昨日に引き続き、住吉神社の歴史についてお話しいたします。
新野辺住吉神社に鳥居や狛犬、石灯篭などがあるのをご存知ですか?
鳥居は、昨日ご紹介した昭和46年ごろの白黒写真にも
はっきりと写ってましたな。
では、これまでどんな経緯で今の住吉神社になっていったのか、
江戸時代の新野辺村と住吉神社の動きを年表にしてみました。
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■文禄4(1595)年:加古川の大洪水で別府川も氾濫する。
■万治年間(1658~1661)頃:阿閇神社からご神体を授かる。
■寛文12(1672)年:浜ノ宮天神社境内図に住吉神社が描かれる。
■寛文8(1688)年:治良兵衛より石灯篭、3反の田が寄進される。
※1反は300坪
■宝永2(1705)年:境内は松林で、年貢免除地であった
※新野辺明細帳に記載がある。
■元文2(1737)年:当時の境内の大きさはおよそ東西23.2m、
南北32.4mほどの大きさで、現存のものより小さかった。
※新野辺明細帳に東西24間×南北18間と記載されている。


■延享2(1745)年:梅谷重傳が石の鳥居を寄進、

同年、綿屋源四郎が石灯籠1対を寄進。

■宝暦12(1762)年:大阪・農人橋1丁目の山田屋加兵衛が狛犬一対を奉納。

同じころ、石の瑞垣(みずがき)建立。

■明和7(1770)年:撞鐘堂、撞鐘建立
※姫路宗門所に届けられている記録。
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この年表の最後1770年は、加古川の洪水で困った村人が、住吉神社を建立してからすでに175年経過しています。
その間に色んな人たちが、様々な寄進をして村の農作物の祈願や海運の無事、
家族のために祈っていたのかと思うと、現存するこれらの石造物にも様々な物語があるんだと実感しますね。
また、寄進者の名前にも注目です。
今後少しずつ、何人かの寄進者のことについてお話ししたいと思います。