
今回は歴史をさかのぼって、住吉神社がどうしてできたのか
その由緒をたどります!なかなか面白い話なので、子供さんにも聞かせてあげてほしいです。
新野辺(しのべ)は、もともと「篠部」の文字を使っていたそうです。
実は、このあたりは篠竹(しのだけ)という植物がたくさん茂っていました。「篠」は、「細くて小さな竹」のことで、これに由来するそうです。篠竹は今も神社の裏に自生しています。
さて、住吉神社がなぜできたのか伝承が残っています。
江戸時代の少し前のお話です。
1595年に加古川で大洪水があり、別府川も氾濫し
田畑は土砂におおわれ、大変な被害をこうむりました。
実はこの時、別府川の流路も変わってしまったほどで、
土砂が流入し小山が出来てしまいました。

大洪水の後、この小山に篠竹がもうもうと茂り、
多くのマムシが住みつき、多くの被害を出してしまったので
村人は大変困っていました。
そこで、村人は相談してこの小山に社を建てようと考えました。
現在の播磨町にある「阿閇神社」にお願いして造られたのが、
新野辺の住吉神社です。
そうすると、不思議なことに新野辺からマムシがいなくなり、
米・麦などはよく実り、村人は住吉神社をますます信仰するようになったといいます。

ちなみに昔は、マムシが嫌ったという紺色(こんいろ)の服装で草取りに出かけたといわれています。
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※イラスト、文章は飯沼博一先生の「ひろかずのブログ」を参考・引用させて頂きました。
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