17:20:27 | 大歳家の歴史
江戸時代の村の仕組みなんかもあるから、
難しい感じるかもしれんけど、ちょっとずつ詳しく説明するで。



【姫路藩の新野辺組】

江戸時代の終わりには、姫路藩には大庄屋が26軒もあって、
大歳家はそのうちの一つやったんや。

北在家・植田・備後・別府・口里・長田・
今福・養田・池田・小松原・高砂・荒井、新野辺

今も住所の町名や字で残っているこの地名、
加古川に住んでる人やったら、大体どのへんかわかるやろ?
これらは、ぜーんぶ江戸時代の村の名前なんやで。

北在家村、別府村、口里村、高砂村、そして新野辺村・・・。
などなど、これらの村に庄屋さんがおって、ぜーんぶを
束ねてるのが大庄屋「大歳家」やったんや。

そんで、大歳家があったのが新野辺村やったから、
大歳家がまとめる村の集まりを
「新野辺組」って言うたんやで。
なんか、新選組みたいでかっこいいな~!



出典:飯田市歴史研究所研究員 羽田真也「近世・播州加古郡新野辺村における酒造稼(出稼)の展開」(『市大日本史』16、2013年)新野辺村と周辺の村むらより



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今の市長に近い存在!大庄屋

2016-07-05 17:17:59 | 大歳家の歴史


さてさて、昨日の続き【大庄屋(おおじょうや)】についてやで。

簡単に言うと大庄屋は、今の市長に近い存在やないかな?

幕府が日本政府、将軍が総理大臣としたら、藩主が県知事、
その藩主に仕える代官(お侍さん)と、前回紹介した
庄屋との間におるのが、この大庄屋や。

大庄屋は、数ヵ村から多いところでは十数ヵ村をまとめてたそうやで。大歳家も12の村を取り仕切ってたんやって。

百姓の身分の庄屋と違って、苗字帯刀を許され,なかにはお侍さんの身分をもらってる例もあるそうやで。
なんでかって言うと、 そもそも大庄屋は、もともと武士の由緒をもつもんが多かったそうで、その地方では「格式」が高い家とみられてたんやな。

地域によっては、大肝煎(おおぎもいり)。大総代。検断。割元(わりもと)、なーんて呼び方もあるそうやで。

まぁ、つまりは、多くの大庄屋はもともとその地域で力があった人がなってるわけで、大きな家に住んでるのも、納得ってわけやな。

大歳家の詳しいことは、後ほど紹介していこうかなと思てるので、楽しみにしといてや~♪



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庄屋ってなんなん?

2016-07-05 17:16:36 | 大歳家の歴史


新兵衛です~。

さてさて、大歳家の家の場所は分かってもらえたと思うけど、
でもなんで、こんなに大庄屋ってお金持ってるん?
何でこんな大きな家に住んでるん?
ちゅーか、大庄屋ってなんやねん?
庄屋が大きいのか?
…と分からん人もいると思う。

実は、なんとの~知っとったつもりやったけど、
わしも、ちゃんと意味は分かってなかったわ。

まずは、「庄屋」やな。
庄屋ってのは、昔話によく出てくる役柄で、
なんとの~わかると思うけど、村長みたいなもんやな。
もちろん、百姓の代表やから身分は百姓。
地方によっては名主(なぬし)・肝煎(きもいり)っていうねんて。

庄屋さんの仕事は、自分の村の年貢の取り立てをしたり、村民が藩の規則を守るようにしたり、土地の管理、お殿さんの命令を伝えたり、用水路など土木工事を取り仕切ったり・・・・。
そりゃ、ぎょーさんやることあるわ。
もしかして今の町長さんよりも、仕事がめちゃくちゃ多かったんちゃうかな。

次回は、大歳家がやっとった「大庄屋」の仕事について説明するわな!



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